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 この桜の絵は、小淵沢の「水木鈴子花の美術館」の館長であり、詩画家の水木鈴子先生が描いたものです。この花の絵は、光そのもので出来ており、見るだけで癒しやヒーリング効果があります。

これほど素晴らしくも不思議な力のある絵を描く水木先生とは、あのフリーエネルギーの世界的な第一人者で日本を代表する聖者であった知花敏彦先生が、生前にまるで母親のように水木先生を慕っていたり、世界中の著名人達もわざわざ水木先生に会いに美術館へと訪れるほど大変有名な方です。

自分が知っている限りでは、これほど自己犠牲をして人のため、世のために我が身を削って生きて来た方は見たことも聞いたこともないほど、ある意味人間のなせる領域を遥かに超えた生き方を実践されてきた方です。

これについては、浅川嘉富さんも絶賛をされており、自身のホームページにて水木先生について以下のようにご紹介しています。

水木鈴子先生の話
(前略)
…そこで思い出したのが、私のホームページで一度ご紹介した「水木鈴子花の美術館」の水木先生の話である。先生は名のある画家も真似が出来ないほどの心のこもった素晴らしい花の絵を描かれる方であるが、一方で、ボランティア活動により苦しんでおられる人の救済にも尽力しておられる方である。

現在は私の住む八ヶ岳山麓の小淵沢に美術館を設けておられるが、以前は埼玉県の入間市におられ、所沢にボランティア事務所を構えていたようである。

近隣にお住まいの方ならご記憶があるかもしれないが、先生は当時から無償で身の上相談役を引き受けられ、多くの悩んでおられる人たちの救済活動をしておられたことから、「所沢のマリア」と呼ばれていたのである。

お聞きしてみると、身の上相談も一つだけではなく、様々な組織や市民団体から頼まれて10指に余るほどの相談役を引き受けておられていたようである。なぜ、先生にそれほどの身の上相談役が集中したのかというと、先生の相談はいたって評判が良かったからであった。

何かの機会にその話が出たとき、先生は次のようなことを言われたことがあった。「身の上相談に駆け込んでこられる方の中には、必ず一人や二人は資金繰りに窮して、切羽詰まった状況に追い込まれた人がいるものなんです。中には相談所の外には奥さんや子供が待っておられて、もしこの相談で救いが得られなかったら、家族ともども覚悟を決めているような人もいるのです。」

「こうした人たちを救うのには、100の説法や人生訓話より、あたたかいご飯をお腹いっぱい食べていただくことや、わずかばかりでも貧者の一灯(当座のお金)を差し上げることが必要なのです。」

そのためには、ある程度の資金を手元に用意しておかないといざというとき役に立たない。しかし、一介の主婦が誰にも迷惑をかけずにそれを用意することは至難の業である。そこで、私が一体そのお金はどうやって調達したんですかと尋ねると、あまり多くは語らなかったが、どうやら、水木先生は労を惜しまず働かれ、色々と知恵を絞られて倹約生活をされて、そこから捻出したお金を支援金に回されたようである。

形ばかりの相談と違って、こうした自己犠牲の心構えで相談を受けられるのであるから、次々と相談役のお願いが殺到することになるのは、至極当然の成り行きである。

しかし、相談ごとに何万、何十万のお金が出て行くわけであるから、ご本人にしてみればそれは大変である。並みの人では到底続けられることではない。しかし他人の幸福をこの世の使命として自覚しておられた先生は「させて 頂いてありがたい」と、その大変な任務を土日休日一切関係なく30年余にわたって全うされて来ているのである。

その結果、自らの体力や精神力の限界まで努力され、血のにじむような思いで貯めたお金をすべて使い切った対価として、天は水木先生に希有 (けう)な能力を授けることとなったのである。相談者の心の有り様や、それに応じた適切な回答が瞬時にわかってしまう能力。ヒーリング「癒し」能力、食材や食事の味を一瞬で美味しく変化させてしまう能力・・・等々。

世に超能力や霊的能力といわれる力を持たれる方は多い。しかし、こうした「徳」によって天から授けられた力こそ本物であり、長続きするものなのである。水木先生に接していると、そう言ったことが実感できてくる。東京大学の海野和三郎名誉教授(天文学)をして、水木先生を「日本のシュタイナー」「地球の超知的財産」と言わしめたのも、それゆえであろう。(転載終了)

 そんな仏のような生き方をされてきた水木先生には到底足元にも及ばない自分ですが、なぜか先生はとても可愛がって下さり、そして自分よりも自分のお役目をとても理解されて心配しながらも陰でいつも支えてくれています。

昨晩の縄文コンサートでは、不思議なことに偶然水木先生と隣の席となって久しぶりにゆっくりとお話をする機会がありました。

詳細は伝えられませんが、当然ながら先生は昨今の世の中の表から裏の状況、そしてこれから起こることを良くご存知でした。

その上で、縁のある人々へ伝えて欲しいということで、一枚の詩を自分へと託して下さりました。

先生からお願いをされることなど滅多にないのですが、そこに書かれていたのは「地球母さん」というタイトルの詩でした。

この詩は、先生が自己犠牲で何度も命を投げ出すほど人や世の中にとことん尽くしてきた中で、30年以上経ってようやく書くことが許されたという特殊な詩のようです。

「地球母さん」の詩については、以前より先生から聞いていたので、その存在と詩に隠された意味は自分なりによく知っていました。

そして、この時期に偶然、というより必然的に先生と出会うことになり、そしてこの詩を渡されたことは、我々ができる「救済」も次のステップへと移行してきていることを強く感じました。

地球母さん
キラキラの緑豊かな美しい水の惑星・・・地球星!

その母なる大地は、全生命体(無数の動物・植物・鉱物・人間)のすべてを我が子と信じ、限りない無限の愛をわけへだてなく与えて下さり、万象万物が無差別・無所得の愛で生かされています。

地球母さんは、どの子もどの子も可愛く、いとほしく、気の遠くなるような年月を重ねて、忍耐強く子育てに心を配って下さっています。

生命体をたくさん生んで育てることは、地球母さんの誇りであり、尊いご使命だからでございましよう。

とりわけ花たちは、気高く、初々しく、決して不平や不満を言わず、地球母さんの美の教えを忠実に守り、母さんの愛を素直に感じ、素直に表現し、地上を美化し、幸福(しあわせ)の波動を全宇宙に向けて放射しているのでございましょう。 

もし、あなたが生きていくのが辛くなったり、疲れた時は、地べたを素足で歩いてごらんなさいな!

のんびりとねそべって、手足をゆっくり、ゆっくり、のばしてごらんなさいな!

あなたの心いっぱいに、体一杯に、ジワジワと、ポカポカと、地球母さんの肌の温もり(地熱)が伝わってきて、身も心も優しく包んで下さる母さんの愛を感じて、もうあなたは一人ぼっちの存在ではないことに気付くことでございましょう。

「女性は、肉体生命の創造と、その生命を豊かな感性でもって、護り育てる大切なお役目がありますよ!」と、私たちに身をもって、お教え下さっているように思えます。

私達人間は、美しい自然が無いと生きていけません。

何百年、何千年と、姿を変えなかった海や山や川や大地が、私たちの世代で大きく姿を変えようとしています。

干ばつで土地が砂漠化し、木を切り倒して山を崩し、すでに世界の熱帯雨林は、もう修復がきかないほど破壊されています。

地球母さんの子育てに必要な、掛け布団の大気は、排気ガスや化石燃料の炭酸ガスで汚され、敷き布団の大地は、農薬や廃棄物で汚されております。

また、異常気象による食料不足で、たくさんの人々が、飢えで亡くなっておられます。

世界のあちらこちらで紛争やテロが起き、尊い命が地上から消えております。

地球母さんご自身も、体がボロボロになりながらも、子供たちの苦しみや、悲しさ、辛さを肌で感じ、日夜なげき悲しみ、泣いておられます。

私たち人間と言う子供たちは、すべてを与え生かしてくださる地球母さんに対して、感謝の心と報恩行を久しく忘れてしまっております。
 
便利さや快適さや物質的な豊かさばかり追い求め、「大地から生まれて大地に還る」と言う大自然の法則を犯してしまい、燃えないもの、壊れないもの、腐らないものを地上にたくさん作ってしまいました。

たくさんの自然を破壊してしまったことを今こそ真剣に反省し、母さんに心からお詫び申し上げ、一刻も早く大調和の生き方に変えなければなりません。

地球母さんが心から喜んで下さるような思いやりの花、いたわりの花を胸一杯咲かせて、母さんと同じように優しく、逞しく、与え続ける、おおらかな生き方をしなければなりません。

無条件の愛で生かしてくださる地球母さんに習って、お互いに助け合い、話し合い、分かち合い、生かし合って生きていけなければ・・・。

それが今までたくさんの、たくさんのご無礼をしてしまいました地球母さんへの、心からのお詫びと、ご恩返しではないかと存じます。

大好きな地球母さんが喜んで下さる愛と光の花を、毎日の思いと行いの中で咲かせていきたいものでございます。

ありがとうございます。  地球母さま         

みずき すずこ


「人間という肉体を借りて、地球という惑星を長く維持することが地球人の目的」

臨死体験を2度もされて地球の過去から未来のすべてを見てきた木内鶴彦さんが、常々仰っているように、これが我々地球人による今の地球での役割ですが、残念ながら現在は真逆の方向へと地球をおいやっています。

我々が今この世に存在していられるのは、当然ながら周囲の人々の支え、産み育ててくれた親の存在、さらには食料や水、空気のおかげ…などなど考えたらキリがないのですが、それらすべての根底にあるのは、この地球であることを日常の生活に追われているとすっかり忘れてしまいます。

すでに取り返しのつかない段階にまでこの地球(ほし)を傷つけ、汚してしまった責任は、誰が悪いとかではなく、この地球に住む人々全員の連帯責任であり、その結果起こる地球の自浄作用による地球人への報いには、誰もが心して受けなければならないと思っています。

その過程において、もしかしたら肉体を離れることになる魂も少なからず出て来るかもしれませんが、現在我々ができる範囲の「救済」の段階は、徐々に肉体の救済から魂の救済へと移行しており、いかに肉体を離れた魂が光の世界へと旅立てるかの段階にまで来ています。

そのためには、肉体を離れる前の意識状態が非常に重要になってくるわけであり、中でもすっかりと人類の中から抜け落ちてしまった「地球への想い(懺悔・感謝など)」というものを再認識する必要があり、その意味でこの「地球母さん」の詩は、改めて自分自身が今地球に存在していること、そして地球自体の存在を考える機会になると思います。

ただし、これがあれば救われる、こうすれば救われるというような魔法のツールは、この世界には存在しないですし、何を見ても聞いても行動しても、その人自身の意識が変わらなければその人の肉体・魂の未来(行方)も変わらないと思います。

偉そうなことを言える立場では到底ないのですが、とにかく地球人は、改めて地球のことを真剣に考え、想い、そして意識を切り替えて、今すぐにでも出来ることを少しでも行動にかえて、地球での本当の役割をまっとうしていかなければならない時期に差し掛かっているのは間違いないようです。