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※瑠璃(ruri)さんの描いた「瀬織津姫」

 今週始めから3日間は、久しぶりに関西へと行ってきました。なぜ、いきなり関西というと、こうなった経緯を説明すると非常にややこしいので、また後日にお伝えしますが、まず結論から先に言えば、やはり今回の関西への旅は、目に見えない存在による大きな導きがあったのは間違いなく、そして人との出会いをはじめ、これから先の新時代を切り拓く、大きなヒントときっかけを与えていただいた旅であったと思います。

まだ整理がつかないほど、膨大な量の情報と体験をしており、また、少し時間が経たないと謎が解明されない内容も多々あるので、まずは行った先の写真などをはじめ、少しずつ共有できる情報をお伝えできればと思います。

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※六甲比命神社

まず、関西旅行の目的はいくつかあったのですが、その中でもメインの1つは六甲山にある「六甲比命神社」の参拝でした。

ここには「瀬織津姫」の墓があるともいわれており、最近この瀬織津姫という神様が、何かキーワードとなって動かされているのを感じていたので、その大元となる六甲山、六甲比命神社へとどうしても行きたい衝動に駆られていたのです。

とはいえ、具体的に神社がどこにあるのかも、そこが何なのかもわからないまま、ただ参拝したいという気持ちだけが先走っていたので、このまま一人で行ったらたどり着くことすら出来なかったのかもしれませんが、幸運なことに様々なご縁があって、現地でこの地を守っている神話伝承研究家の大江幸久さんのご案内を頂くことができ、無事に詳しい説明のもとで参拝することができました。

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※入り口の看板

これから参拝する方も増えると思うので、具体的な場所を説明したいのですが、何ぶん土地勘もなく、この辺の地理がよくわからないので、訪れる方は以下のサイトをご参照ください。

【六甲比命神社の場所】

まず、六甲山カンツリーハウスの駐車場と隣接する道を下り、かなり狭いデコボコ道まで車で進むと、神社へと登る登山道の入り口が出てきます。

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※心経岩

その登山道をのぼっていくと、最初に出てくるのが「心経岩」という巨石です。

この岩は、落雷によって大きな花崗岩が半分に割れたものであるようです。幅は6.5m、高さ5.5m、重さは500トンにもおよぶそうなので、現地で直接見るとその迫力に驚かされます。この岩に「摩訶般若波羅密多心経」が彫り込まれています。

ただ、現在あるのは、大正5年に再建された心経岩であり、元々あった岩は、6世紀〜7世紀の頃に流失してしまったようです。

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※六甲比命大善神のご神体の巨石

そして、その心経岩から少し登ると、いよいよ「六甲比命大善神」と書かれた看板とご神体の巨石が姿を現します。

これが例の瀬織津姫の墓と呼ばれている巨石であり、写真ではわかりづらいかもしれませんが、先ほどの心経岩とは比較にならないほどの大きさの超巨石群です。このご神体の巨石群は「うさぎ」の形をしているともいわれています。

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このままご神体沿いに山道を登って行くと、冒頭の写真の「六甲比命神社」の社があり、その裏に小祠があります。

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※天照大神(右)と后の瀬織津姫(左)

今回の参拝では、ある1枚の特別な絵が一緒に持ち込まれていました。その絵には美しい男女が描かれており、神話伝承研究家の大江さんの説明によると、これは男性神である「天照大神」と、その后である「瀬織津姫」のようです。

古事記や日本書紀でもそうですが、一般的に天照大神と言えば「女性神」として有名です。

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※ホツマツタヱ 序文

しかし「歴史は勝者によって作られる」という言葉があるように、今教えられているほとんどの歴史というのは、時の権力者によって都合良く作り替えられている可能性があり、それは記紀神話も同様であることは、以前からも伝えてきました。

そこで一般的には「偽書」と呼ばれている古文書にこそ、真実の歴史が書かれている可能性が高いのですが、その1つに「ホツマツタヱ」という古文書があります。

これは、神代文字の1つとされる「ヲシテ」という文字で記され、神代の時代から景行天皇の御世、ヤマトタケ(ヤマトタケル)の活躍までの内容が書かれているようです。

そのホツマツタヱには「天照大神は男性神で、后を持っていた」という内容が記されており、そして、ホツマに登場する瀬織津姫は「ホノコ様」であり、その別名は、「天照日に向う姫=ムカツ姫」であるそうです。

そして、天照大神は自ら日の輪(太陽)にお帰りになる(崩御される)ことを決心され、諸臣、諸民を集めて、后の瀬織津姫に遺し法(のこしのり)をされたそうです。

「私の亡き後、ヒロタ(現・廣田神社)に行ってワカ姫のご神霊とともに余生を過ごし、女意心(イゴコロ)を守り全うしなさい。」

このようにして瀬織津姫は、天照大神の命によって晩年を現在の兵庫県西宮市とその周辺で過ごし、神上がられたようです。

やがて、様々な検証の末、六甲山にある六甲比命神社が瀬織津姫の墓所であることが近年特定されました。六甲山は、かつて「ムカツミネ」とも呼ばれていたそうです。

しかし、このような天照大神が男性神であることは、一切記紀神話では書かれていませんし、そして女性神であるが故に、当然ながら后がいること、そして瀬織津姫という存在自体も記紀神話には出てきません。それどころか全国の神社祭神からも瀬織津姫の名前は消されてしまったようです。

そのような背景もあってか、瀬織津姫とは今まで謎の女神として長く語り継がれてきましたが、その謎の女神の真相が明るみになってきた今、まさに瀬織津姫の封印が解かれようとしているように思えます。

今まで大和朝廷の真実から富士王朝の真実もお伝えして来ましたが、ここに来て瀬織津姫の真実というのも追加されてきており、これはそれぞれの封印が解かれているだけでなく、間もなく今まで封印されていた日本という国の本当の真実が明かされる時が差し迫っているのだと感じます。

2013年は、いよいよ「日本開闢の時」であり、本当の日本というのが、これから始まるようです。

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※山頂にある岩

ちなみに山頂にある岩に祀られている神は、八大龍王、熊野権現、仏眼上人、花山法皇であるのですが、この花山法皇の説明を受けている時に伯家神道の話が出たので驚きました。歴史には疎いのでまったく知りませんでしたが、伯家神道のルーツは、この花山法皇にあるようです。

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※六甲比命神社のすぐ上にある「雲ヶ岩」

いずれにしても人一倍神様にも興味なければ神社にも興味がない自分でさえ行きたいと思った場所だったので、よほど今の時期に意味があり、これから先に重要となる神社だと思います。

関西地域の方々はもちろん、全国各地でもご興味のある方は是非とも一度参拝に訪れてみてください。

今は、ボランティアで神社や周辺のお手入れや掃除をやっていますが、より詳しく知りたい、何かボランティアでもこの神社に関わりたいという方は、以下のサイトよりお問い合わせをしてみてください。

六甲比命大善神を崇敬する団体「六甲比命講」

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それにしても六甲山は、本当に不思議なラインの中心となるポイントです。そして、ここでも富士山麓にあるプレートの交差点の時と同様に、やはり空海が深く関わってきていました。

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※富士山麓のライオン岩(スフィンクス)

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※富士山麓の天の岩戸

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※天の岩戸の中

また、富士山麓にある神々が残した巨石群の場所と波動的にとても似ている雰囲気のところでした。小祠のあたりは、まるで富士山麓の「天の岩戸」にそっくりであり、ここも地底世界へと繋がる秘密の入り口がどこかにあるように思えます。

また機会があれば、是非とも訪れたいと思います。