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※ニギハヤヒ

「ニギハヤヒ」(Wikipedia)
※神武天皇と饒速日命(ニギハヤヒ)の関係

『日本書紀』と『古事記』によると、神武天皇(イワレビコ)と饒速日命(ニギハヤヒ)の出会いのあらすじは次の通り。

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「神武天皇(イワレビコ)は塩土老翁から、東方に美しい土地があり、天磐船で先に降りたものがいると聞く。そして彼の地へ赴いて都を造ろうと、一族を引き連れ南九州から瀬戸内海を経て東へ向かい、難波碕(現代の大阪)へたどり着く。その後河内国草香邑から生駒山を目指す。そこに土着の長髄彦(ナガスネヒコ)が現れたため戦うが苦戦する。神武は「日(東)に向って敵を討つのは天の道に反す」として、熊野(紀伊半島南端部)へ迂回し北上することにした。

菟田(奈良)に到達し高倉山に登ってあたりを見渡すと、八十梟帥が軍陣を構えているのが見えた。その晩神武の夢に天神が現れ「天神地祇を敬い祀れ」と告げる。その通りにすると敵陣を退治でき、続いて長髄彦を攻める。

すると長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽羽矢と歩靫を見せる。すると神武も同じものを見せた。長髄彦はそれでも戦いを止めなかった。饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、神武天皇に帰順して忠誠を誓った。(転載終了)

「瀬織津姫(セオリツヒメ)」と同様に今年に入ってから至るところで目にしたり耳にするキーワードに「饒速日命(ニギハヤヒ)」という神様の名前があります。

ニギハヤヒといえば、上記のとおり神話の中では、日本の初代天皇となった神武天皇の東征の場面において登場する人物です。

神武天皇の東征とは、九州から大和地方へと勢力を伸ばしていった神武と元から大和地方に存在していたニギハヤヒによる大和の地をめぐる戦いですが、実際は、ニギハヤヒの家来であるナガスネヒコが直接の相手であり、この戦いは長引いて、なかなか決着がつかなかったようです。

しかし、終盤において戦いの最中に急に空が暗くなって雹(ひょう)が降り始め、金色のトビがあらわれてから状況が一変します。

このトビが神武の弓の先に止まると、その光のためにナガスネヒコの軍は幻惑されます。そして、ナガスネヒコはここで神武に使者を送ったそうです。

「私は、天から降られたニギハヤヒの命に仕えていますが、いったい天神の子は二人おられるのですか?どうして天神の子と名乗って、人の土地を奪おうとするのですか?」

それに対して、神武は以下のように答えたようです。

「天神の子は多くいる。もし、お前が仕えている人が天神の子なら、必ず天のしるしのものがあるから、それを示しなさい」

そこで、ナガスネヒコが、ニギハヤヒの「天の羽羽矢(ははや)」などを見せると、神武はそれが偽りでないのを認め、自分も同じものを示したそうです。

これで神武とニギハヤヒは同じ天孫族の一員だということがわかったのですが、それでもナガスネヒコは戦いをやめなかったので、その暴走を強引に止めるためにニギハヤヒはナガスネヒコを斬り殺し、そのまま神武に帰順して支配権を譲ってしまったのです。

そして、大和を平定した神武は西暦紀元前660年2月11日に、橿原の宮(かしわらのみや)で初代・神武天皇として即位したとされています。

この物語が真実かどうかは別として、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれており、大和地方には神武天皇の前に出雲系の王権(天皇)が存在したことを示すとする説が最近は有力となっています。

また、祭祀を司どる「物部氏」が、ニギハヤヒを祖神としていることにも何か重要な意味が隠されているようです。

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聖徳太子と蘇我馬子が著した「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」では、ニギハヤヒは「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、アメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一の神であるとされています。

これも真実かどうかはわかりませんが、1つ気になるのは「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」“天照”という名前であり、この正式名(?)から一部の間では、天照大神はニギハヤヒであり、それが故に天照大神は実は男性神であるという説も最近は話題となっています。

その説によると、天照大神であるニギハヤヒの后が「瀬織津姫」であるそうです。

そうなってくると、神様の男女に限らず系図もわけがわからない状態になってくるのですが、1つだけ確かなことは、歴史というのは「勝者によって作られる」という言葉があるように、時の権力者にとって都合の悪い史実がすべて作り替えられてしまうことは、日本に限らず世界中の歴史でも、また近代においてもよくあることです。

そういった意味で、現在の日本という統一国家が出来上がった背景というのは、学校で教えてもらったことも当然ながら、記紀神話などの歴史的な書物の多くにも真実は存在しておらず、とにかく今の日本を作った人々にとっては“本当の歴史(過去)”がわかってしまうものは、あらゆる手段を講じて世の中から封印して消し去ったことも考えられます。

つまり、そういった視点から考えると神武天皇が初代天皇ではなく、今の日本の元になる大和朝廷よりも前に日本列島には、すでに統一王権が存在しており、それが出雲の王であるニギハヤヒこそが隠された本当の初代統一王朝の天皇であるという説も満更ではないと思います。

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※千と千尋の神隠しの「ハク」

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※ハクは「ニギハヤミコハクヌシ」という白龍

以前にも一度“白龍”の件で少しご紹介しましたが、実は宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に登場する“ハク”という少年は、このニギハヤヒのモデルともいわれています。

原作にも出てきますが、名前を隠されてしまったハクの本当の名前は「ニギハヤミ コハクヌシ」といいます。そもそも“神隠し”というタイトル自体にも、隠された神であるニギハヤヒに繋がる深い意味が込められているような気もします・・・。

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それでは、過去のことなので何が真実なのかはわかりませんが、私が今知っている限りの歴史を少しだけお伝えします。ただし、自分自身は昔から日本の歴史にも神様や神話にも一切興味がなく、つい最近まで「神武天皇ってどこかで聞いたことがあるような?」「ニギハヤヒ??まったく知らない」というレベルの人間だったので、本当の歴史どころか、ある意味常識の歴史すらほとんど知りませんので間違っている点もあるかもしれません。

まず冒頭の神話に出てくる「神武天皇の東征」というのは、これは実際は時代がずっと後の「日本武尊(ヤマトタケル)の東征」のこと(※ちなみにヤマトタケルは将軍の称号であり1人ではない)であり、そもそも神武天皇とニギハヤヒというのは、同じ時代の人物ではないと聞いております。

つまり神武天皇が紀元前660年に初代天皇として即位したのではなく、よく初代神武天皇と10代崇神天皇(3世紀〜4世紀)が同一人物であるといわれているみたいですが、恐らくはそれが事実に近く、後に渡来して日本の支配権を握った権力者達(日向族)が、自分達の流れを正当化するために強引に神武天皇を古代の人物に変えてしまい神話にして誤摩化したのだと思います。

それと同時に隠されてしまったのが、神武天皇以前に実在した日本の天皇達であり、その中で代表的なのが本当の意味で初代の統一王朝の天皇となったニギハヤヒであるようです。

そして「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」にあるように、ニギハヤヒはニニギの兄弟であるというのも事実のようです。

ただしニニギの影武者という立場であり、そしてニギハヤヒという人物は、そのニニギの兄弟である人物から始まり、その息子とその孫の三世代に渡って同じ名前を世襲して存在していたみたいです。

その三世代目が、統一王朝のニギハヤヒであり、これが「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」のようです。以前にもお伝えしたことがあったかもしれませんが、“天照(アマテラス)”というのは源氏名であり、代々受け継がれていく称号であります。

だからニギハヤヒは、“男性神”としてのアマテラスとなります。そして、その時の后が「瀬織津姫」であったのも確かのようです。

そして、この出雲族のニギハヤヒの末裔として物部氏という一族が存在しており、今はこの物部氏である出雲族が活発に動き始めています。何度もお伝えしているように、今年は大和朝廷設立から現在の日本の流れである日向族(邪馬台国)と、その前に日本を統治していた出雲族との和合が行われています。

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※唐松山天日宮(からまつさんてんにちぐう)

今年に入ってから、行く先々で「瀬織津姫」「ニギハヤヒ」、それに「物部氏」に関わる神社や磐座、人物に遭遇する不思議な流れがありますが、先日に伺った秋田でも突如その流れがやってきました。

秋田県にお住まいの読者の方から「秋田大仙市にある“唐松神社”へお立ち寄りください」と突然に連絡が入り、そこで五井野博士のセミナーの翌日に訪れたのですが、そこでご紹介された神社の第64代宮司は「物部」という性の方で、見事に物部氏直系の方でした。

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ここは物部氏、およびニギハヤヒに単純に縁が深い神社という場所どころではなく、この神社には、ニギハヤヒ降臨地が実は東北地方にあったと伝える、伝説の『物部文献』のある場所でした。つまりニギハヤヒに関わる中枢の場所です。

神代文字の祝詞、そして死者をも蘇らせる「十種神宝」・・・まさか、失礼ながらも秋田でこんなとんでもない場所があったなどとは一切知らず、正直驚かされました。

その件についての詳細は長くなるので、また別の機会にお伝えしますが、実は私は生まれは仙台でありながら、本籍は秋田県秋田市です。つまり先祖は代々秋田の人間なので幼い頃に住んでましたし、秋田を離れても毎年お盆には秋田には訪れていました。

まさかこんな身近なところで物部氏、それにニギハヤヒが関わっていたとは思いもせず、ますます最近は不思議な流れに巻き込まれています。

とにかく隠された神や真実が明るみになる時代が確実にやってきており、日本はこれから大転換の時期を迎えそうです。