07

 12月2日は、前日の広島講演を終えて“日本三景”の1つである「宮島」へと行きました。

日本三景とは、広島県の「宮島」の他に宮城県の「松島」、丹後の「天橋立」の3箇所があり、これらは江戸初期(1643年)から「三所奇観」として規定されるほど、古くから日本を代表する美しい景観の地域として指定されています。

04

38
※巨石群が立ち並ぶ宮島の聖地の山“弥山(みせん)”

しかし、この3カ所の地域は、単純に自然の景色が美しいというだけでなく、多くの古代遺跡や巨石群が存在していたり、また軍事的な拠点や信仰の中枢地として使われていたりと、太古の昔から人類の文化や歴史に関わる大変重要な拠点として存在していました。

30

そして、意外と知られていない“共通点”としては、この日本三景は、地図上で一直線上に並んでいる「レイライン」であるという事実です。

レイラインとは、1921年にイギリスの考古学者が提唱した言葉で、上空から古代の遺跡配置を見ると不思議といくつもの遺跡が直線ラインで結ばれて並んでいる現象を意味しています。

e4f5aab9

レイラインの建造物や場所は、世界では古代遺跡などが多いようですが、日本においては、神社や磐座が多くなっており、一般的には、日の出や日の入りなどの“太陽(天)の動き”や断層や水脈の“地球(地)の構造”が、その聖地を決める大きなポイントにもなっていたと言われています。

日本三景のレイラインは、天橋立を中心として、“夏至の日の出の方位”“冬至の日没の方位”を結んだものであり、天橋立から見て松島に一年で最も勢いの強い夏至の日の出が昇り、また宮島に一年で最も勢いの弱い冬至の日が沈むことになります。

では、この太古の人類が聖地として定めた日本三景の各場所、その中でも宮島とは一体どういった場所だったのでしょうか?

06
※宮島から見えるピラミッド型の無人島“小黒神島”

私が事前に把握していた情報では、宮島という場所は日本の中でも特別な場所であり、もはや太古の人類どころか、その人類を創世した異星人と大変縁が深い場所で、宮島は日本人の祖先である“縄文人のプロトタイプ(原型)が創世された最初の場所”であったと聞いております。

具体的には、世界の雛形である“日本列島”が作られた後、いわゆる人類創世に関わった異星人とも呼ばれる存在達が、猿人から遺伝子操作をしていたようで、そこで初めて“人類の雛形(原型)”である“縄文人”の形成に成功したのが、この宮島沖に着陸した宇宙ステーションの中であったようです。

そして、宮島の次に雛形人類の形成を始めたのが、同じ日本三景の1つである“宮城県の松島”であったようです。

この話は、テレポーテーションなどの能力を自在に操る日本の裏聖者グループのマスターから出て来た話であり、そういった情報を把握した上で宮島にある聖地“弥山(みせん)”という巨石群のある山を登ると、周囲の沖には、まるでピラミッドのような形をした無人島(小黒神島)も見えたりと、もしかしたら古代はそこが宇宙ステーションだったのか、はたまた島の海底には何かが隠されているのではないかと様々な想像や妄想が膨らみました。

01

しかし、この話は単なる妄想や噂話でもなく、あの“龍蛇族”で有名な浅川嘉富さんの著書「龍蛇族直系の日本人よ! 」においても、そこにはまったく同じような話が書かれています。

シリウス・プレアデス・ムーの流れ 龍蛇族直系の日本人よ! その超潜在パワーのすべてを解き放て (著・浅川 嘉富)
ここで考えておかねばならないのは、龍蛇族という存在に恐怖感を覚える人々が少なからずいるという点である。

西洋ではその傾向が顕著であり、各地に龍退治の伝説が残されていることからも龍蛇族への恐れと嫌悪は根強いといえよう。だからこそ、かってドラゴンスター(龍座)と呼ばれていたシリウスをいつの間にかドッグスター(犬座)に変えてしまっているのだ。彼らはそれだけ龍蛇族なり龍神を恐れているのである。

アイク説には、地球を支配しようとしている存在が4次元のパラレルワールド(アストラル界の下層)を根拠にしている点や、イルミナティが彼らの支配下にあることなど一部正しい部分もあるが、レプティリアンに対しする恐怖心を強調し過ぎている点に関しては大いに問題がありそうだ。間違えてはならないのは、地球の創成期に人類を誕生させたレプティリアンは決して邪悪な存在などではなく、国常立尊をトップとする聖なる龍神系宇宙人たちであったことである。

レプティリアンや龍蛇族の中には「幽界」(アストラル界)に住む者と「神界」に住む者がおり、前者の一部には地球の進化を妨げようとしている邪悪な存在もいる。この種の存在とオリオン系の一部の宇宙人が地球支配を目論む地球人と手を組んだ集団が、いわゆる「闇の権力」である。ただし、龍蛇族のほとんどは人類を導く高次元の存在である。

龍神たちのお姿であるが、人間界に生まれたことのある龍神や人間の守護や指導の役割を持っている龍神たちは、人間界に登場するときだけでなく、5次元クラスの高波動の神界にいるときでも、人間の形をしていることが多いようである。読者にはこの点もぜひ頭に入れておいていただきたい。高次元の存在になると必要に応じて自由自在に変身できるのである。

出口王仁三郎の『霊界物語』は神話の形をとって霊的世界と人類の知られざる歴史を説いたものだが、その中に広島の呉の海に龍神が住んでいたというくだりがある。ニュージーランドで龍伝説を持ち今も龍の世話をし続けているワイタハ族のポロハウ長老が、先日訪問されて広島を訪れた際に、呉の地は自分たちの遠い祖先がシリウスやプレアデスからやってきたときに、最初に着陸した神聖な場所の一つである、と語っている。また、これと大変よく似た話をチャネラーのリサ・ロイヤル女史が伝えている。 

彼女はこの銀河におけるヒューマノイド(人間型生命体)の歴史を詳細に解説した『プリズム・オブ・リラ』(ネオデルフィ刊)の作者であり、私の信頼する数少ないチャネラーのひとりである。その彼女がコンタクトするプレアデス人からのメッセージによると、呉のすぐそばの宮島に大規模な宇宙人の都市があったというのだ。 (転載終了)

そして、ここに出て来るリサ・ロイヤルさんという方は、著書の「宇宙人遭遇への扉」という本に宮島に宇宙人都市があったことなどを書いています。

00
※リサ・ロイヤル『宇宙人遭遇への扉』

宇宙人遭遇への扉―人類の進化を導くプレアデスからのメッセージ(リサ・ロイヤル)
● 宮島の周辺には大規模な宇宙人の複合都市があった

プレアデス人は地球の大半の古代文明とかかわりを持ちましたが、中でも日本とは、深いつながりがありました。古代のプレアデス人にとって、とても縁が深い場所の一つに広島県の安芸の宮島があります。実はあの周辺には、その昔、大規模な宇宙人の複合都市がありました。ある地域は通信基地として、またある地域はプロトタイプの遺伝子実験や教育の場として使われていました。宇宙人の居住地域として使われた所もあります。宮島は一大文化交流センターでもありました。日本はレムリア文明圈に属していましたが、アトランティスとの交流もあり、宮島近郊のある都市(※のうが高原)には、アトランティスからの使節が派遣されて文化交流が盛んに行われていました。

宇宙人との交流が盛んだった古代の日本は、当時、南米にあった文明とも交流していました。同じ宇宙人たちが、当時の南米や日本と交流していたとも言えます。このほか日本には、奈良県の天川、丹後半島の天橋立、宮城県の松島を始めとする東北地方など、超古代に宇宙人が行っていたプロトタイプの創成・教育計画と縁の深い地が数多くあります。特に宮島周辺は、プレアデスと地球をつなぐ世界有数の「扉」の一つです。
宮島周辺でプレアデス人がプロトタイプを教育していたのは、約3万年前から10万年前のことです。約1万1000年前、アトランティス文明が崩壊し、世界の多くの地域が太洪水などの天変地異に見舞われた頃まで、こうした都市には人々が住み栄えていました。
私個人が属すプレアデス人の種族の外観は、ちょうど地球の東洋人と白人の混血に似ています。私たちの目は東洋人に特有のアーモンド形をしています。プレアデス人の場合、白人系の種族でも目の形はアーモンド形ですが、地球人との違いは、私たちの方が目が大きいことです。もし皆さんが私たちを街角で見かけたら、おそらく地球人だと思うでしょう。もっともじっくり眺めると、「少し変だぞ」と思うかもしれません。私個人は特に日本人に親近感を覚えます。それは、プレアデス人の先祖が太古の日本において、プロトタイプの教育に携わっていたからでしょう。

● 日本文化に残る古代の宇宙人の影響

日本文化には古代のプレアデス人が与えた影響が今でも残っています。自然との調和を重んじる日本の伝統的な建築様式は、自然との一体感とシンプルさを愛するプレアデス人の教えを反映しています。また、古代の宇宙人の霊的な儀式を今でも伝えているものに茶道があります。もちろん、古代の儀式がそのままの形で残されたわけではありませんが、茶道には太古の昔にプレアデス人がアジア人のプロトタイプに教えた儀式が、現在でも象徴的に反映されています。
茶道は日本庭園内の茶室で行われますが、茶室に至るには、門や敷居などで仕切られた空間を通過します。もともと仕切られた空間は、意識の異なる次元を表していました。新しい空間に入って意識の焦点を変え、最終的には最高次元の霊性に至ることが儀式の目的でした。それはベガ人にとって最も神聖な儀式でした。アジア人に縁の深いゼータ・レチクル人の文明の起源は、もともとベガ(編訳者注――和名は「織姫」)にありました。ただし、ゼータ・レチクル人はアジア人の教育に直接はかかわらなかったので、彼らの代わりにプレアデス人や他の宇宙人種が、プロトタイプにこうした儀式を教えたのでした。
茶道で使う水差しも大切な象徴です。アジア人のプロトタイプは、宇宙人の教師から霊的な教育を一通り受けた後に、アメリカ先住民の「ヴィジョン・クエスト」に似た通過儀礼を受けました。アメリカ先住民には、彼らの「神」である「グレート・スピリツト」から教えを得るために、ほとんど何も持たずに自然の中で数日間を過ごす伝統があります。古代の日本で行われた通過儀礼は、それとよく似ていました。通過儀礼で許された持ち物は、唯一、水差しだけでした。プロトタイプは水差し一つだけを持ち、裸で聖なる山に入りました。聖なる山には意識の七つの段階を表す「扉」があり、プロトタイプはそれを見つけては、指定された行をしました。そして最終的な「扉」に至って、そこで通過儀礼を終えたのです。ちなみに、「扉」とは、波動的に感知することができる特別な場所で、プロトタイプは内面的な導きにしたがって、そうした場所を見つけることになっていました。
通過儀礼を終えずに戻る者もいました。彼らが挫折する最大の理由は恐れでした。大自然の中で一糸もまとわず、水差し一つだけを持って旅をすると、多くの人々は恐れを感じます。「身を守るためには、たくさんの物が必要だ!」と彼らは思うのです。そして欠乏感が恐怖心を煽り、直感の声が聞こえなくなります。しかし多くの物を持たないと自分の身が危ういという発想は、三次元に特有のものです。人は無限の豊かさの源である宇宙と常につながっており、「私は一人ぼっちだ」という思いは、あくまでも幻想なのです。
水で満たされた鉢は、宇宙の象徴としてよく使われました。鉢の中を覗くと、そこにはあなたの顔が映ります。「宇宙はあなた自身の反映である」。宇宙人の教師はプロトタイプの生徒にそう教えていました。通過儀礼の最終目的地である「扉」に到達できた者は、そこで水差しを割りました。それは、肉体はやがて滅びるが魂は永遠であることを象徴的に宣言する行為でした。ちなみに、プロトタイプの通過儀礼が行われていた広島の聖山は、現在では弥山(みせん)と呼ばれています。

● 日本には東洋と西洋を結ぶ役割がある

日本は世界を統合する種族として、太古の宇宙人が期待を寄せたアジア人発祥の地です。また、公式コンタクトの有力な候補地である平和都市、広島のある国です。さらには、宇宙に通じる重要な「扉」の一つであり、地球のクラウン・チャクラでもある富士山がある国です。日本は今後の統合の時代において、重要な役割を担っている国なのです。
日本ほど西洋の技術文明と東洋の霊的な伝統をあわせ持つ国は、他にありません。日本は東西の統合を実現する国になりえると、私たちは感じています。東西の英知を融合させて、それを世界のために役立てるのが日本の役割です。多くの日本人はこうした役割に実感が持てないでしょうが、日本はすでにその役割をエネルギーのレベルで果たしています。
しかし、特別なのは日本人だけではありません。全人類が神聖な起源を持っているのです。世界を一つにするために、「特別なことをしなければ」と気負う必要はありません。何よりも大切なのは、一人一人が心を開き自己本来の姿になることです。それこそ、あなたが地球に対してできる最大の貢献です。(※リサ・ロイヤル『宇宙人遭遇への扉』《第10章 日本の役割》より抜粋)

どうやら宮島はプレアデスと大変縁が深い場所であり、さらにかつての我々の祖先はプレアデスの異星人達によって霊性を高める教育を受けていたようです。

その場所が、広島、さらには宮島の聖なる山である“弥山(みせん)”です。

00
※宮島マップ

今回の宮島の旅は、まさに不思議な現象の連発でした。まず“宇宙語”を話すメンバー二人がサポート役として当日の朝に合流し、三人で厳島神社の参拝から始まりました。

突然“宇宙語”と言っても、恐らく何のことか分からない方が大多数だと思いますが、近年になって突然と地球の言葉ではない言葉を話す回路が開く人々が増えてきており、その言葉は光言語として“ライトランゲージ”とも呼ばれています。

とはいえ、日常茶飯事に“宇宙語”が飛び出しては、まともに社会でやっていくのは難しい時代なので、そういった人達は、同じ様に宇宙語を話す仲間から話しかけられると自動的に言葉が飛び出してくるように、人や場所によって使い分けているようです。

すっかり使っていなかったり、忘れていた方言も、同郷の仲間とバッタリ会うと、突然に方言でお互い話出したりと、そういったイメージに近いのかもしれません。

ただ、彼らの中には聖地や磐座などに来ると、言葉だけでなく突然に体が反応して様々な動作が始まる時もあり、その時にその場の封印を解いたり、はたまた何か目に見えないエネルギーを受け取ったりもします。

30

44
※世界文化遺産の“厳島神社”

09
※厳島神社の神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」であり、「亀甲紋」は出雲、ニギハヤヒの紋章

厳島神社では、ある参拝ポイントにて上からのメッセージが入り、そこでエネルギー体の“剣”を授かることになりました。他にも様々なポイントで必要なご神事をしてきたのですが、その後に“弥山”の山奥にある“奥の院”へと向かいました。

46
※遠く山の中腹に見える弥山の奥の院

52
※奥の院の入り口

奥の院は、草木や倒木が道を塞いでいる獣道のようなところを抜けてたどり着く場所もあってか、観光客は誰一人訪れていませんでしたが、たどり着くと太陽の光が幻想的に差し込んでおり、静かで独特の磁場に包まれている神聖な場所でした。

23
※奥の院の入り口は独特の磁場もあり、撮影すると太陽光がねじ曲がった

独特の雰囲気どころか、ここまで来ると突然カラスの量が増え、それに誰もいないのに草木がガサガサ揺れたりと怪奇現象も色々と起こりました。

太陽光を撮影すると光がねじ曲がったりと、何やら別次元の世界に来ている感じにもなっていたのですが、その頃には同行していた二人は、ほとんど“宇宙語”が垂れ流しの状態であり、様々な作法や神事が始まって導かれるままに奥へと進みました。

11
※奥の院の正面

奥の院の前を着くと、最初にお清めがあって通されたのは自分だけであり、一人ポツンと奥の院の前に立っていたのですが、どこからともなく巨大な蜂が飛んできて、体に触れる寸前をずっとグルグルと飛び回っていました。

「大きな蜂はニギハヤヒの眷属(神の使い)」という話を聞いたことがありますが、ここ奥の院も厳島神社同様に出雲、ニギハヤヒの紋章である「亀甲紋」が多く見受けられ、確かにニギハヤヒの導きも感じました。

21
※奥の院前の小祠

全員が合流したことろで、奥の院の目の前にある小祠にてご神事が始まり、ここで、それぞれが持っていたエネルギー体の“玉”を納めました。実は自分は、確かに以前に“玉”を預かっており、それが今回飛び出したのかどうかわかりませんが、なんとも不思議な流れでした。

1
※奥の院の中は左に権現様、中央に空海が祀られている

奥の院に入ると、すぐに「滝沢さんは左へお座り下さいとのこと。こちらの方とご縁があるようです」と言われ、そこで見上げると“権現様”が祀られていました。

“権現様”といえば、先月に2度も八ヶ岳の中心である権現岳へと登り、そこで山頂に鎮座する“権現様=磐長姫”にご挨拶をして来たばかりであり、やはり、すべては“権現様”の導きであったようです。

正面には、この“弥山”という名前をつけた空海様が祀られており、空海様もかつては奥の院にまで来て修行をしていたようです。

44

52
※撮影すると緑色の発光体がよく写る

奥の院の参拝後は、頂上へと向かいましたが、途中で撮影をする度に緑色をした発光体が良く写り、引き続き不思議な現象は続いていました。

02
※奥宮である御山神社(みせんじんじゃ)

01
※頂上付近にある巨石と意識を繋げる

途中、奥宮である御山神社にて参拝とご神事をし、最後は頂上にある巨石群の中で、自分ともっとも縁が深い巨石と意識を繋げて“弥山”のお役目は一段落して下山しました。

今回の広島、および宮島訪問が、果たして宇宙的にどのような意味があったのかわかりませんが、個人的には今年の今の時期にこの地へ訪れたことは、非常に意味が深いものであったように感じます。

22
※平和記念公園内の慰霊碑にて(12/1)

広島講演の直前には、平和記念公園内にある慰霊碑にて世界平和を心からお祈りをさせて頂きました。

我々は、二度と過去と同じ過ちを犯してならず、その過去とは近代の戦争だけでなく、前文明、そして地球に来る前の過去も含めてです。

日本人の祖先誕生の広島、宮城に起こった原爆投下と大地震(東日本大震災)、果たして偶然か意図があっての必然かわかりませんが、もう、人間同士だろうが宇宙人同士だろうが、馬鹿げた争いは終わりにして、早く真の世界平和を実現したいです。

そのためにも「天下泰平」の名に恥じない生き方を今後も続けて行きたいと思います。