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※木削り師「滝本 ヨウ」さん

自然を意識し、人間本来の姿を映し出す木削り(「Daily LALALA」より)
 世界でたった一人の木削り師、滝本ヨウさん。滝本さんはロサンゼルスを拠点とするアメリカと日本で3ヶ月ごとに木削り教室を開催する。

 「木削りとは、自分がイメージするものを作ることではなく、木を主役に木が望む形を作ることです」。自分が作りたい形が決まっている場合は、その形を作ろうとして木の固い部分にひっかかる。「しかし、ひっかからないように心地よく削っていくと、その木の自然な形が現れてくるんです」

 主役は人間だと教えられ、決められたモノ作りを行う学校や社会。「自然が主役だった時代を離れ、人間が主役になり、必要以上の食料確保や森林伐採などの結果、人間が自然界のバランスを崩しています」。しかし、人間は本来、自然の中で生かされている存在であることを気づかせてくれるのも木削りだ。

「樹齢1000年以上の大木と出会うと感動しますよ」。

滝本さんの出身地、和歌山県熊野地域にある玉置神社には、樹齢3000年の杉の木がある。木削り教室では、このような大木をはじめ、拾った木片などを14~15種類用意する。木片の説明をすることなく、ただ並べているだけでも、人々が手に取っていくのがこの老杉の木片なのだという。「その木自体が何かを発信しているんでしょうね」

 テレビが普及する前の昭和30年代、幼少期を熊野の森や川で過ごした滝本さん。「切り出しナイフを使って木を削る遊びも行いました」。木造の建築好きが高じて南カリフォルニア大学の建築学部に入学し、卒業後は東京で20年以上都市計画に携わった。「住民や地域と関わる将来の〝まちづくり〟に惹かれました」

 ところが、実際に滝本さんが行ったのはリゾート開発という名の自然破壊だった。そして、少年時代に感じた自然を愛する気持ちと反対の立場を取る仕事が、ストレスになったと明かす。「そんな時、木工家の親友が気晴らしにと贈ってくれたのが切り出しナイフでした」。木という自然に触れながら削る行為が滝本さんに心の癒しをもたらし、最終的には木削り師になるきっかけに。

 「木削り教室に参加して、できあがった作品に感動する姿を見ることが木削りの魅力です」。特に、子どもたちはとても素直で幸せそうな顔をするという。今年4月には、宮城県気仙沼市の中学校で木削り授業を行う機会も得た。

 「木削りを通して、本来の素直な自分と出会ってほしいですね」。木を削って磨きながら自分の手で作った作品をすばらしいと感じる。これを通して、自分のことを好きになり、本来の素直な自分に戻っていけるのが木削りだ。「木削りを、次世代のふるさと作りを担う子どもたちにもっと伝えていきたいです」。現在、著書も執筆中の滝本さん。木削りを通して多くの人たちの心を癒してくれそうだ。

《 プロフィール 》
滝本 ヨウ
1949年和歌山県生まれ。横浜及びロスアンゼルス在住。18歳でカリフォルニアに移住。南カリフォルニア大(USC)卒業後、東京で22年間都市計画業務に関わる。1998年<ふるさと工房HOME>を設立。木削り教室を、日本及びアメリカで開催しながら、広い視野で地域生活圏をベースにしたふるさとづくりを推進中。(転載終了)

「木削り」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

言葉だけを聞いたら「木を削って何か作品を作ること」と思い浮かべるかもしれませんが、それは一般的には「木彫り」と呼ばれているものであり、「木削り」「木彫り」は、本質的にはまったく異なる作業のようです。

“人間が主役”となって人間が作りたいイメージを形にするのが「木彫り」で、一方“木が主役”となって木が望む形を作るのが「木削り」であり、どちらの善し悪しはなく、単純に主役の立場が異なっています。

また、作る作品の使用目的があって木を加工するのが「木彫り」ですが、木の望む形を作る「木削り」には、当然ながら作る前から何が出来るのかは神のみぞ知るというか木だけしか知らず、最初から「こういった作品を作ろう」という目的はないので、出来上がった作品に何の使い道がないのも「木削り」の特徴かもしれません。

ただ、今の社会では「木削り」を教えてもらうことはなく、小学校の図工の時間でも「木彫り」だけが教えられ、子ども達が課題を与えられて作らされたり、もしくは自分達が作りたいものを自由に作ったりします。

木に触れてイメージを具現化する手作業、それ自体は決して悪いことではないのかもしれませんが、そこには常に自分(人間)が中心(主役)という“我(が)”が入ってしまい、また人間が主役である「木彫り」は、どの作品が上手いか下手かの優劣が生まれる“ナンバーワン”の競争の世界に組み込まれてしまいます。

しかし、木が主役である「木削り」は、誰がどんなものを作っても成功も失敗も上手い下手もなく、何の使い道がない作品でも、すべてが完成した“オンリーワン”の世界観であり、これから先は「木彫り」だけでなく「木削り」という作業もまた、次の時代を作る子ども達の教育には必要だと思います。

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冒頭でもご紹介した、通称「木削りヨウさん」と呼ばれる“滝本ヨウ”さん。先日にここ八ヶ岳にもやって来て、自分も大人と子どもが混じった“木削り教室”に初めて参加しました。

ヨウさんは、アメリカ国籍の日系アメリカ人で、現在はアメリカと日本を3ヶ月間ずつ交互に過ごして各地をまわり、そこで木削り教室を開催しながら、大人や子ども達に「人間は本来自然の中で生かされている」などの大切なメッセージを伝え歩いている、世にも珍しい「木削り師」という職業です。

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※木削り教室で使う“切り出しナイフ”

ヨウさんは、かつて日本の企業でサラリーマンをしている最中に仕事のストレスが原因で精神的に体調を崩してしまい、およそ3年間ほど鬱状態が続いてしまったようです。

そんな時期が続いたある時、クリスマスプレゼントで木工家の友人が“切り出しナイフ”を送ってきてくれたのがきっかけで、そこで気分転換に木を削り始めたところ、そこで最初に思い浮かんだ光景が、子どもの頃に切り出しナイフで夢中になって遊んでいた楽しい思い出だったようです。

「木削りを始めた理由は最初は自分のためだった」と本人も仰っていたように、ヨウさんは楽しかった過去を思い出しながら木に触れて、自分の癒しのために“木削り”を始めたようです。

やがて、いくつも作品が出来上がってくると、その中に「これは本当に素晴らしい」と他人からではなく、思わず自分で自分の作品を褒めたくなるようなお気に入りの作品が生まれ、もちろん“木が主役”ではありますが、そのお手伝いで素晴らしい作品を生み出すことが出来た自分を少しずつ好きになり、それを繰り返すことで、鬱状態だった時には「仕事もできない」自分のことが嫌いで嫌いでしょうがなかったのに、最終的に自分のことを好きになるように大きく変わり、その結果様々な体調不良も改善されたようです。

この「木削り」の最大のポイントは、この「自分を好きになる」こと、そして“木が主役”であるという「主役は自分ではない」という立ち位置だと思います。

この現実世界での主役は自分であり、自分のやること成すことには自信と責任を持って行動することは当然ですが、それとは別に多くの人々が「自分が自分が」の自我(エゴ)のスタンスを貫き通してしまった結果が現代文明のこの惨状でもあり、自然を自分達都合で支配して破壊し、また人間同士も相手のことを考えるよりも、まずは自分のことを考え、やがて競争社会によって人間同士が争い、そして、その社会についていけない人達は本来の自分の心を失い、社会での立場も失っています。

「木彫り」そのものを否定するつもりはありませんが、その価値観だけに偏った洗脳教育や社会システムによって、私たち人間は大切なものを失ったまま大人へと育ってしまったので、今この転換期だからこそ、本当の自分を思い出し、本来の自分の心を取り戻すタイミングだと思います。

ヨウさんの場合は、それは自分が好きなことにただ夢中になれて楽しんでいた少年時代の記憶を思い出したことのように、大人になった私たちが本来の自分へと戻る一歩は、やはり“純真な子供心”だと思います。

「子どもの頃、あなたが心の底から夢中になって楽しんだことは何ですか?」と自分自身に問いかけてみると、意外な思い出がよみがえって、懐かしくも心がワクワクする不思議なスイッチがオンになるかもしれません。

また頭で考えるだけでは難しければ、そういった人は“木削り”などを体験して、その感覚を自然に思い出すのもよいと思います。

そして、このヨウさんの復帰体験が象徴するように、まずはどんな分野のことでも良いので小さな子どもには、何か“夢中になれること”を体験させておくのは大切だと思います。

だからといって、テレビゲームなども含めて何でも良いというわけではなく、出来れば人間の作った遊びや体験ではない、自然から学び体感できる“本物の体験や経験”がベストであり、そういった中で“木削り”は、自分を好きになるし、また自分が一歩引いて相手や自然のことを考えられる最良のトレーニングだと思います。

まだまだ競争社会が続く中、しばらくの間は子ども達も傷つかないタフな心を作ることが大切であり、それでも傷ついてしまった場合でも、ヨウさんのように一度子どもの頃に“ワクワクスイッチ”が入っていれば、それが一定期間閉じられていたとしても、何かをきっかけにスイッチが復活して本来の自分の心を取り戻すことが出来る場合もあります。

自分を好きになることは、こういったタフで基礎となる心を作るだけでなく、自分が好きでない人に他人を好きになることはできないと言われているように、他人を想う心もまた、自分を好きにならないとできないと思います。

自分のことが嫌いで受け入れていない人が、どんなに人のため、世のためと想って働きかけても、それは潜在的には自己愛に飢えた自分のエゴによる働きかけとなり、やること成すことが空回りしてしまう結果になりがちです。

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※“シルバーパイン”という木

さて、今回初参加の“木削り教室”で自分が選んだ木は、この“シルバーパイン”というフィンランドの木。これを初めて使う“切り出しナイフ”で、無心になって木が望む形に削っていきます。

もちろん最初は雑念も多く、切っている最中も「こんな形にした方がかっこいいかな?」などと反射的に考えてしまうのですが、そうすると不思議と木の固い部分にナイフがひっかかり、上手く切れなくなったりします。

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そんなこんなで、ひたすら削って削って、最後に紙ヤスリと“トクサ”という仕上げに使う草で磨き上げると、なんとも不思議な形の作品が出来上がりました。一応全員タイトルをつけるので、名前は「方舟」

普段モノ作りをする機会などほとんどないので、本当に新鮮で夢中になり、何よりも自分の作品ができると、とても愛着があって嬉しいものです。一種の瞑想状態になるので、瞑想や内観が苦手な方には、無意識にできるので良いかもしれません。

ヨウさんの木削り教室は、以下のスケジュールで全国各地で開催されておりますので、ご興味ある方はお近くにお越しになった際に参加されてみて下さい。

http://www.h6.dion.ne.jp/~kikezuri/newpage1.html

また主催して呼び寄せるのも良いかもしれません。今の時代に必要なとても大切なことを、子ども達だけでなく大人達にも伝えてくれる“木削り師”から学べることは多いと思います。