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※リサ・ロイヤル『宇宙人遭遇への扉』

宇宙人遭遇への扉―人類の進化を導くプレアデスからのメッセージ
● 宮島の周辺には大規模な宇宙人の複合都市があった

プレアデス人は地球の大半の古代文明とかかわりを持ちましたが、中でも日本とは、深いつながりがありました。古代のプレアデス人にとって、とても縁が深い場所の一つに広島県の安芸の宮島があります。実はあの周辺には、その昔、大規模な宇宙人の複合都市がありました。ある地域は通信基地として、またある地域はプロトタイプの遺伝子実験や教育の場として使われていました。宇宙人の居住地域として使われた所もあります。宮島は一大文化交流センターでもありました。日本はレムリア文明圈に属していましたが、アトランティスとの交流もあり、宮島近郊のある都市(※のうが高原)には、アトランティスからの使節が派遣されて文化交流が盛んに行われていました。

宇宙人との交流が盛んだった古代の日本は、当時、南米にあった文明とも交流していました。同じ宇宙人たちが、当時の南米や日本と交流していたとも言えます。このほか日本には、奈良県の天川、丹後半島の天橋立、宮城県の松島を始めとする東北地方など、超古代に宇宙人が行っていたプロトタイプの創成・教育計画と縁の深い地が数多くあります。特に宮島周辺は、プレアデスと地球をつなぐ世界有数の「扉」の一つです。
宮島周辺でプレアデス人がプロトタイプを教育していたのは、約3万年前から10万年前のことです。約1万1000年前、アトランティス文明が崩壊し、世界の多くの地域が太洪水などの天変地異に見舞われた頃まで、こうした都市には人々が住み栄えていました。(※リサ・ロイヤル『宇宙人遭遇への扉』《第10章 日本の役割》より抜粋)

 今から1万年以上も前の昔、現代文明が始まる大洪水前の地球において、日本の広島県は世界でも有数の異星人都市が栄えていたようです。

正確にいえば、地球外からの異星人と地球人が盛んに交流をしていた中枢地域であり、その中では、私たち日本人の祖先である縄文人を生み出すための遺伝子実験が宮島周辺で行われていて、また縄文人はプレアデス人によって様々な教育を受けていたようです。

異星人による人類創成実験、および教育と聞くと、現代の人類が行っている無惨な動物実験や動物園飼育と同じように捉えられるかもしれませんが、当時の多くの異星人は決して自分達を崇拝して神のように崇められるようなことを望んでいたのではなく、あくまでも地球と地球人の自然進化と繁栄を願い、やがて地球人が宇宙文明の仲間入りをすることを期待していたのだと思います。

それがいつからか、支配欲が強く、自らを“創造主”と名乗る異星人グループが現れて地球での管理実権を握り、同時に彼らを“創造主”として崇める地球人グループも現れて、どこかでお互いの関係性に変化が生じ、現代文明の開始とともに歴史や地上の舞台から異次元へと姿を眩ました異星人は、かわりに宗教というシステムを三次元世界で作り上げて自らを“神”と称して、長い間、地球人をマインドコントロールして支配し、この地球の歴史を巧みに操作してきたのだと思います。

とはいえ過去は過去、昨年より盛んに耳にする「新時代の到来」とは、この偽りの“神”の正体が暴かれて本来の“神”が姿を現すことでもあり、そして、それは単純に崇められる“神”ではなく、遠い過去に我々の祖先を生み出し、育てあげてくれた“親神”のような異星人グループであって、彼らが再び地球人と共に地球の再生と進化に関わってくれるタイミングがやって来ているのだと思います。

いずれにしても、日本には古代から残された“親神”の異星人グループとの繋がりの深い地域が各地に点在しており、その中でも宮島の弥山、および陰陽の対の関係にある“のうが高原”は、かつて彼らとの交流の中枢ポイントであっただけに、今とこれからの時期にとても重要な場所になると思います。

ただ、広島の宮島にある弥山は、すでに聖地としてだけでなく観光名所として有名となっているので、多くの人々がご存知かもしれませんが、もう1つの聖地である“のうが高原”は、よほどの聖地マニアの人か地元の人でない限りは、まだあまりご存知でないかもしれません。

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※広島県廿日市の町中から眺める“のうが高原”は現在は廃墟

“のうが高原”とは、広島県廿日市市(はつかいちし)の「野貝原山」にあった巨大なリゾート施設一体のことであり、現在はホテルなどの施設は廃墟となってしまっていますが、その姿を今も廿日市市の市内や宮島からもはっきりと眺めることが出来ます。

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※グーグルアースで上空から見た“のうが高原”の廃墟

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※現在は施設への立ち入りは禁止となっている

“のうが高原”の頂上は、バブル時代にホテルやキャンプ場などの施設が建設され、大規模な観光地化計画が進んでいたようですが、施設の建設を急いだために建設費が多額にのぼり、それに加えてバブルの崩壊とともに80年代には観光客が減少して倒産、あえなく開発は失敗して周囲一体はそのまま放置されてしまったようです。建物は野ざらし状態で廃墟となり、現在は周辺も含めて立ち入り禁止となっています。

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※ホテル内の温泉は磐座を利用した岩風呂があった(写真はネット上のもの)

そして、この“のうが高原”と呼ばれる「野貝原山」というのは、実は山頂を中心に山全体に巨大な磐座があちこちに点在している日本でも有数のピラミッド聖地であり、そんな山をリゾート地として開発する業者の考えも恐ろしいですが、さらに罰当たりなことに、ホテル全体は、まるで何かを封印するかのように磐座を内包して設計されていて、中でも高さ30メートル程もある巨大な磐座は、ホテルのメインでもあった岩風呂場に利用されていたようです。

この巨大な磐座の下側はセメントで固められているようですが、この上部だけでも高さ9メートルほどもある巨石であり、セメントの下側は、約20メートルほど下にあるボイラー室まで届いているようなので、実際の磐座の大きさは写真で見るよりもかなり大きいようです。

実は、この巨大な磐座は「ミロク台」と呼ばれる最も神聖な祭壇の岩であり、地元の人の話によるとホテルを建設する際には、この巨石にまつわる嘘のような本当の不思議な話がたくさんあったようです。

というのも、この「ミロク台」を移動させようにも重機の車両が磐座に近づくとエンジンが止まり、仕方なくダイナマイトで粉砕しようにも火がつかなかったり、しまいには手を出そうとする作業員が次々に不幸に見舞われ、やがて死人も出るようになったそうです。

そのため「ミロク台」を移動させたり破壊することはあきらめ、逆にホテルの経営者は、この磐座を活用した温泉施設を造ることを思いついたようですが、まさか完成後のお風呂に入っていた観光客は、そんな磐座が温泉内にあったとは思わずに、巨大な自然の巨石群をお風呂場の1つのオブジェとして捉えている人が多かったのだと思われます。

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※塔岩と呼ばれる巨石群

この祭壇である「ミロク台」を見るだけでも、かなり大規模な祭祀や巨石文明が栄えていたことがわかると思いますが、廃墟のホテルを少し離れたところには、他にも様々な磐座や巨石群が存在しており、その中の1つに“塔岩(とういわ)”と呼ばれるポイントがあります。

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※5個ずつの岩が2つ並んで積み重なった合計10枚(十岩)の巨石がそびえ立つ“塔岩”

この“塔岩”は、説明書きにあるように5個ずつの巨石が2つ並んで積み重なり、遠くから見ると「V字型」の形をした巨石群なのですが、残念ながら現在は1つの塔が崩れ落ちてしまい、もう1つの塔しか残っていません。

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※崩壊前と崩壊後の“塔岩”の比較写真(サンデー毎日)

この片方の塔が崩壊したのは、今から30年前の1984年のことであり、偶然にも毎日新聞の「サンデー毎日」という雑誌の取材陣が日本の巨石群として“塔岩”を取材する予定になっていた前日の日であったようです。

この「天の計らい?」によって、残念ながら“のうが高原”の巨石群の中でも最大規模であり、日本や世界に誇る古代文明の遺跡は、取材陣のカメラで捉えることは出来ずに世の中にオープンにされることもないのかと思われたのですが、実は崩壊前に地元の人が“塔岩”で記念撮影に残していた過去の写真が残っており、取材陣が同じポイントから崩壊後の様子を撮影した比較写真としては世の中に発信することが出来たようです。

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※“塔岩”の中には三角形の岩もあり、ちょうど真南を矢印のように差している

「一体誰が何の目的で、この地にこんな巨石をどのように積んだのか?」と様々な疑問とロマン溢れる“のうが高原”の巨石群ですが、当然ながら一般的な学者は「あれは自然の石ですよ」と苦笑いをしており、かつて海中にあった地域の水位が下がり、海中の岩石が露出しただけであるという見解を示しているようです。

しかし、これはエジプトのピラミッドがどのようにして出来上がったのかもはっきり分からないような学者達の見解であり、そして何よりも実物の“塔岩”を見れば一目瞭然で、完全に真南や東西を差す方位石があったり、岩と岩を支える部分に別の岩を差し込んで補強していたりと、これらは明らかに人為的に積み上げられて造られた巨石群であると思います。

そして、本当に“塔岩”が崩壊したのは「天の計らい」なのかは疑問の残るところであり、“のうが高原”の管理者によると「地震によって崩れ落ちた」と説明しているようですが、地元の人々の話を聞く限りでは、その日にこれほどの巨石が崩れ落ちるほどの地震などは一切発生していなかったようです。

そうすると、誰かが意図的に岩を崩したケースも考えられ、実際に地元の間ではダイナマイトなどを使用して人為的に倒壊させたという噂も出回っているようですが、どうやら現実的にこういった巨石群を破壊し回っている組織が存在しているようで、この“のうが高原”も彼らの標的にされた可能性が高いようです。

その理由は様々あるようですが、近い過去であれば日本と古代ユダヤの繋がりなども分かってしまったり、古い過去であれば日本人が異星人との繋がっていたことが分かってしまったりと、いずれにしても現代社会を支配している人々にとって都合の悪い歴史や真実が次々に明らかになってしまうからのようです。

そう考えると、この“のうが高原”がリゾート地として開発されたのも果たして偶然に選ばれた地域だったのか、そして磐座を囲むようにホテルを作ったのも偶然だったのかも疑問が残ることであり、もしかすると日本人の復活を拒む大きな勢力の壮大なプロジェクトの一環だったのかもしれません。

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※無人の第一ゲート

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※有人の第二ゲート

倒産して廃墟となった今も、一般の人々が“のうが高原”に訪れることはできず、山頂へと登る一本道は第一ゲートと第二ゲートの2つのゲートによって厳重に管理されており、そのゲート以降に昔から土地を持っていた地主の方などでないと、基本的には「廃墟が倒壊の可能性があって危ないから」という理由で立ち入りは禁止の区域となっています。

しかし、この管理費だけでも年間に数千万円という膨大な金額となっているようなので、本来であれば、それだけの金額が毎年無駄にかかっているのであれば、早い段階で廃墟の施設を撤去してしまった方がよっぽど安上がりで良いのでしょうが、それを意図的にしないことを考えると、どうやらあれだけ目立つ場所に今もなお廃墟として残し続けているのは、恐らくはお金の問題だけではない別の理由があるのだと思います。

果たして「神の計らい」によって、聖地の場所が汚れないように一般人を近づけないための立ち入り禁止なのか、それとも「人の計らい」によって、聖地の封印を解く人々が、簡単にこの地に訪れないように結界としてのシステムを担っているのかは分かりませんが、とにかく「ミロク台」に至っては今もなお廃墟の中に無惨な姿で封印されており、せめて昔のように大空の下で日の目が見るような状態に戻さないといけないのは間違いないと思います。

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※古代の高貴な方が眠っている“高貴人墳墓”

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※1万年以上も前に接着された石がいまだに剥がれずに残っている“タイル石”

ということで、噂に聞く聖地であり、通常は絶対に訪れることが出来ない“のうが高原”ですが、ひょんなご縁から現地に入れるタイミングがあり、3月23日に頂上の様々な巨石群を訪れることが出来ました。

そして、この地に封印されし神々へのお詫びと目覚めのお祈りをし、再び現代の日本人が宇宙と繋がることを願ってきましたが、出来ることなら早い段階で現実的に廃墟が撤去され、お風呂の磐座も元の姿に戻ることを祈っております。

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※日本ピラミッドの葦嶽山

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※宮島の弥山

ところで日本列島の各地には、一般的に「日本のピラミッド」と呼ばれている山がいくつも存在しておりますが、その中でも山中に「岩石祭祀遺構」と呼ばれる岩石が見られるのは、大石神(青森県)・黒又山(秋田県)・五葉山(岩手県)・千貫森(福島県)・尖山(富山県)・位山(岐阜県)・石巻山(愛知県)・東谷山(愛知県)・ 三上山(滋賀県)・三輪山(奈良県)・日室ヶ嶽(京都府)・葦嶽山(広島県)・弥山(広島県)・野貝原山(広島県)「14の聖なる山」であると言われています。

その中で広島には3つもピラミッドの山があることからも、この地が原爆で狙われているほどの特殊な地域であるのが分かりますが、実は、22日には広島県庄原市本村町に位置する日本の代表的なピラミッドとして有名な“葦嶽山(あしたけやま)”へと登山しており、また24日には“のうが高原”の対であり拝殿とも言われている“弥山”にも登頂してお祈りをしてきました。

そしてご存知のとおり、3月21日の春分の日には奈良県を代表するピラミッドの“三輪山”へと登頂しており、この4日間は連続で登山をしていて、実はすべてが「日本のピラミッド」と呼ばれている聖なる山であり、異星人との交流が深いポイントでした。

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※当日に山の麓でUFOを目撃した方の描いた絵

その甲斐あってか、最後の“弥山”の参拝を終えて下山した後、再び宮島より“のうが高原”を望むと、今までなかった円盤状の発光体が山の中腹で輝いており、後ほど山の麓の間近を通った別の方が同じ場所で巨大なUFOが浮遊しているのをはっきりと目撃したようなので、どうやら“のうが高原”に巨大なUFOが降臨していたのは間違いないようです。

これもまた地元の人々の話によると、古来より“のうが高原(野貝原山)”には空から光が降臨する伝説が数多く存在し、江戸時代の文献や明治時代の目撃情報でも、まるでUFOのような発光体が山へ降りてくるという話はたくさん出てくるそうです。

それも、その場所が崩壊した“塔岩”であったそうなので、確かに宮島から見えた発光体は場所的には“塔岩”があった付近であったかもしれません。

かつての聖地が再び力を取り戻したのか、それとも単なる偶然だったのかわかりませんが、日本にはまだまだ計り知れないほどの不思議な場所がたくさんあり、この国は未知のエネルギーや偉大な存在によってしっかりと守られていることを感じる旅となりました。

とはいえ、その多くの磐座などの聖地が汚れたり封印をされていて、中には破壊されている場所もあるとも聞きますので、早くそういった地が元の力を取り戻し、本来の力が発揮されることを改めて願うのみです。