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※海抜マイナス400mの死海からの日の出

 過去の日本人の中には「祖国のために腹を切って死のう」という大和魂を持った侍は何人もいたのかもしれませんが、自分だけ死ぬならまだしも「今から家族を殺し、仲間も殺し、そして自分も死ぬんだ」と言われ、それを実行することが出来る民族は、世界中において今も昔も普通ならいないと思います。

しかし、今から2000年近く前の西暦73年、古代のユダヤ人は、それを実行に移した民族でありました。

そして、それがユダヤ人国家のイスラエルという国の最後の時であり、1948年に改めて国が再建されるまで、彼らが世界中をさまよい続けるスタートにもなったのです。

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※鉄壁の要塞マサダ

その悲劇の舞台は、イスラエル東部の死海西岸近くにある“マサダ”という古代ローマユダヤ属州時代の要塞の遺跡であります。

“マサダ”とはヘブライ語で「要塞」を意味しており、紀元前120年頃に標高約400メートルの岩山に鉄壁の要塞として建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修したものです。

西暦66年にローマ帝国との戦争が始まり、70年にティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムが陥落した後、熱心党員を中心としたユダヤ人967人が、指導者“エルアザル・ベン・ヤイル”に率いられてマサダに立てこもり、ローマ軍10000人がこれを包囲しました。

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※ローマ軍はマサダの要塞まで高い道を作って城門を破壊した

10倍近くの戦力の差、本来であれば戦いにもならない戦争ですが、マサダは古来より難攻不落の要塞として有名な場所であり、ユダヤ人たちは要塞の中で水と食料を自給しながら3年近くも抵抗を続けました。

しかし、73年についにローマ軍によって城門を破壊されて攻め落とされ、そこで陥落直前にユダヤ人たちがとった行動は、今もなおユダヤ人だけではなく、世界中の人々へと語り継がれるほど壮絶な最期を迎えました。

なんと彼らユダヤの民は「投降してローマの奴隷となるよりは死を!」と、証言を残すための2人の婦人と5人の子供を残して、960人全員が集団自決を選択したのです。

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※集団自決を決めて報告された会場

その集団自決の方法が考えられないほど壮絶であり、いよいよイスラエル没落最期の晩となった時、当時のユダヤ人リーダーであるエルアザル・ベン・ヤイルは、男達を100人ほど1つの部屋へと集め、そこで明日にはローマ軍が要塞へと入り込み、もはや自分達が滅ぼされる運命であることを伝え、その上でユダヤ人としての名誉と誇りにかけて、ローマ人に殺される、もしくは奴隷にされるよりは全員で死ぬことを選ぼうと提案しました。

そこに反対する男達はいなく、彼らは部屋を出ると各自自宅へと戻り、自らの手で愛する妻や子ども、家族全員を殺し、そして再び男達は集結し、その中でくじ引きを引きながら殺す者、殺される者を順番に選んでいき、最後の1人になるまでそれを続け、最後の1人は自ら命を絶って自決しました。

なぜ、こんな方法を選択したかといえば、日本人は「切腹」「腹切り」という言葉が古くからあるように、自分の誇りや祖国のために自らの命を絶つことは必ずしも不名誉なことではない風習でありましたが、ユダヤ人は真逆であって、彼らはどんな逆境であろうとも、決して諦めずに最後まで生き抜くことが民族としての誇りであり、基本的には自決という選択は信仰の中でもタブーであったからだそうです。

そのため、全員が自らの命を自分の手で絶つ方法を選ぶのではなく、まずは男達が自らの手で家族や仲間を殺し、最後に残った1人だけが自決するという、神との約束の中で彼らの考える最善の方策をとったようです。

祖国のために限らず、何かの時は家族や誰かのために自らの命ならば惜しむことなく提供できることもあるかもしれませんが、自らの手で愛する家族に手をかける男達の気持ち、そして愛する主人、父親によって殺される妻や子ども達の気持ちを考えると、それは想像を絶する状況であり、現地に行ってその話を聞いていると、何ともいたたまれない感情が溢れてきました。

ユダヤ人という民族は、単純に国を失って2000年近くもさまよい続けた時間の長さだけでなく、国を失った最期の状況があまりにも壮絶であり、そして2度と同じ悲劇を繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式は、このマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓うそうです。

現代にまで残り続けるユダヤ人の強固な団結力と民族魂は、こういった過去の犠牲によって繋がっており、この気持ちは長い間弾圧と迫害を受け続けたユダヤ人にしかわからないものなのかもしれません。

とはいえ、日ユ同祖論の視点からもユダヤの祖先は日本の祖先のことでもあり、マサダの頂上にて、960人の魂が安らかに眠り続けるようしっかりと祈らせて頂きました。

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ところで、いざ襲撃してマサダに突入したローマ人は、当然ながらどの家を訪れても全員が死んでいることに大変驚いたそうですが、もう一方で驚いたのは、マサダには、7、8年ほど生活出来るほどの食料や水の備蓄がされていた点であったそうです。

その前にもローマ軍と3年近く戦い続けていたので、当時のユダヤ人は、一度も下に降りることなく、このマサダの岩山の不毛の地において10年間は全員が生存出来るほどの完全な自給自足と備蓄の生活環境を生み出していたことになります。

そこには水を貯蔵する貯水槽をいくつも造り上げており、動物も飼育していたようで、さらには動物の糞によって野菜なども栽培する循環システムも構築し、彼らはどんな過酷で悪条件の場所でも、知恵をフル活用して生き抜く力を古代から持っていたようです。

これが現代ではなく、2000年近く前のことだというのですから、やはりユダヤ人の生きるための知恵や技術力は昔から圧倒的に優れていたのだと思います。

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※花柄のモザイク画

また、現代も世界遺産として様々な建造物が残っているマサダですが、その中にはヘロデ大王の神殿も存在しており、そこには2つほど大きなモザイク画も残されております。

その1つが、まるで16菊花紋のようにも見える花柄のモザイク画であり、ここでも古代イスラエルと日本の天皇家との繋がりを少し感じさせます。

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※破損が激しい現物のモザイク画

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※復元されたモザイク画

そして、もう1つのモザイク画は破損が激しくわずかしか残っていませんが、ヘロデ大王の神殿遺跡の近くに当時の神殿を再現した模型があり、その模型で各部屋を覗くとモザイク画も復元されていました。

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※フラワー・オブ・ライフ

すると、そこに復元されていた模様は“フラワー・オブ・ライフ”とも呼ばれている「古代神聖幾何学」と大変似ているものであり、偶然なのか必然なのか、ちょうど自分の携帯の裏には“フラワー・オブ・ライフ”のシールが貼ってありました。

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※携帯の裏に貼っていた古代神聖幾何学のシール

これだけではわかりませんが、それでも恐らくは古代のユダヤ人は宇宙との繋がり、超古代文明の叡智も引き継いでいたのだと思います。

マサダ、これからイスラエルを訪れる機会があれば、是非とも訪れてみて下さい。