14

神内神社(子安神社)
イザナギ、イザナミが神々を産んだ森と巨石信仰
「神内(こうのうち)神社(別名 子安神社)」は、岩山の岩窟を御神体に祀った原始神道の匂いを色濃く残す神社。かつての熊野には、巨岩や巨樹を祀った神社が幾つもありましたが、その多くが明治の神社合祀により消滅してしまいました。しかし、神内神社のような自然崇拝の聖地に足を運ぶと、日本人が抱いてきた“信仰のルーツ”を体感できると思います。

56

鳥居近くになるホルトノキは、子安神社の御神木。大地をわしづかみにしたような根が石を巻いて抱え込んでいる姿が、お腹に子を宿したように見えることから御神木になりました。境内には、力強くコブがむくむくと盛り上がったような照葉樹の巨樹が多く、シダ類をはじめ、約300種に及ぶ植物が繁茂した樹叢は県の天然記念物に指定されています。
神社の左右から大岩に挟まれた石段を上ると、木々が生い茂る鬱蒼とした境内には、巨樹と巨岩の織り成すエネルギーが蠢いています。
神内の由来は、この近くの「逢初(あいそめ)の森」でイザナギとイザナミが一女三男をもうけたことから、ここを産土神社と崇め、村の名を神皇地(コウノチ)としたと記されていたためと伝えられています。
地元の人には、安産と子どもの健康を守護する「子安神社」として親しまれ、安産を祈願する母親たちが奉納した赤ちゃんの涎かけが犇めくように数多くかかっています。

25

その無数の涎かけの向こうに原始の姿そのままを届めた巨岩が鎮座し、辺り一帯に巨樹が生い茂り植物が繁茂している…、これこそが熊野の信仰の姿。
原始の力を秘めた岩からは、自然物が放つエネルギーを越えるような、根源的で圧倒的な力が、周囲の巨樹が放つパワーと相まって伝わってくるようです。

13

境内から裏手に向かって歩き、木々の緑に覆われた岩山全体を見上げると、宇宙に向かって何かを発信しているような力強い磐座が頂に見えます。この岩は、神倉神社の巨岩と同様「ゴトビキ岩」と呼ばれていて、凄まじい存在感を醸し出しています。
また境内のすぐ近くにも、「古神殿」と地図に記されている磐座があります。以前は樹木に覆われた中に巨岩が置かれ、石組みから原始のエネルギーを放出している場所でしたが、ここは個人の所有地であるため、残念ながら現在は木々が刈り払われて以前の面影を失ってしまいました。そでもここが、古代の重要な祭祀場であったことは、その地に立てば、まごうこと無き事実だと確信できるでしょう。(「聖地をたどる旅 熊野(原 水音)」より転載)

 もともと神社にも磐座にも一切興味のなかった人間が、突如そういった場所を訪れるようになったのは、昨年の夏至近辺の6月18日に六甲山の「セオリツヒメ」の磐座のある「六甲比命神社」を訪れたことからすべてが始まっています。まだ一年足らず前のことです。

【天照大神の后である瀬織津姫】

この時に歴史や神社から姿を消してしまった王妃「セオリツヒメ」、また本来伝承されている女性神としての「アマテラス」という存在も真実とはだいぶ異なっている可能性があり、このことから「歴史は勝者によって作られる」という言葉通り、今教えられているほとんどの歴史というのは、時の権力者によって都合良く作り替えられているかもしれないとお伝えしました。

そんなことから、日本史も神話もまったく無知の人間が少しずつ日本の神社や磐座を訪れることになり、そこから日本の真実の歴史を模索するようになったのですが、結論からいえば、この短期間のうちにわかったこととしても、明らかに日本の歴史どころか、この日本という国の建国そのものにも真実とはだいぶかけ離れた血なまぐさい過去が隠されているのは間違いないように思えます。

日本という国が初めて統一されて約1500年、それ以前には日本列島を治めた統一王朝はなかったとされて、現代の日本人のほとんどすべての人が今の日本が真実の日本の姿そのものと思っていますが、本当の日本という統一国家が存在していたのは、1500年どころか、もっともっとずっと古い時代からであり、逆にいえば、わずか1500年間だけ一時的に別の日本となって、本来の日本人ではない人々に日本を貸していた状態となります。

貸していたといえば言葉は良いですが、悪くいえば乗っ取られていたと言っても過言ではなく、今もなお、政治や財界、宗教やメディア、それこそ芸能界の世界に至るまで、日本人のようで日本人のルーツとは異なった人々が実権を握っていることは、決して都市伝説ではなく多くの人々にも知れ渡ってきていることです。

しかし、この日本のレンタル期間も20世紀までで終わり、21世紀に入ってから着実に元の日本に戻る動きが強まり始め、そして昨年の伊勢神宮と出雲大社のダブル遷宮を中心に、相反する2つの“日本”“日本人”の和合が発生し、これから古い日本に戻るだけでなく統合された「新生日本」が生まれようとしています。

そして、その「新生日本」こそが、この荒れ狂った世の中や地球を再生させ、世界の人々を導き、真の世界平和と地球環境の安定化を実現させることになると思います。

とはいえ、国家とは、そこにいる「国民の集合体」であり、もっと厳密にいえば、その国民の「集合意識体」でもあり、そういった意味からも、これから先の日本人、そして日本人の持つ「精神性」「想念」というものが、この先の世の中の行方を決める重要な存在になって来ると思います。

その中で、今は気づいた人々が個でいるだけでなく、横に繋がり線となり輪となって共に力を合わせて歩んで行くタイミングだと思います。

本来のヤマト人として肉体のDNAや魂の霊統を受け継ぐ方々にとって、このレンタル期間中の日本という国家は地獄のような世界であり、ずっと暗いトンネルの中をさまよっているような苦しく窮屈な人生であったかもしれませんが、いよいよ本来の自分を全開にオープンに出来る自由な時代と国の始まりであり、これから本番の国づくりと世の立て直しが始まると思います。

その過程においては、この現代日本も世界の社会全体も一時的に崩れ落ちてしまうような光景を目の当たりにするかもしれませんが、すべては創造のための破壊であり、散り行く花吹雪に目を奪われず、地面で産声を上げた新しい芽を皆で淡々と育て上げていくことが大切だと思います。

01

14

熊野の聖地巡礼の中で訪れた、三重県南牟婁郡紀宝町神内にある「神内神社」。冒頭の説明通り、この神社は巨大な岩を御神体として祀られていますが、この神社の境内の一部には神武天皇や明治天皇を祀っている場所もあり、また明治天皇も実際に訪れている場所です。

街から外れた地方の小さな神社にも関わらず、なぜ明治天皇がわざわざ訪れているかといえば、この地が天皇家にとってはただならぬ場所であり、それは単なる聖地として参拝よりも、祟られることを恐れての鎮魂の参拝だったのかもしれません。

この熊野の地は、まさにレンタル日本となる前にあった元の日本である「スサノオの国」の末裔が追われて身を潜めていた地域であり、この地に当時の王も鎮座していたとも言われています。

31

実際に地元の人の話を聞くと、御神体の麓の岩には現在のように社が作られる前は“すだれ”だけがかけられていたりと、これは過去に王がいたことを意味することや、崖の部分には誰かが実際に生活していたような洞窟のようなものも見受けられます。

42

45

聖地やパワースポット巡りといえば、今は若い女性の間でも神社巡りが人気となっていますが、確かに多くの神社は地震を治めていたり、様々な意味でエネルギーが吹き出す聖地である場所も実在するとは思いますが、中には見かけだけ立派な建物で神様もいなく、人のエゴの想念ばかりが渦巻く神社もなきにしもあらずなので、せっかくなら磐座のある神社や磐座そのものを巡ってみるのも良いかもしれません。

「なぜ、日本には磐座が存在しているのか?」ということに関しては、このレンタル日本を治めてきた人々にとっては摩訶不思議なことであり、いわゆる倭人、縄文人の文明や叡智に疑問や好奇心を抱きつつも、それを脅威ととらえ、一部の磐座などは今もなお破壊されたり封印されています。

この磐座にこそ、現代人がこれから新しい世界を創っていくことに必要なエッセンスが濃縮されており、その叡智を現代的にアレンジして活用していかなければなりません。

多くの人々が訪れることで汚れてしまう磐座もあるかもしれませんが、多くの人々に認知されることで守られる磐座もあると思いますので、是非とも今まで日本のことや磐座に興味がなかった方々もお近くに気になる磐座などがあれば、一度気軽に訪れてみてくださいね。