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 「自分の国がいつ、どのようにして誕生したか?」について、世界中のほとんどの国の人々は大人から子どもまで当たり前に知っているのに、残念なことに「日本という国家がいつ誕生日したのか?」について、正確に答えられる日本人は2%しかいないと言われているほど、他の国では常識であることが日本では常識ではありません。

紀元前660年に即位した初代天皇である神武天皇から始まり、世界最長の王朝の歴史を持つ日本という国は、今年で2674年という世界一長い歴史を持つ国でもありますが、これほど世界に自慢出来る真実を多くの日本人が知らないのは、日本民族を骨抜きにしたい人々の意図的な画策であり、このまま自国の歴史を失った民族の行く末は、自然災害や経済破綻が起こる前に、すでに滅亡の道を歩んでいるのは間違いないのかもしれません・・・。

そういった意味でも、残り98%の日本人、またこれから先の未来の日本人が、もっと日本という国の歴史を知り、選民思想や排他的にならない程度に自国に誇りを持つことは大切だと思いますが、その中において、より真実に近いことを知ることは非常に重要になって来ると思います。

「本当に日本には2674年の歴史があるのか?」

こういった疑問を持っている人もいるかもしれませんが、個人的な考えとしては、日本という国の歴史はもっと短くも長くもあると思っております。

「短くも長い??」という意味としては、現代の「大和朝廷から続く“日本”」としては約1500年ほどの歴史であり、それ以前から“日本国”という称号を持っていた「出雲王朝から続く“日本”」としての歴史は約3500年以上も続いていると思います。

それどころか富士王朝、現代文明以前のムーまでも含めたら、その系統は現代人類創成の約180万年前にまで遡り、そういった意味では日本という国はぶっちぎりの地球最古の文明国家となりますが、そこまでいくと“トンデモ話”となってしまうので、ここでは一旦は控えておきます。

ただ、これから先に様々な真実が明らかになって来る中で、日本のことを知らない残り98%の人々が日本についても多くのことを知ることになるでしょうが、その中において「紀元前660年〜」という日本の王朝の歴史が、必ずしもすべてではないということだけでも、まずは頭の中に入れておく必要はあると思います。

「歴史は勝者によって作られる」という言葉があるように、今にまで伝えられている地球上の歴史というのは、その時にタイムスリップして現実を見て来ない限りは、何が本当の真実であるかはわかりません。

世界最古の歴史を持つ国家である日本においては、国家誕生の時期が古いだけに、この問題は避けることができない重要なポイントであり、その中において出雲王朝(出雲族)、それと大和朝廷(日向族)との関係は切っても切れないもので、同時に“饒速日命(ニギハヤヒ)”“神武天皇”という2人の人物もまた、日本人ならこれから先に知っておく必要があるかもしれません。

この件については、以前の記事「ニギハヤヒと物部氏」の中で少し書きました。

ニギハヤヒと物部氏(2013年8月21「天下泰平」より)
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※ニギハヤヒ

※神武天皇と饒速日命(ニギハヤヒ)の関係

『日本書紀』と『古事記』によると、神武天皇(イワレビコ)と饒速日命(ニギハヤヒ)の出会いのあらすじは次の通り。

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「神武天皇(イワレビコ)は塩土老翁から、東方に美しい土地があり、天磐船で先に降りたものがいると聞く。そして彼の地へ赴いて都を造ろうと、一族を引き連れ南九州から瀬戸内海を経て東へ向かい、難波碕(現代の大阪)へたどり着く。その後河内国草香邑から生駒山を目指す。そこに土着の長髄彦(ナガスネヒコ)が現れたため戦うが苦戦する。神武は「日(東)に向って敵を討つのは天の道に反す」として、熊野(紀伊半島南端部)へ迂回し北上することにした。

菟田(奈良)に到達し高倉山に登ってあたりを見渡すと、八十梟帥が軍陣を構えているのが見えた。その晩神武の夢に天神が現れ「天神地祇を敬い祀れ」と告げる。その通りにすると敵陣を退治でき、続いて長髄彦を攻める。

すると長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽羽矢と歩靫を見せる。すると神武も同じものを見せた。長髄彦はそれでも戦いを止めなかった。饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、神武天皇に帰順して忠誠を誓った。

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「瀬織津姫(セオリツヒメ)」と同様に今年に入ってから至るところで目にしたり耳にするキーワードに「饒速日命(ニギハヤヒ)」という神様の名前があります。

ニギハヤヒといえば、上記のとおり神話の中では、日本の初代天皇となった神武天皇の東征の場面において登場する人物です。

神武天皇の東征とは、九州から大和地方へと勢力を伸ばしていった神武と元から大和地方に存在していたニギハヤヒによる大和の地をめぐる戦いですが、実際は、ニギハヤヒの家来であるナガスネヒコが直接の相手であり、この戦いは長引いて、なかなか決着がつかなかったようです。

しかし、終盤において戦いの最中に急に空が暗くなって雹(ひょう)が降り始め、金色のトビがあらわれてから状況が一変します。

このトビが神武の弓の先に止まると、その光のためにナガスネヒコの軍は幻惑されます。そして、ナガスネヒコはここで神武に使者を送ったそうです。

「私は、天から降られたニギハヤヒの命に仕えていますが、いったい天神の子は二人おられるのですか?どうして天神の子と名乗って、人の土地を奪おうとするのですか?」

それに対して、神武は以下のように答えたようです。

「天神の子は多くいる。もし、お前が仕えている人が天神の子なら、必ず天のしるしのものがあるから、それを示しなさい」

そこで、ナガスネヒコが、ニギハヤヒの「天の羽羽矢(ははや)」などを見せると、神武はそれが偽りでないのを認め、自分も同じものを示したそうです。

これで神武とニギハヤヒは同じ天孫族の一員だということがわかったのですが、それでもナガスネヒコは戦いをやめなかったので、その暴走を強引に止めるためにニギハヤヒはナガスネヒコを斬り殺し、そのまま神武に帰順して支配権を譲ってしまったのです。

そして、大和を平定した神武は西暦紀元前660年2月11日に、橿原の宮(かしわらのみや)で初代・神武天皇として即位したとされています。

この物語が真実かどうかは別として、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれており、大和地方には神武天皇の前に出雲系の王権(天皇)が存在したことを示すとする説が最近は有力となっています。

また、祭祀を司どる「物部氏」が、ニギハヤヒを祖神としていることにも何か重要な意味が隠されているようです。

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聖徳太子と蘇我馬子が著した「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」では、ニギハヤヒは「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、アメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一の神であるとされています。

これも真実かどうかはわかりませんが、1つ気になるのは「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」“天照”という名前であり、この正式名(?)から一部の間では、天照大神はニギハヤヒであり、それが故に天照大神は実は男性神であるという説も最近は話題となっています。

その説によると、天照大神であるニギハヤヒの后が「瀬織津姫」であるそうです。

そうなってくると、神様の男女に限らず系図もわけがわからない状態になってくるのですが、1つだけ確かなことは、歴史というのは「勝者によって作られる」という言葉があるように、時の権力者にとって都合の悪い史実がすべて作り替えられてしまうことは、日本に限らず世界中の歴史でも、また近代においてもよくあることです。

そういった意味で、現在の日本という統一国家が出来上がった背景というのは、学校で教えてもらったことも当然ながら、記紀神話などの歴史的な書物の多くにも真実は存在しておらず、とにかく今の日本を作った人々にとっては“本当の歴史(過去)”がわかってしまうものは、あらゆる手段を講じて世の中から封印して消し去ったことも考えられます。

つまり、そういった視点から考えると神武天皇が初代天皇ではなく、今の日本の元になる大和朝廷よりも前に日本列島には、すでに統一王権が存在しており、それが出雲の王であるニギハヤヒこそが隠された本当の初代統一王朝の天皇であるという説も満更ではないと思います。(転載終了)

以前にもお伝えしたように、冒頭の神話に出てくる「神武天皇の東征」というのは、これは実際は時代がずっと後の「日本武尊(ヤマトタケル)の東征」のことであり、よく初代神武天皇と10代崇神天皇(3世紀〜4世紀)が同一人物であるといわれているように、神武天皇が紀元前660年に初代天皇として即位したのではなく、後に渡来して日本の支配権を握った権力者達(日向族)が、自分達の流れを正当化するために強引に神武天皇を古代の人物に変えてしまい神話にして誤摩化したのだと思います。

それと同時に隠されてしまったのが、神武天皇以前に実在した日本の天皇達であり、その中で代表的なのが本当の意味で初代の統一王朝の天皇となったニギハヤヒであるようです。

そして、ニギハヤヒという人物は、ニニギの兄弟であるニギハヤヒから始まり、その息子とその孫の三世代に渡って同じ名前を世襲して存在していたようで、その三世代目が、統一王朝のニギハヤヒであり、これが「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」のようです。

だからニギハヤヒは、“男性神”としてのアマテラスとなります。そして、その時の后が「瀬織津姫(セオリツヒメ)」であったようです。

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ニギハヤヒにセオリツヒメ。歴史の舞台から姿を消してバラバラとなってしまった2人の神様。

2013年6月18日に、六甲山のセオリツヒメの墓を訪れて以来、行く場所行く場所がセオリツヒメとニギハヤヒのゆかりの地ばかりでしたが、それだけでなく「あなたはニギハヤヒと非常に縁が深い」と、自分のことを知らない各方面の人々から唐突に言われるケースが多々ありました。

またニギハヤヒはイエス・キリストとも同一神や同じ意識体とも言われており、その影響からなのかキリストとも縁が深いとも頻繁に言われます。

聖書も古事記も1度も読んだことがありませんが、ただ、確かに自分自身が自覚も意識をしてなくとも、本当に異常なくらい、この1年半はニギハヤヒやキリストに動かされていると思わざるをえないほど、それらに関することが日々シンクロとして起こっていました。

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2014年11月16日。奇しくも大和朝廷の流れを汲む今上天皇が奈良を訪問しているのと同じタイミングで、統一日本誕生の舞台であるヤマトの地である奈良へと自分も入っており、奈良のある場所に隠されている「ニギハヤヒの眠っているお墓」へと訪れていました。

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到着して空を見上げると、イスラエルでも地中海でキリスト意識に呼びかけた時に出現したのと同じような美しいが姿を見せました。

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※2014年4月、イスラエルにてキリスト意識に「分かりやすい合図を」と問いかけたら、突然地中海の空に“彩雲”が・・・

彩雲や虹は、ニギハヤヒやキリストと関連深い場所を訪れると必ずと言って良いほど出現します。この彩雲を見た瞬間、ここは間違いなくニギハヤヒ(キリスト意識)と縁が深い場所だと確信しました。

そして、一般には一切公表されていないニギハヤヒの墓と呼ばれる場所は、ひっそりとした小さな神社の境内の中に祀られており、竹やぶと16個のストーンサークルに囲まれた幻想的な空間の中央に巨大な磐座として鎮座されていました。

何気なくその磐座を参拝すると、同行して下さった方に突如ニギハヤヒより自分へとメッセージが降りました…。

「あなたには以前からニギハヤヒが一緒にいます。あなたの目はニギハヤヒの目であり、あなたが人々を見つめることで目を通してニギハヤヒの愛を人々に伝えられます」

このニギハヤヒからのメッセージが真実かどうかわかりませんが、何かとても胸に響くものがあり、また自分の中に感じていた何かの存在が、ニギハヤヒだったのかと思うと、何だかとても嬉しくも懐かしい気持ちになり、とても安らかな気持ちとなりました。

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すると、ニギハヤヒの墓に強烈な朝日が差し込み、その瞬間に太陽を撮影すると珍しい『丸十字』のクロスのシンボルが写りました。

やはり、ニギハヤヒもキリスト(イサヤ)も同じ“クロス”がキーワードとなっているようですね。

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そしてニギハヤヒの墓を後にすると、移動中の空に今度は目を疑うような立体的で神秘的な3Dの「龍の鱗」のような不思議な雲と光が差し込んできました。

よく見ると中央に、まるで3500年前に出雲王朝を生み出した日本の王である「スサノオ」を彷彿させるような迫力のある巨大な龍の顔まで見えましたが、何だか最初から最後まで天に見守られたような素晴らしい参拝となりました。

ニギハヤヒとセオリツヒメいう封印された太古の神々は今は完全に復活して1つになり、これからの新時代を切り拓くために大きな力となってくれることでしょう。

出雲と大和、日本とユダヤの和合により、間もなくスサノオ復活による新生日本が始まろうとしています。