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※八ヶ岳南麓から見える冬の富士山

 今年で2度目となる八ヶ岳の冬。朝起きれば、氷点下5℃〜10℃の世界。まさか自分が、こんな標高1000mの山の中に住むことになるとは夢にも思っていませんでしたが、氷点下の世界も2年目となると、あまり気にならないというか、どちらかといえば気持ちよく感じるもので、人間の環境に馴染む能力というのは本当に素晴らしいものだと日々実感しています。

「とはいえ、仙台(東北)出身だから寒いのは多少慣れているのでしょ!?」と思われる方もいるかもしれませんが、確かに生まれは仙台、本籍は秋田の人間ですが、幼少期からの育ちは埼玉であり、高校から東京の学校へ7年間通っているので、社会人になってからも含め、基本的に寒い地域で長く生活したことはありません。

そんな人間でも、今はダウンジャケットもなしに、氷点下の世界の中でも作務衣姿で下駄を履いてウロウロしているほど余裕も出て来ているので、寒がりの人も、あまり苦手意識や恐怖心を持たずに、是非とも冬の八ヶ岳に遊びに来て欲しいと思います。

ここは寒さなんか忘れてしまうほど、美しい冬山の景色が360度パノラマで広がっていますし、夜になれば満天の星空に目も心も奪われてしまいます。

定住を考える中、寒さがネックポイントになっている人も多いかもしれませんが、冬は暖炉や薪ストーブ、美しい大自然の景観を含め、寒さ以上に魅力的なことがたくさんありますし、また寒い冬を体感できるのもまた“経験”の1つであり、この経験を楽しむ癖がつくと、逆に厳しいと言われている冬が楽しくてしょうがなくなります。

ところで話は少し変わりますが、先ほど出身地や育ちの話を少し出しましたが、あまりブログでは自身の生い立ちに触れることも少なかったので、今年からは改めての自己紹介も兼ねて、自身についての情報もまた、少しずつ伝えていけたらと思っています。

ちょうど、昨年に“やつは”のメルマガ配信を始めた頃に、第一回目(2014年3月17日)から毎週1度に数回に渡って自己紹介のような内容を書いていたので、それらの内容を何度か分けてご紹介させて頂きますね。

《“やつは”メールマガジン(NO.1)》「はじめまして」
皆さん、こんにちは。

“やつは”の管理している滝沢泰平です。

この度は、ネットショップ“やつは”の会員登録、およびメールマガジンのご購読、誠にありがとうございます。

これから可能な限りは毎週月曜日のタイミングで、お店の情報やそれ以外のお話を含めたメールマガジンを配信させて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します。

さて、恐らく多くの方々がブログ「天下泰平」を通して私のことをすでにご存知かもしれませんが、ブログの内容はよく知っていても、それを書いている私本人のことについては、あまり詳しくはご存知でない方も多いのかもしれません。

ということで、第一回目の本日のメルマガでは、興味のあるなし関係なしに一方的に“滝沢 泰平”の自己紹介をさせて頂けたらと思います。


☆☆☆☆☆☆ 自己紹介 ☆☆☆☆☆☆

名前  :滝沢 泰平(たきさわ たいへい)
生年月日:1982年8月17日
血液型 :A型
利き手 :手は左利き、足は右利き
出身  :宮城県仙台市
現住所 :山梨県北杜市
趣味  :パソコン、ドライブ


よく、文章からだけだと「50歳以上のおじさんが書いていると思った」と言われますが、1982年生まれなので、現在は、まだ31歳です。

とはいえ、これは地球年齢、実は意識の記憶は数万年前から続いて・・・といかにもなことを言いたいところですが、そんな記憶も霊能力もさっぱりなく、ごくごく普通の子どもとして生まれ育って今に至っています。

私が生まれたのは昭和57年8月17日のお盆の最中、宮城県仙台市で8歳上と3歳上の兄のいる男三人兄弟の末っ子として生まれ、2歳からは神奈川県の藤沢市、4歳からは秋田県の秋田市、6歳から大学を卒業するまでは、埼玉県の入間市で育っています。

なぜ幼い頃から住まいも転々としているかといえば、家が転勤族であり、2年おきに転勤があって、実は兄弟3人とも全員出生地が違い、長男などは小学校を3つも通っています。

しかし、私が6歳の頃に埼玉県の入間市に来てからは、単身赴任として父親のみが単独で全国各地を転々とし、それから10年近く経って東京に常駐勤務するまでの間は、ほとんど父親と一緒に生活をした記憶はありません。

ただ、長男と私は8歳年が離れていたので、長男が父親がわりに色々と教えて面倒を見てくれましたが、さすがに育ち盛りの男3人兄弟を母親1人で慣れない首都圏で育てるのは容易ではなく、心身ともに負担が大きかったのか、私が小学校2年の時に母は乳がんを患いました。

幸いにも手術も成功し、1ヶ月ほどの入院によって元気になって自宅に戻りましたが、病気のショックとストレス、また薬の副作用もあってか、退院後も精神的に不安定な状態が長年続き、夜になると毎日「死にたくない」とうなされながら過呼吸を引き起こす母親を隣で心配して過ごしていた幼少期をよく覚えています。

そして「なぜ、母親がこんなに苦しんでいるのに父親はいないのだろう」と、孤独で病弱な母親を心配する一方で、父親に対する疑問も抱き、また同時にその状態を生み出している現代社会を批判的にとらえるようになり、子どもの頃に“なりたくない職業”のNo.1は「サラリーマン(会社員)」でした。

今思えば、団塊の世代真っ只中の父親は、当時であれば誰もが企業戦士として家族を顧みずに会社に尽くし、精一杯家族を養うために頑張っていたのでしょうが、そんなことは幼い私には理解できるわけもなく、単純に私が欲しかったのは、経済的に豊かな生活やお金よりも、ただ家族の健康と平穏な家庭生活だけでした。

「会社、社会の奴隷となって人生を尽くすことだけは避けたい」

とばかり考え、いかに人間が自由で幸せに生きられるかだけを模索するようになり、その結果、支配や権力に対する反発心は強く、親の言うこと、教師の言うことに素直に従うこともなく、彼らに「屁理屈!」と怒られながらも、絶対に自分の信念を曲げる子どもでもなかったので、きっと大人には扱いづらい子どもだったと思います。

とにかく大人顔負けで意見をもの申す生意気な私でありましたが、そんな私にも幼い頃より悩みに悩んでも解決できない大きな不安を抱えており、それが現在の価値観を生み出す原点にもなっています。

それは「死」に対する概念です。

母親は、絵に描いたような唯物論主義者であり、現実的なことしか考えない価値観であったので、前述したように「死にたくない」「人間は死んだら無になる」とばかり自身にも言い聞かせていたし、おまけに子どもにもそう伝えていたので、私の中でも「人間は死んだら終わり」という価値観を幼い頃から持ち、一方で「本当にそうなのか?」という疑問もずっとつきまとっていました。

そして母親の病気の発見は、本人が“しこり”に気づいたことから始まったのですが、私の首にも、生まれながら小さな“しこり”があり、それを見つけた母親は思わず「ガンかもしれない」と言ったことが、幼心にもグサッと胸に突き刺さり、「あぁ、もしかしたら自分もガンで生涯は短いのかもしれない」と本気で小学生頃から悩み、死についてばかり考えていました。

自分自身が小学生でいながらも、校庭で何も考えずに無邪気に走り回る同年代の子ども達を見ながら「みんなは元気で長生きできそうでいいな」と遠い目で眺めており、今思えば、生意気というか色々な意味ですでにおっさん、もはや晩年のおじいさんのような子どもであったのかもしれません。(続く)


《“やつは”メールマガジン(NO.2)》「少年時代の趣味」
こんにちは。
“やつは”の管理している滝沢泰平です。

前回お伝えしたとおり、毎週月曜日のタイミングで、メールマガジンを配信させて頂きます。

さて、本日は第二回目となるメールマガジンですが、その前に3月20日から旅に出ており、現在は広島県に滞在しているので、これは広島のホテルからの配信となります。

広島には昨年末に講演会で約7年ぶりに訪れましたが、この短期間で2回目の訪問となるのは、西日本としては珍しく、個人的にとても縁の深い土地だと勝手ながら感じております。

とにかく21日の春分の日からずっと続いている流れが、古代の巨石文明関係であり、その中心部分は太古の昔に異星人と地球人が交流していたであろう数々の証拠であり、ここ広島も日本のピラミッドといわれる聖地が各地に点在しており、その1つ1つを現在は訪れています。

なぜ、そんなことをしているのか?といっても、具体的な目的があるわけでなく、ただ委ねるがままに動いていると自然と聖地へと導かれ、そこでお祈りをすることになります。

とはいえ、昔からこういった旅をしているかといえば、神社や磐座を頻繁に巡るようになったのは、ここ1年未満のことであり、7年前に広島に訪れたのは学生時代の友人の結婚式で、その時に行った宮島も単なる観光目的で、記憶に残っているのは鹿くらいです。

信仰心もどちらかといえば薄く、いまだに一度も聖書も読んだことがなければ、日本の神様の名前もさっぱりで、どこに何の神社があるのかもよくわかりません。

そんな人間が、なぜ日本各地の神社や磐座を巡り、なぜ宇宙人のことまでも語るようになったのかといえば、どこかで大なり小なりターニングポイントがあったわけで、それがわかればすぐにでもお伝えしたいのですが、自分ではよくわからないので、前回に続き、今回のメールマガジンも過去の自分自身について少し触れておきたいと思います。

ということで、前回は「晩年のおじいさんのような子どもであった」という、生い立ちの一部をご紹介させて頂きましたが、今回はもう少し細かい点で、幼い頃にどんな子どもであったかを思い出せる範囲でお伝え出来ればと思います。

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『迷路と漫画に夢中だった子ども時代』

まず、記憶にある中で一番楽しかった遊びといえば、恐らくは3歳頃だと思いますが、それは「迷路」でありました。

リアルな迷路というより、子ども向けの迷路本が大好きで、新しい本がもらえればすぐに全部、それも何度も繰り返しやってしまい、今でも、その一部の迷路の内容をうっすらと覚えているほどです。

なぜ迷路が好きだったのかわかりませんが、とにかく迷路はどんなに迷っても、必ずゴールにたどり着けるものであり、それが今の原点となる価値観となって、世の中にある問題も解決できない問題はなく、どんなものにもゴールがあると確信しながら日常を生きています。

もちろん子どもの頃はただ夢中になってやっていただけで、根気よく、いかに最短ルートでゴールに辿り着けるかを楽しんでいるだけでした。

ただ、最初は指でなぞっていたのが、やがては目で追うだけでゴールまで辿り着くようになり、気づけば、簡単な迷路なら見た瞬間にある程度はゴールまでのルートが見えるようにもなっていました。

今思えば、無意識に脳の何かの機能をトレーニングしていたのかもしれませんが、おかげで大人になってからも地図は大得意であり、また何においても細かい一点を見るのではなく、全体をぼんやりと把握する視野や考え方が癖になっています。

やがて人の作った迷路にあきてくると、今度は自分で迷路を作っては解き、それも二次元の平面の迷路を書いていたのが、どんなに複雑にしても二次元の限界を感じ、そのうちに三次元の高速道路のインターのような立体的で複雑な迷路をたくさん書いては自分で解くという、かなりマニアックな世界を1人で探求していたと思います。

小学生頃になると、ガラッと遊びも趣味も変わってきて、幼少期は迷路の本でしたが、今度は漫画にはまりました。

というのも、男三人兄弟の末っ子であり、小さな頃から家中に兄二人の世代のそれぞれの漫画本が山ほど溢れており、日中は外で友達と遊んでいても、家に帰って来たら片っ端から、それらの漫画本を読みあさってました。

そして、ここでも迷路と同じく、ある一定の段階にまでくると、人の作ったもの、人の描いた漫画も少しずつ飽きてきて、やがて小学校の低学年頃から自分でオリジナルの漫画を描くようになり、それもまた、1つの漫画を描くのではなく、1人で複数のジャンルの漫画を描いて少年ジャンプのような漫画集を自作で作っていました。

もちろん誰に見せるわけでもなく、それを1人で読んでは自分で楽しむだけという、これまたマニアックな世界であり、幼少期から小学校までの趣味だけを見れば、完全なるオタク少年であり、端から見たら若干危ないタイプの子どもであったのかもしれません。

しかし、今思えば、現在のように様々なジャンルの内容をブログで書いているのは、まさに子ども時代の自作の漫画集の延長線であり、やはり人は何歳になっても、子どもの頃に熱中したこと、大好きだったことは、今も熱中するし、ストレスなく楽しんでやれるのだと思います。

「いつもブログをたくさん書いて大変じゃないですか?」

と初対面の方々に言われるケースは多いですが、当の本人は、幼少期の迷路や漫画を描いていたのと何も変わらない感覚なので、子どもがストレスや負担になることを続けるわけがなく、本当に自分の世界の中で楽しんでいることを、その一部を皆さんにもご覧頂いているだけという感じであります。

もちろん「大切なことを皆に知らせなければ」という意識もありますが、そんな使命感だけでは長続きはせず、やはりどんなことであっても、まずは自分が楽しくないことは本来はやるべきでないと思っています。

自分がストレスになることは、結果的に宇宙のストレスになり、同様に自分が満たされていないと周囲に悪影響を及ぼすので、誰かのため世の中のためと考えて行動することは悪いことではないと思いますが、まずは自分を一番大切にすることから何事も始まると思います。


……さて、本来であれば二回のメールマガジンで自己紹介も終えようと思っていましたが、余計なことをつらつら書いているとまったく時代が進まず、このままだとしばらくは過去を振り返る内容が続きそうです。

次回は、もう少し趣味以外の点での少年時代の様子をお伝えできればと思います。たぶん。(続く)

少しだけ、自分がどんな人間であるかが分かったでしょうか?

お分かりのように、基本的には、どこにでもいる普通の人間です。特別なことは何もやって来ていませんし、特別な能力もありません。ほんの少しだけ考え方が独特な部分があるかもしれませんが、それも誤差の範囲です。

ただ、1つ追加しておくと、子どもの頃に1番苦手な科目というか勉強は「作文」でした。

「え?嘘でしょ?ブログだって割と長文だし、本だって何冊も書いているでしょ?」と思われるかもしれませんが、これは本当の話で、ひどい場合は2行から3行書ければ良い方で、まるっきり文章能力ゼロの人間でした。特に読書感想文となれば最悪で、本をまともに読むことすら出来なかったので、もはや読書感想文ではなく、単なる自分の気分をまとめた感想文でした。

では、大人になってから文章を書くコツを覚えたり、何かトレーニングしたのか?といえば、決してそうではなく、昔と今で、文章が書けるようになったポイントとしてはとても単純で、昔は「書かされる文章」で、今は「(自分で)書く文章」かの違いだけです。

つまり、今でも「こんな文章を書いて欲しい」とか「これをまとめて欲しい」と自分の本意ではない文章を書かなければならないとなった場合は、たぶん同じように2行か3行しか書けないでしょう。

頭の中は真っ白、センテンスもキーワードも何も思い浮かばない・・・。ところが、これが「こういった文章を書きたい」と自発的に思うと、不思議とイメージが浮かんだり、キーワードがどこからか降ってきます。

人間誰しも“自発的”に動き出した時、自分の予想を遥かに超える潜在能力が発揮されると思います。

勉強に限らず、仕事、それこそ日々の生き方自体もそうですが、何でも“受け身”でいるよりは、まずは“自発的”に動き出すことで、180度違った自分が姿を現して力を発揮してくれます。

すると180度違った人生が、ある日突然始まることだってあると思います。

冒頭の“寒さ”の話ではないですが、寒いのが苦手、寒いのは自分には無理といって受け身になればそれまでであり、こういった“寒さ”にも「好奇心」を持つことによって、そこから自発性が生まれ、気づけば寒さを楽しむ自分がいることに驚くかもしれません。

個人的な人間観察の見解の中では、人生を“受け身”で生きている人は“依存性”が高く、洗脳もされやすいし、同様に洗脳から抜けにくい点もあり、反対に人生を“自発的”に生きている人は“自立性”が高く、自己愛にも満たされ、洗脳もされにくいタイプの人が多いように感じます。

これから先の激動の社会、どちらのタイプが楽しくジェットコースターを満喫できるかといえば、もちろん言うまでもなく、この2015年より、起こる出来事に対する人々の反応は大きく二極化が進んでいくと思います。寒さを恐れる人と寒さを楽しむ人がいるように・・・。

もし、自分自身が“受け身”のタイプかな?と思うことがあったなら、これから先に“自発的”なタイプに変われば良いと思いますが、ただ別にいきなり無理して自発的に動く必要はないと思います。

好奇心よりも先に恐怖心が出て来るのは、それはそれで自分の中の人格で怯えている自分がいるはずなので、その存在の意思を無視して強引に自分を切り替えるよりは、まず先に怯えている自分自身がいることを認め、癒してあげ、その準備が整ってから、自然な流れで好奇心を持って自発人間になれば良いと思います。

2015年、確かに色々と起こりそうな予感がありますが、まずは外で起こることに目を向けるよりは、心を落ち着かせ、静かに自分自身の内側に目を向けて観察することが重要になってきそうです。