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バルセロナから北西約60kmに位置する「モンセラット」。モンセラットとは「ギザギザな山(のこぎり山)」という意味であり、ここは太古の昔に地殻変動によって大陸が隆起して生まれた岩山の山脈です。

あの偉大なる天才建築家ガウディも、このモンセラットを訪れてインスピレーションを受け、サグラダ・ファミリアをはじめとする数々の自然をモチーフとした建築に取り掛かるようになったようです。

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確かに曲線美が豊かなモンセラットの岩山群を見ていると、まるでサグラダ・ファミリアそのもののようにも見え、美しいガウディの作品の原点や創造の源が、すべてここにあるようにも思えます。

そんなモンセラットは、スペインを代表する聖地としての観光名所であり、特にカタルーニャ地方の「聖母(マリア)信仰」に崇められている“黒いマリア像”が発見された場所としても有名です。

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「西暦880年のある土曜日、何人かの子供の羊飼いが、薄曇りのなか空から不思議な光が美しいメロディーとともに降りてきて山の山腹に留まるのをみた。同じことが数週間続いたため、麓の町の司祭が調べたら、洞窟のなかから黒いマリア像が発見された。麓まで降ろそうとしたが動かないので、その地に聖堂を建てて安置した」

という伝説の不思議な黒いマリア像が町の大聖堂の中にあります。

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※黒いマリア像

聖母マリアがイエス・キリストをひざに抱いて、右手には世界(全宇宙)を象徴する球を持っている不思議な黒いマリア像。

黒いマリア自体も違和感のある姿ですが、マリア様の顔立ちや幼子のイエスの容姿も、なんだか一般的な姿とは少し違っており、マリア様やイエスと言われないと、まったくの別人の母子像と思われそうな雰囲気です。

一説では、これは12世紀頃に作られた木製のマリア像であり、当初は白かったものがろうそくのすすで黒ずんでしまったとも言われていますが、いまだになぜこの地にあって、なぜ黒くなっているのかの真相は不明のままとなっています。

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また大聖堂から少し離れた崖山の下には、この黒いマリア像が発見された洞窟が今も残っており、現在は洞窟の周囲が教会となって中を見学できるようになっています。

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とても小さな教会ですが、奥にいくと不思議な像がポツンと1つ大切に飾られていました。

夫婦と少年の3人が足元で繋がっている像ですが、養父ヨゼフと聖母マリア、少年イエス・キリストのサグラダ・ファミリア(聖家族)の像かと思いきや、よく見るとマリア様と思われる女性は“妊婦”であり、これが何を意味しているのか分かりませんが、今の自分にとっては非常に興味深い像でありました。

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また教会内の洞窟の横には、黒いマリア像と同じ聖母マリアが幼子イエスをひざの上に抱いている場面を描いた石の絵が飾られていましたが、これも通常の聖書の物語では見たとこも聞いたこともない光景であり、まるで王妃と、その子の前に民がひざまづいて崇めていて、果たしてこの母子は本当にマリア様とイエス・キリスト本人なのか疑問が残るところです。

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それにしても、スペインの“マリア信仰”は普通ではなく、どこの地域にいっても主役はマリア様であり、むしろ通常の教会だと当たり前にある磔のイエス・キリストは脇役のような立場で、カトリックの教会に行っても中心にはほとんどマリア様がいます。

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それもマリア様単独ではなく、幼子を抱いた母子像であり、心なしか、この幼子イエスの容姿は男の子というより女の子にも見える像や絵が多く残っています。

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ところで、話を聖地モンセラットへと戻すと、ここにはなぜか「マグダラのマリア(Santa Magdalena)」と名付けられた岩山があります。

聖母マリア信仰の中心地であるモンセラットに、なぜマグダラのマリアの名前がつけられ、なぜ母子信仰がカタルーニャ地方からスペイン全土に残っているのか・・・。

ここから先は半分妄想の世界となりますが、この母子の姿は、聖母マリアとイエスではなく、実はイスラエルの地を追われてイベリア半島を目指したイエスのパートナーのマグダラのマリアと、その“娘”である「サラ」と呼ばれた女の子ではないでしょうか。

イエス・キリストは処刑で亡くなっておらず、実は生き延びて日本にたどり着いていた話は竹内文書などでも有名ですが、マグダラのマリアの伝説もいくつかあり、その中にはダヴィンチ・コードの物語のように、実はイエスと結婚していて娘を宿していたことも広く知られています。

そして、イエスから渡された八芒星の聖杯と羊皮紙の予言書を持ち、イベリア半島のジブラルタルの「ヘラクレスの柱」に隠す約束をしていたようです。

ヘブライ語で “Sara”は王女を意味しており、そう考えると黒いマリア像が発見された洞窟に飾られている石の絵の場面も何となく理解できるように思えます。

実は王家の末裔である聖母マリアとイエス、その娘となると王女の系統になり、時の王族の秘密結社の人々がマグダラのマリアとサラの逃避行をサポートしていた可能性があります。

確かに救世主イエスを生んだ聖母マリアの功績は大きいものでしょうが、スペイン全土において、ここまでマリア信仰、母子崇拝が広がっているのは、単なるキリスト教の布教の影響とは異なり、この地にマグダラのマリアと王女サラが共に渡り歩き、その足跡や伝承が各地に残っているからかもしれません。

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ということで、マグダラのマリアの足跡を辿って到着したジブラルタルの「ヘラクレスの柱」。現在はイギリス領となっており、軍事施設が地下をはじめあちこちに張り巡らされて管理されていますが、ここには、イエスから受け取った大切な預かり物をマグダラのマリアは隠さなかったようです・・・。

彼女はユーラシア大陸の西の果て、現在のポルトガルまで足を伸ばし、港町ナザレまでたどり着いています。明日は、そのナザレへと向かいます。