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映画『美しき緑の星(La Belle Verte)』(1996年フランス)
【作品紹介】誰もが協調のうちに暮らし、みんなが幸福で互いに助け合い、何でも分かち合い、お金の必要がなく、自然と共に暮らす世界があったとしたら…そんなの、ありえない?「美しき緑の星」は他に類を見ないフランス映画。メディア経営者らの手によってEU内では事実上の発禁状態にされています。

【あらすじ】この美しき緑の星では貨幣制度がなく、自分の得意で好きなことをそれぞれがして共存共生し、みんなが平和に豊かに暮らしている。彼らの惑星では、地球は本当に危険で野蛮な原始的な星なので誰も行きたがらない。そんななか、主人公の女性宇宙人が名乗りあげます。「わたし行ってもいいわよ!」

マイナーなチャンネルで深夜に放送されたことが2回ほどあるのを除けば、1996年以来テレビで放映されたことはありません。ヴァンサン・ランドンやコリーヌ・セローなど有名な俳優が出演しているにもかかわらず、探しても、なかなか見つからないのは、そのためでした。

これは世界中の人々に大きな目覚めを呼び起こす映画です。昔から本当のことを隠しておくのは難しいものですが、ちょうどそんなふうに、みなさんも本当のことを知るに至ったというわけです。どなたにも楽しんでいただける作品です。

【監督の言葉】世の中の仕組みを根底から問い直すクレイジーな映画を撮ってみたいと思いました。それで長い時間をかけて考証を行ったのです。無駄になったシーンやアイデアを書き留めたノートが何冊にもなりました。次から次へと疑問が生じたのですが、そのすべてに答えが得られたわけではありません。

そうして、風にそよぐ木々に見守られながら、台本の執筆に取りかかったのでした。完成した台本を見た人たちの反応は実にさまざまでした。このプロジェクトの資金援助には乗り気でない人たちが何人もいるとプロデューサーのアラン・サルドが言います。「本当にこの映画を撮るつもりですか?」と彼が言うので、私は熱を込めて「もちろんです」と答えました。かくして映画は封切られたのですが、完全な失敗でした。誰も興味を示さなかったのです。客が入らず、批評家からは酷評されました。業界にとって、この作品は理解不能のUFOだったのです。しかし、この映画は死にませんでした。

こうした逆風にもかかわらず「美しき緑の星」は生き残り、生き物のように成長し話題となったのです。必要とされているからでした。この映画が世の中に発するメッセージのためだった。一緒に映画を見て語り合う「美しき緑の星」クラブのサイトが、いくつもネット上に見られるようになりました。

私は早すぎたのでしょうか? この映画のように価値観を根底から問い直すことで世の中を変えることが必要な、ぎりぎりの瀬戸際まで私たちは来ているのかもしれません。(コリーヌ・セロー監督)

夏休みの時間のある時にオススメしたい映画に「美しき緑の星」があります。これは今から20年近くも前、フランスで上映された映画ですが、内容に“問題”がありすぎて、上映が禁止されただけでなく、今もインターネット上で公開されるたびに削除され、公開したいグループと封印したいグループとのイタチごっこの争いが日々続いています。

内容に“問題”があるといっても、何もグロテスクなシーンや政治的な要素が強いというのも一切なく、中身は20年近くも前の技術によるシンプルなコメディに近い作品であり、そういった意味では“普通”の人が観ただけでは、つまらないか、わけがわからない作品だと思う人が多いかもしれません。

「では、なぜそんな映画が発禁状態となったのか、公開を必死に制限しているのか?」

その理由は、ずばり“普通”ではない人、つまり少し目覚めが進んでいる人などが観ると“覚醒(切断)”が起こってしまうものであり、それが、この世の中を支配・コントロールしたい人々にとっては“問題”であるため、この映画は問題のある映画として長い期間、20年間もずっと封印され続けていたのでした。

内容は、実際に観て頂くのが一番ですが、全体の背景としては冒頭のあらすじ通りであり、地球外の惑星文明から見た今の地球文明の現状を見ることができます。

自分自身では自分のことがよくわからない、よく見えないのと同じように、地球のことを本当に理解するには、外の世界から客観視する、比較対象で比べてみることも時には必要です。

この映画では、異星人の視点から見た地球人と地球文明を垣間見ることができ、そういった意味では、精神世界のバイブル書とも呼ばれる小説「アミ 小さな宇宙人」の映画版と言っても良いかもしれません。

日本語の字幕版もYouTubeなどのネット上で消されたりアップされたりのイタチごっこが続いていましたが、以下のサイトでは常時無料公開されていますので、是非とも一度はゆっくりご覧ください。

すぐには観れない方、時間のない方のためにも、冒頭の10分間の場面を書き起こしてあります。

彼ら美しき緑の星の住人達の、年に1回の総会と呼ばれる集いのシーンとなりますが、ここで取り交わされている会話に地球の現状と宇宙の真実が濃縮されていますので、この部分だけでもまずは頭に入れていただき、少しでも“覚醒(切断)”のためとなればと思います。

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美しき緑の星(日本語字幕)
「みなさん
それでは
総会をはじめます」

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「大麦ある?」

「小麦がいる人?」

「大豆ない?」

「あるよ」

「干し果物はどう?」

「もらうよ」

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「薬草のいる人?」

(大勢手を挙げる)

「そんなにないよ」

「羊毛のいる人?」

「次の議題」

「刃物の必要数」

「17本ね」

「次は教育」

「遠隔通信を教えられる人?」

「僕がやるよ」

「予知の先生?」

「半年でよければ できますよ」

「次は縁談」

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「男が足りない」

「次は訃報 アタヤ 享年255
アラモ 享年265
カレッタ 享年272
それから アミールが
143歳の若さで事故死
しています
ご遺族は大丈夫ですか?」

「おかげさまで」

「では 次は星外派遣」

「今年こそ誰かを
地球に送らないと」

「行きたい人は?」

(誰も手を挙げない)

「ナボ星は?」

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「定員は10名だよ」

「地球は?」

(誰も手を挙げない)

「クリスト星は?」

「定員は23名だよ
選抜しないと」

「地球に行く人?」

「誰もいないの?」

「どうする?」

「ほっときましょう」

「もう2百年も無派遣ですよ」

「それで?」

「行くだけでも
いいと思うんだけど」

「無駄だよ」

「他の星なら まだしも
地球は論外だね」

「それは そうだけど」

「危険だし」

“切断”プログラムを
持たせたら?」

「情報不足だ」

「大丈夫よ」

「最後に行ったのはオザムよ
でも今ナボ星にいるし」

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「ここに おるぞ
2ヶ月前に戻った」

「ねえ 地球って
どんなところなの?」

「ミラの父親と
一緒に行ったんだ
パリという街にね
革命が起こって
共和制に移行したんだが
すぐに おかしくなって
皇帝が即位した
戦争で大勢の人が死んだよ
その皇帝の命令で
そうなったんだ
どんどん おかしく
なっていったね
それで逃げ帰ったのさ」

「それはひどい」

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「まったくだよ 圧政
不平等 差別 独占 飢餓
ひどい ところさ
しかも貨幣経済だ
金を隠しておいたよ」

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「金って何?」

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「それがないと
何もできないのさ」

「食事も?」

「そうだ」

32

「食べないと死ぬでしょ?」

「そういうことだ」

「今でも そのままなのか?」

「もう違うと思う」

「産業化の時代だった」

「何それ?」

「(この星の)3千年前の状態さ」

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「過当競争と
不要品の大量生産
戦争 原子力 自然破壊
奇病 原始時代だね」

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「地球のビジョンが見えたよ」

「女性は車の運転が
禁止されているんだ」

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「まさか!まだ車がある?」

「車って何ですか?」

「私が行った時には
まだ なかったな」

「昔はこの星にも
あったように思うが」

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「考古学の話よ
車って移動する鉄の箱ね」

「歩かないので病人が続出」

「死亡事故も多発」

「2百年もすれば
廃止されるでしょう」

「身分制はどうなの?」

「それが最重要事項だね」

「上であることが大切なんだ」

「女よりも男が上
村よりも町 子供より大人
動物より人間 人種の上下も」

「人種?」

「地球は巨大な星で
複数の大陸があり
さまざまな人種が
発生したんだ
異人種が遭遇すると
そこで主導権争いが始まり
“汚い方”が勝つのさ」

「ここが小さな星で
本当に良かったわ」

「彼らは現状に満足しているよ」

「だが できるだけの
ことは すべきだ」

「通信不能だよ」

「パソコンばっかり
いじっているので
脳が萎縮してるんだ」

「もとからでしょう」

「行くだけ無駄よ
好きなように させましょう」

「手助けは するべきよ」

「やるだけ やってみよう」

「志願者は?
勇気のある人 いないの?」

お金のない社会においては、皆ができること、あるものを提供し合う「Give&Give」の世界であり、そこでは対価としての物々交換(Give&Take)ではなく、見返りを求めない無償の愛に満ち溢れて助け合っています。

「Take&Take」の奪い合い、搾取の世界にいる我々にとっては、未知なる世界であり、すぐに想像できない社会かもしれませんが、縄文時代やマヤ・インカ文明など昔の人類の中では、そういった村社会が当たり前に存在していましたし、今も目覚めた人々が目指す世界は、この「Give&Give」の助け合いの愛の世界だと思います。

「Give&Give」の社会構造が生み出せた時になって、ようやく地球人としての自覚とモラルが芽生え、そこから地球を破壊する方向から地球を再生、維持する方向へと人類ができることで貢献できるようになると思います。

今の「Take&Take」の奪い合い世界の次元にいる限りでは、フリーエネルギーなどの新技術もエゴのためにしか利用されないため、環境破壊や兵器として利用される可能性があり、何でも世の中を180度変えてしまうほどの新技術というものは、人類全体の意識レベルの向上が先にあって表に出て普及するものだと思います。

そういった意味においても、これから先の新時代において1人ひとりの“覚醒”が大事な要素となってくるのですが、この映画においては、その“覚醒”を面白い表現で演出しています。

それは、書き起こし文にもある「“切断”プログラム」というものが覚醒に使われており、星外派遣として地球に送られた主人公は、そのプログラム(能力)を持っていて、地球人が主人公と会話するなどのコンタクトをとると、その後に突然“覚醒(切断)”が自動的に始まってしまうのです。

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賞味期限の切れたケーキを販売していたお店の女性は、主人公と会話した後に“切断”が始まり、突如お店の外に出てケーキを投げ捨て始めます。

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肉屋でお肉を買った女性もまた、主人公と会話した直後に“切断”がはじまり、自分が買った“動物の死骸”という肉の存在に違和感を感じ、道行く現代人の象徴のようなビジネスマンの男性もまた、主人公と会話した後に道端にある木が愛おしくなって抱きつき始めたりと、現代社会の中で深く洗脳されていたブロックが突如外れ、それぞれの人が本来持っていた人間としての感覚、価値観が目覚めます。

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また、主人公は直接のコンタクトをとらずとも強制的に“切断”をさせることもでき、ストーリーの中では、サッカー観戦に訪れた時に選手全員に強制的に“切断”をしたところ、選手は敵味方関係なしに一緒になって突然ダンスを踊り始め、クライマックスにはゴールキーパー同士が抱き合ってキスをするという展開にまでなります。

スポーツという世界も、心身を鍛えたり、団体行動を学ぶには良いところもありますが、この世界もまた支配者層によって都合良く生み出された分野でもあり、1番であることが偉いことや勝ち負けの競争心を植えつけたり、また、スポーツ観戦という点においては、プレーヤーだけでない人々にも意識を真実の世界に向かわせないようにコントロールしています。

自分たちが当たり前に思っていたことが当たり前でなくなる、洗脳というプログラムが溶ける“切断”は、この現実世界でも人によってどのタイミングでどういった展開で訪れるかはわかりませんが、恐らくはこのブログに訪れる人々は、いつの間にか“切断”が始まっており、この洗脳された偽りの社会が苦しくて窮屈になってきているのだと思います。

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「志願者は?勇気のある人 いないの?」
「わたし行きます!」

そういって、我々はこの星へと降りてきたはずですが、この映画を観てそのことを思い出す人々も出てくるかもしれません。それは、同時に帰る場所があることも思い出すことでしょう・・・。

人類が一斉に“切断”されるプロジェクトが近い将来に差し迫っています。

洗脳から解き放たれ、覚醒した人々による「Give&Give」の地上天国が、この地球でも実現される日が来ると思いますが、一方でそれまでの期間、人類の振り分けは続くことにもなります。

極力エゴを捨て、御魂を磨き、過去に囚われることなく、未来を恐れることなく、今の自分に感謝して日々を大切に生きることが求められています。