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世界平和の第一歩は、自分自身の内なる平和。自分の心のあり方次第で、外の世界の見え方もあり方も変わってくると思います。

人間の心の中に平和がなければ、いくら戦争や武器がなくなっても、その世界を平和に感じることができないだろうし、実際に平和の世界は訪れないと思います。

『美しいと思える あなたのこころが うつくしい』

美しい音楽を聴き、美しい絵を見て感動するのは、それを美しいと感じる感性や心を持っているからであり、この物質世界に存在するのは、音は音、絵は絵があるだけで、その周波数と同調することで“自ら”感動を生み出しています。

芸術そのものが感動を生み出すのではなく、作者や演奏者、他の誰かなどによる外的要因によって自分の感情が動くのでもなく、すべての感情を作り出しているのは他ではない自分自身であり、喜びや幸せの感情も含めて、この世界の喜怒哀楽のすべては自分の心のあり方で決まってきます。

怒りや憎しみ、悲しみや苦しみもすべて自分の心が勝手に作り出した感情であり、同じことを言われても不快に感じる人もいれば、まったく気にしない人、逆に感謝する人もいたり、この三次元世界においては、言動や行動のすべても、受け取り手次第によって、その結果として生まれる感情や出来事は大きく変わってきます。

これもまた音や絵と同じで、そこにあるのは言葉は言葉、行動は行動であり、その周波数と同調するものが自分の中の因子にあれば、それが反応して感情を生み出し、反応するものがなければ気にならないものです。

よく言われるように、嫌いな相手、苦手な相手がいるのは、その相手の嫌いな部分や苦手な部分を自分自身も一部持ち合わせているからであり、その因子が同調してネガティブな感情が動き出しているのだと思います。

100%自分の嫌なところがない人間なんていないかもしれませんが、自分自身の嫌なところも受け入れている100%自己愛に満たされた人であれば、他人の嫌なところや苦手なところが目につかない、気にならないようになるのかもしれません。

嫌な人ばかり、不平不満が絶えない地獄のような世界と世の中を捉えるか、それとも良い人とは言えずとも、嫌な人ばかりではなく、人生における様々な変化や試練も楽しく受け取れる人にとっては、その世界はバラ色の天国となります。

地獄意識で生きるか天国意識で生きるか。どちらが人類にとって真の世界平和を実現するに必要な意識かは一目瞭然であり、内なる平和を感じる心を1人ひとりが持つことから世界平和の第一歩が始まると思います。

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「絶対に許すことのできない相手がいる」

内なる平和を生み出すために必要不可欠な感情が“許し”であり、この“許し”は、人を大きく成長させてくれる大切なテーマと言われています。

確かに喜怒哀楽の感情の中でも、この“許す or 許さない”というものは、怒りや憎しみ、苦しみや悲しみとは一味違ったカテゴリーの感情であり、これらのネガティブな感情を作り出した相手に対して次のステップとして生まれる感情です。

いきなり「許さない」という感情が生まれるのではなく、何かを言われて、何かをされて嫌な気持ちになり、その結果「許さない」という感情が生まれ、その次に「許す」という順番に感情が動き、この“許し”によって自分の中にあった怒りや憎しみ、苦しみや悲しみのネガティブな感情が消化されます。

そういった意味では、“許し”が多ければ多いほど、大きければ大きいほど、自分の心のネガティブな感情が消えて心が軽くなり、この一連の感情の発生や消滅の経験は、確かに人の器を大きくさせてくれるほどの力を持っているのかもしれません。

でも、この「許す」という言葉、一般的には「相手を許す」という表現で対外的な存在に対しての自分の行動や感情に使われていますが、果たして本当に“許し”が必要なのは相手なのでしょうか、それとも自分なのでしょうか・・・。

「許せない相手」と決めたのは、その人の言動や行為そのものではなく、その結果に動いた感情によって自分自身が決めたことであり、そうすると“許し”が必要なのは、やはり自分自身なのかもしれません。

許せない相手がいるのではなく、その相手を許せない自分がいて、その自分を許せない自分がいるのであり、相手のことを許そう許そうと思っていても、自分自身を本当の意味で許せない場合には、どんなに言葉や行為で相手を許していたとしても、心の奥の自分は苦しんだままであります。

だから、もし絶対に許すことのできない相手がいるのなら、その相手によって自分の感情が動く因子が何なのか、どの自分が反応しているのか内観し、その自分を癒し、許してあげることが必要となります。

「これが嫌だったんだね、あれが辛かったんだね、それが許せなかったんだね・・・」

と心の中で自分自身に声をかけてあげることによって、心の中のイメージで許せなかった相手が、やがて自分の顔に変わり、その悲しい自分の顔が笑顔になった時に現実に見える世界もすべてが変わると思います。

許せないと思った相手は、自分が勝手に作り出した幻想だったのであり、そこにいるのは許せない相手でも嫌な相手でもなく、ただ、その人がそこにいるだけであり、その人には何の罪も憎しみもない。

“許し”より前の“怒り”の感情もまた同じであり、自分の中に怒りの因子があるから感情が動きます。

自分の中の何かがおびやかされる、怖いから怒りで対処しようとする。

「守るべき何かがある」

それはそれで大事なことですが、本当に守るほどのことなのか、自分の思い込みで作り出した自分の弱み、苦手なポイントかもしれないので、それが不要であると気づいたならば潔く手放せばよく、もう、そんなことを気にしなくてもいいし、苦しまなくてもいいんだよと声をかけてあげても良いかもしれません。

世界平和を本当の意味で実現するには、1人ひとりの内なる平和が必要であり、そのために必要なのは「自己愛」を満たすことに集約されると思っています。それが現代社会における現代人にとって、もっとも必要なことと言っても過言ではないかもしれません。

自身も含め、もっともっと自分を許し、もっともっと自分を褒めて、もっともっと自分を愛することが今もこれからも人類は必要。

喜怒哀楽の様々な感情を体験できるのは、この三次元世界の地球ならではの特権かもしれませんが、常日頃よりネガティブな感情ばかりを引きずって生きているのは、せっかく遊園地に来たのにお化け屋敷ばかりにずっといるようなものです。

人の心の器を大きくして魂を成長させる“許し”があるから、時にはネガティブな方向へ感情が動くことも必要ですが、一方で“許し”がなければ、そのネガティブな感情は長く持っていればいるほど自分自身の心や魂を蝕むものであり、この地球滞在の限られた時間枠をちょっと損した気分で過ごすことになります。

誰だって明日が100%来る保証はないし、明日どころか1時間、1分先さえも何が起こるかわからないのが人生です。100%保証されているのは、誰もがタイマーの時間が切れたら元の世界に戻ることだけ。

過去を悔やみ、未来を不安に思っていても“今”という時間は過ぎ、同じように誰かに対して怒りや憎しみの念を抱いていても、時は残酷にも淡々と過ぎ去るだけあり、それであればなるべく心を軽くして、1日1日を、今という瞬間を楽しく、自分らしく生きる方が良いかもしれません。

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“天下泰平”とは「世の中がよく治まり、穏やかな様子。また、何の心配事もなく、のんびりしているさま」という意味です。

終戦から70年の節目の今。これから先も1人ひとりが“天下泰平”となることを祈っています。