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鎖につながれた象
「できないよ」僕は言った。
「できっこないんだ!」
すると彼はこう尋ねた。
「本当に?」
「うん。彼女の前できちんと自分の気持ちを伝えたい、ただそれだけなのに……。でもできるわけないんだ」
ホルヘは、診療所につきもののあの味気ない青い椅子にあぐらをかいて座った。微笑んで僕の目を見て、声を落としながら言った。人の注意を惹こうとするときの仕草だ。
「ひとつ聞いてもらいたい話があるんだが、いいかな」
僕の返事を待つことなく、ホルヘは話しはじめた。

私は子供の頃サーカスが大好きで、中でも動物ショーがいちばんの楽しみだった。特に象がお気に入りだったんだけど、実は私だけではなく他の子供にとってもいちばん人気だったようだ。その大きな動物は舞台に上がると、持ち前のすさまじい体重や図体、怪力をみごとに披露していた。しかし演技が終わって次の出番を待つあいだ、象はいつも地面のちっぽけな杭に足を鎖でつながれていた。
ところがその杭というのは、地面にいくらも打ち込まれていないような小さな木のかけらなのだ。確かに鎖は太く頑丈そうだったが、木を根こそぎ一本引き抜くほどの力を持った動物なら、杭をひっこ抜いて逃げることなど簡単そうなのに……。
その疑問は誰もが抱くものだろうと思う。

 一体何が象を捕まえているんだろう?
 どうして逃げないんだろう?


五、六歳だった私は、大人は何でも知っているとまだ信じていた。だから象の謎について先生や父親、周りの大人たちに聞いてみた。象は飼い馴らされているから逃げないんだよ、と答えた人もいた。
そういうとき、私は当然次のように質問を返した。
「飼い馴らされているんだったら、どうして鎖につながれているの?」
しかし、つじつまの合う答えが返ってきた覚えはない。時とともに象と杭の謎については忘れ、同じ思い出を持った人に出会ったときに思い出すくらいだった。
数年前、たまたま、その疑問に答えられる本当に賢い人に出会った。その答えはこうだ。
「サーカスの象が逃げないのは、とっても小さいときから同じような杭につながれているからだ」
僕は目を閉じて、生まれたばかりのか弱い象が杭につながれているところを思い浮かべた。そのとき象は、押したり、引いたり、汗だくになって逃げようとしたに違いない。でも努力の甲斐なく逃げることはできなかった。小さな象にとって、杭はあまりに大きすぎたのだ。疲れきって眠ったことだろう。次の日もまた逃げようと頑張って、次の日も、そのまた次の日も……。
ついにある日、その象の一生においていちばん恐ろしいことになるその日、象は自分の無力さを認めて、運命に身を委ねたのだ
サーカスで見る大きく力強い象は、かわいそうに“できない”と信じ込んでいるから逃げないのだ。生まれて間もないときに無力だと感じた、その記憶が頭にこびりついている。そして最悪なのは、二度とその記憶について真剣に考えなおさなかったことだ。二度と、二度と、自分の力を試そうとはしなかったのだ。

「そういうことさ、デミアン。みんな少しずつこの象のような部分をもっている。自由を奪う何百という鎖につながれたまま生きているんだ。遠い過去、一度だけ、子供の頃に試してみてできなかった。ただそれだけで、私たちは山ほどのことを“できない”と思いながら生きている。あの象と同じように、記憶の中にひとつのメッセージを刻み込んでしまったんだ。“できない、今もできないし、これからもずっと”とね。このメッセージを自分自身に埋め込んだまま大きくなったから、もう二度とその杭から自由になろうとしないんだ。
ときどき、足かせがついている気がして鎖を揺らしてみるとき、横目で杭を見ながら考える。“できない、今もこれからも絶対にできない”」
ホルヘはしばらく間を置いた。そして近寄ってきて僕の目の前に座り、こう続けた。
「これが今の君の状態だ、デミ。小さなデミアンの記憶に縛られて生きている。もう存在していないデミアン、できなかったデミアンのね。
できるかどうかを知るには、もう一度全身全霊で取り組んでみるしかない。全身全霊だ!」

今年は目覚めた人々が大きく動きだす時。今までの自分から新しい自分に生まれ変わり、これまでにないことをチャレンジする機会が増える人も多いと思いますので、少しでも潜在意識のスイッチがオンとなるように、昨日に引き続き少し自己啓発的な内容をご紹介。

今回ご紹介するのは「鎖につながれた象」という有名な寓話(ぐうわ=たとえ話)です。

巨体で力持ちのサーカスの象が、なぜ小さな杭の鎖につながれているだけなのに逃げないのか・・・。

『一体何が象を捕まえているんだろう?』

象が逃げられないのは鎖が頑丈だからでも、杭が大きいからでもなく、皮肉なことに象を捕まえているのは誰でもない象本人であります。

「絶対に逃げられない」
「自分には絶対にできない」


象の思い込み、思考、意識が「できない自分像」を作り出し、それがそのまま現実となっています。

「今こそ洗脳から目覚める時」

そんな言葉があちこちで飛び交う今、世の中の様々な真実が明るみになるにつれて、少しずつ“洗脳”から目覚める人も増えてきました。

ただ、一般的に“洗脳”と聞くと誰かや何かの外的な要因の影響によって個人がマインドコントロールされることを指すことが多いと思いますが、人間にとっての一番の深い洗脳は自分が自分自身にかけている洗脳(暗示)であり、個人の持つ思い込みや思考の癖であると思います。

同じことをやるにしても、すぐに「自分には出来る」と思う人と「自分には出来ない」と思い込んでしまう人の違いは、幼少期における成功体験の違いとも言われており、幼い頃から成功体験が多かったり、褒められたりする機会の多かった子供は「自分には出来る」という思考の癖がつき、逆に失敗体験や叱られる機会の多かった子供は、すぐに「自分には出来ない」という思考回路になるとも言われています。

実際には成功体験そのものや褒められることそのものよりも、ここでも「自己愛」が確立されていたかどうかが大事なことであり、いくら成功体験が多くとも、どんなに褒められることが多くとも、そこで自己愛が満たされていなければ潜在的に「自分はダメな人間だ」と思い込んでいだり、逆にどんなに小さな成功体験1つであったとしても、それがその人の自己愛を大きく満たすものであれば、その人は「出来る」という思考回路になりやすいと思います。

では、子供の頃に大した成功体験もなく、どちらといえば叱られてばかり、叱られはせずとも特に褒められることもなく何となく大人になってしまった人が、大人になってから、この“自己愛”を満たすのはどうしたら良いか?

“ない成功体験”をいくら探しても“ないものはない”ので、それよりも逆に失敗体験、自分が思う過去の自分のダメな思い出、トラウマとなった出来事、見つめたくない過去の自分を徹底的に見つめ直して、苦い記憶も思い出も感情もすべて噛み締めて飲み込み、その自分そのものを受け入れて許すことが大切だと思います。

「出来なかった自分を否定するのでなく、出来なかった自分も受け入れて全部好きになる」

嫌いだった自分を蓋をして隠すのではなく、そんな自分も掛け替えのない自分だと思って包み込み、そうやって少しずつ過去の自分との和解・和合・統合が進んでいくと、その時には見えていなかった自分の状況が客観的に見えてくるかもしれません。

過去の成功や失敗、起こった出来事の良し悪しを決めているのもまた、象の鎖や杭と同じで他でも何でもない自分自身であるということ。

すべては自分自身の思い込みで、悲しい過去の思い出や何も出来ないダメだと思っていた自分を仮想意識として作り上げていたことに気づくかもしれません。

この“気づき”こそが大事なことであり、この瞬間に自分の中にある別の自分「インナーチャイルド」は癒され、大元の自分と融合してより自分が自分らしく輝けるように変化すると思います。

人の持つ行動の癖もなかなか気づかないものですが、思考の癖はもっと気づきにくいものです。

逆に日常のささいな行動の癖を変えることで思考の癖も変わることも多いので、今年に自分を変えたい人は、普段はしない行動をあえてしてみたり、新しい習慣や目標にチャレンジしても良いかもしれません。

歩き方を変える、姿勢を正すとか、食事内容や食事回数を変える、もっと小さなことなら一口に食べる量をいつもの半分にして2倍以上も意識して噛む・・・とか、馬鹿らしくも意外にも人は日常を無意識に淡々と生きており、長年積み重なった思考の癖が心身まで染み付き、それが行動や態度となって表面的に現れていることもあります。

右利きの人が左手を使うのも良い習慣かもしれませんね。どちらかといえば脳のトレーニングやバランスをとることに繋がるのかもしれませんが、自分の場合は左利きで極端に右手を使わないので、今年は右手をなるべく生活の中で使ってみようと思っています。

「鎖で繋がれていた人類が、自らの意思で自由の世界へ飛び立つ時」

鎖につながれた象の話題を出したのは、何も個々人の潜在意識の思い込みのブロックを外すことだけが目的ではなく、今までの人類全体もまた別の意味で「鎖につながれた象」であったからです。

鎖につながれた象、サーカス団や動物園に飼いならされた象が、鎖から解き放たれて自由となった場合、それは本当に幸せなことなのでしょうか。

仮に生まれた時から動物園の檻の中で育った動物が、いきなりアフリカの野生の大自然の中に戻されたら、一体どういった運命となるでしょうか。

外敵に襲われることもなく、決まった時間に餌も与えられ、自由はなくとも良くも悪くも平和に生かされていた動物園から、今度は自然の循環の仕組みの中、自らの力で本気で生きることを日々やっていかないと生き残れないのが野生の厳しさでもあります。

「人類は今までの支配を脱却して自由になる」

新しい時代の到来と共に、これまで人類を長い間支配・コントロールしていた存在達の権力が弱まり、彼らが作った世界が音を立てて崩れ始める中、今まで動物園の中、檻の中に入れられて鎖で繋がれて自由を奪われながらも生かされていた人類は、これから鎖を解き放ち、檻から、動物園から出て自由の世界へと旅立ちます。

ただ、それは人類にとって二極化の時代となると思います。

この新しい世界を自由で希望に満ち溢れた楽園と思える人々と恐怖と絶望に満ちた地獄のような世界に感じる人と。

動物園の生活が平和で自由であり、その世界に依存しているだけで満足だと思い込んでいた人は、これから解き放たれる野生の世界は、自分で生きることを日々選択していかないと、やがては厳しい現実が待っています。

一方で外の自由の世界を知っており、1日でも早く動物園から出て広い世界を自分の意思で自由に生きていこうと思って自立の準備が出来ていた人は、これから先の世界は毎日が心が躍るファンタジーに満ち溢れた天国のように思えることでしょう。

これから先、誰もが同じ世界にいながらも、そこで見える、体験する世界は天国と地獄ほどの違いがあり、その根底になるのは「自立しているか、依存しているか」の違い。

自らの意思で“生きること”を選択している人は何の心配もないですが、これまで生かされていたことに気づかず、この依存癖のついたまま自由の世界に飛び立ったら、大きなしっぺ返しが待っているかもしれません。

資本主義経済の崩壊、金融の崩壊が本格的に始まった時に、これが現実のものとなります。

お金で食べ物を買う、お金で食べ物作る、お金で命を繋ぐ、お金で明日も明後日も未来を生きる時代。

その時代が終焉を迎える時、お金とは関係なく自ら生きることを実践していないと、明日からどうやって生きていったらよいかわからなくなってしまう日がやってきてしまうのです。

今はもう、鎖が外れ、檻の鍵も外れ、動物園のゲートも開いており、そこにいるのも外に出るのも自らの意思次第で自由に選択できる時代となっています。

ただ、いつかすべての動物園が閉鎖されて、全員が強制的に野生の世界へと追い出されるかわかりません。

その時に少しでも多くの人々が外の世界が楽園だったと感じられるように今から仕組みを整えていくことが必要となります。

まずは大きなことを成し遂げるよりも、一番身近な自分自身の統合。意識の自立が出来てから生き方の自立を目指し、自給自足できる環境を自ら作り出していくことが大事となります。