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「子どもの貧困」倍増の背景は? 大人の18%超が生活保護以下の世帯収入
 山形大人文学部の戸室健作准教授は、全国の子育て世帯の貧困率が過去20年間で倍増し13.8%に達しているとの研究結果をまとめた。研究結果では、子育て世帯に限らない全世帯での貧困率も20年間で18.3%と倍増したことが判明。拡大しつつある「貧困」の背景と、取りうる対策について、戸室准教授に聞いた。

子どもの貧困率は全国的に増加し、地域間格差は縮小傾向

 戸室准教授の論文によると、全国の子育て世帯の貧困率を示す「子どもの貧困率」は1992年に5.4%だったが、2012年には13.8%と、この20年で2倍以上に拡大していた。子育て世帯に限らない全国の貧困率も、1992年の9.2%から、2012年には18.3%と倍増していた。

 2012年の「子どもの貧困率」を都道府県別で比較すると、沖縄が最も高く37.5%。しかし地域間の格差は年々縮まっており、貧困率上位10位の県と下位10位の県を比較すると、1992年の5.37倍から、2012年には2.35倍と縮小している。戸室准教授は「貧困が改善したのではなく、むしろ貧困が地方特有の問題ではなくなり、全国一般の問題に拡大してきているということ」と分析する。

全世帯の18%、子育て世帯の14%が「生活保護基準以下」

 政府は一般的に「貧困率」を算出するとき、国民の所得を高い方から低い方へと並べ、その「中央値の半分未満の所得層」を「貧困」と呼ぶ「相対的貧困率」を用いている。一方で今回戸室准教授は、「生活保護の収入以下で暮らしている世帯」を「貧困層」と考え、貧困率を算出した。つまりこの調査結果は、「日本では全世帯の18.3%、子育て世帯の13.8%が生活保護基準以下の収入で暮らしている」と言い換えることができる。

 戸室准教授は「生活保護は国公認の貧困の救済基準。生活保護基準を使うことで、国との救済義務対象となる貧困層が明確に分かり、生活保護が国の救済措置として機能しているかどうかが可視化できる」と説明する。論文では、生活保護基準以下の収入で暮らす全世帯のうち15.5%しか生活保護を受給していないという結果を明らかにしている。

 生活保護基準以下の収入しかない世帯の多くが生活保護を受給していない理由については、生活保護は手元に7万円程度の現金や車などの資産を持っていると受給できない場合があることや、生活保護を申請させないことで財政負担を避けようとする自治体の「水際作戦」の影響が考えられるという。

子どもの貧困の原因は「子育て世代の非正規労働者増加」

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なぜ、日本はこんなに貧しくなったのか?戸室准教授はその根本的な原因として、日本全体の労働環境の悪化に目を向ける。

 「生きていく上での基本は働いて賃金を得ることですが、現在労働者の約4割が非正規労働者です。子育て世帯は就労世帯でもあるため、賃金の低下が子どもの貧困に直接関係します」。つまり、「子どもの貧困」の増加は、子育て世代での非正規労働者の割合が増えたことが原因だと指摘する。

 戸室准教授は、子どもの貧困をこのまま放置すれば「地域経済が悪化し、負のスパイラルに陥る」と警鐘を鳴らす。「(子どもの貧困の原因となる親世代の)低賃金の非正規労働者が多く存在すれば、待遇のいい正社員の賃金もワーキングプアにひきずられて低下します。企業は、同じ仕事をしてくれるのなら、賃金2分の1や3分の1で済む非正社員を選ぶからです」

 その結果、地域経済に何が起きるか。「今いる正社員に対してサービス残業を強いたり、賃金カット、非正社員に置き換えるなど労働条件が悪化します。すると地域がワーキングプアだらけになり、賃金低下で消費意欲も低下し、物が売れなくなり、ますます人件費がカットされ、さらに消費が低下し・・・といった悪循環でどんどん地域経済全体が沈下していく」。戸室准教授は、子どもの貧困の背景にある、社会全体の貧困率の上昇に目を向ける必要を強調する。

「国の抜本的な労働政策の変化が必要」

 近年「子どもの貧困」が注目され、貧困世帯の子どもに食事や学校用具などを提供する運動が各地で広がっている。戸室准教授は、そのような動きを評価しつつ、抜本的な解決には国の労働政策の変化が必要だと訴える。

 「地方独自で貧困世帯をなくすには限界があり、国が率先して削減努力をする必要があります。非正規労働活用を規制したり、最低賃金を上げたりする政策です」

 また、国だけでなく自治体側にもできることがあると指摘する。「自治体の民間委託先の会社で、低賃金労働によるワーキングプアが生まれることがあります。自治体は、委託先の会社で社員に適正な賃金が支払われているかどうかを入札時の評価項目に入れるなど、率先してワーキングプア削減の模範を見せる必要があります。生活保護については、現在自治体が一部負担しているのを全額国庫負担とすることで自治体の『水際作戦』をなくせるのではないでしょうか」

 戸室准教授は「根本を変えないと立て直せない」と、貧困対策の必要性を強調した。(「THE PAGE」より転載)

1970年代、日本国民の多くの人々が「自分は中流階級」という意識を持っていたことから生まれた「一億総中流」という言葉。

その頃に第一線で働いていた人々も今は引退して年金生活に入り、高齢化の年齢構造となっている現代日本では、今でも国民全体としては「一億総中流」の意識を持っている人が多いようですが、実際は全体の5分の1近くの18.3%の世帯は生活保護基準以下の収入で生活している「貧困層」が存在しています。

それもその貧困層の多くが20代〜30代の若者や子育て世代となっています。

「老人の多くは中流以上の意識で悠々自適な年金暮らし、病気でもないのに病院に行って薬をもらっては貴重な血税の医療費に負荷をかけ、貧困層も多く出ている若者は、子供への福祉は不十分なまま、その老人の薬代のために日々あくせく働き、体調を崩して本当に病気になってしまう」

実際にこんなことを考えて日々を生きているわけではありませんが、冷静に今の社会を見るとこんな構図となっている一面もあり、それもこの傾向は緩和されるどころか、今後の深刻な少子高齢化社会を考えると、もはや「一億総老人」となるのも時間の問題です。

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「高齢者と子供、どちらの社会保障を手厚くするか」

平成26年の時点でも65歳以上の高齢者人口は3296万人、総人口に占める割合は25.9%となっており、すでに4人に1人は高齢者となっているため、いくら「未来ある子供達が大事」という考えが誰にも潜在的にあっても、もはや「日本人=高齢者」となりつつある現実社会においては、最大勢力ともなる年齢層の保障を第一にしなければ何かと大変です。

そのため、労働力の中心である若者は、自分1人だけの生活するにも大変なのに家族を養うためにも働き、家族だけでなく高齢者達を支えるためにももっともっと働かざるをえない状況となっています。

それでも仕事があって満足のいく給料がもらえるならまだしも、仕事はあったとしても、今は「正規雇用(正社員)」「非正規雇用」の二極化が顕著となっており、企業の多くは会社の将来を担うコアな部分は正社員としてのポストを残すものの、それ以外の大部分のポジションは非正規雇用のスタッフをロボットのように使い捨てにまわしていく方式となっており、今は年収200万円にも満たない非正規雇用の若者や子育て世代が数多くいる状況となっています。

今の経済学の社会の中では消費をしないと生産もなく、生産がなければ雇用も経済も回復しない仕組みになっています。

生産力も消費欲もない老人がただ増えていき、生産力や消費欲はあっても実際にお金のない若者世代が増えていく。

その結果、今の日本社会は経済が衰退していく負のスパイラルに陥って抜け出せなくなっています。

「こんな社会を作った政治が悪い」
「医療費の負担にしかならない老人はいらない」


今の不況や生活苦を政治や誰かのせいにしていても、日本の現状は何も変わらず、このまま本質的な部分の改革がなければ日本の未来も若者や子供達の未来もお先真っ暗のままとなってしまいます。

この解決方法を考えるとなると、今までの常識の中では限界があり、いくつか思い切った施策を実行しないと難しいと思います。

まずは単純に減少する労働人口を増やすとなると、外部(外国)から労働者を招き入れるか、もしくは国民の中から働ける人を増やすしかありません。

政府はすでに外国人労働者の受け入れを検討し始めていますが、それは最後の手段として、まずはできることとしたら高齢者と言われる世代の人々が引退せずに、そのまま働き続けることが必要となります。

今の時代、様々なことが機械によって自動化したり、コンピューターによって効率的にもなっているので、幸いにも体力がなくとも、頭さえ冴えてコミュニケーション能力があれば出来る仕事は多くあります。

世界一の長寿国である日本、まだまだ働ける意思も体力もある人が大勢いるはずですが、ところが今は、その頭も体も薬漬けの影響で思うように使えないのが現状となっており、貴重な労働力が抑制されたり眠らされたままになっています。

まずは薬漬けの生活から脱却し、心身ともに健康的な状態を作り上げて何歳からであろうとも自分の能力や経験をフルに生かして労働力となることが必要です。

病気にならない、寝たきりにならないのは当然ながら、現役時代よりも、もっと健康的に頭脳明晰に働ける“スーパー高齢者”となり、医療費の余計な負担もかけず、年金をもらうどころか自分の収入は自分で稼ぎ、それこそ年金の一部を他の動けない老人のためや子育て支援に回せる余裕があれば福祉のバランスもうまくとれるかもしれません。

70代や80代になっても常に現役バリバリでやっているスーパー高齢者。今では、こういった人はワンマン経営で社長をやってきた人や芸術家などにしかいないかもしれません。

多くの人々は定年退職とともに、プツンと緊張の糸とぶら下がって生きていた糸の両方が切れたと同時に将来への明確な目標がなくなり、次第にボケてしまって最終的に寝たきりの道を歩むことになります。

今の時代、実年齢こそは変われませんが、細胞年齢を20〜30歳若返らせるのは難しいことではありませんし、それこそ意識を20代や30代の若者に戻すのも本人の気持ち次第なので、定年退職をきっかけにスーパー高齢者を目指し、年齢がかさんでいても見た目も中身も若く、それでいて年相応の知識と経験があるとなると、もはや最強の日本人になれます。

労働力としてはもちろん、家族の中でも社会に出ても頼られて活躍できる場面が多くなるので、本人はより一層モチベーションも上がり、さらに若く活力的に人生を生きてゆくことになります。

高齢者をスーパー高齢者にすること。

寿命を迎える直前まで、経済的にも社会的にも大活躍する老人が増えれば、少子高齢化も日本にとってプラスとなり、将来の展望も一気に明るくなりますが、これは本人が本気で自分の可能性を信じて生まれ変わるような心構えがないと、99%以上は普通に年老いて相応の老後生活となるので、今のメディア洗脳が根深く、薬依存が抜けない国民意識では難しい打開策だと思います。

では、もっと大胆な改革をするには何をどうしたら良いのでしょうか。

そもそも、今の経済社会が「お金」がベースとなっている限りは抜本的な改革は難しいと思います。

お金を動かすことが経済活動の主軸となっており、お金を動かすために不要な需要を作り、不要な生産物を増やし、そこで生まれたお金を一部の人々達が多く集め、大部分の人々に最低限生きるのに困らない僅かなお金を与える・・・。

このマネーゲームの経済社会においては、すべての中心が「お金」であり、そこには地球や後世の人類のことを考えたルールなど1つもありません。

「今だけ、自分たちだけがよければすべてよし」のルールであって、どんなに無意味な生産物を増やしても、その生産過程においても廃棄処理においても地球環境がどうなろうと関係なく、また生産物が人間の健康を害そうとも関係ありません。

今の地球上に無限にも存在する多種多少な商品とサービスを縄文人や宇宙人が見て、心から「これは欲しい」「これは絶対に必要」と唸るようなものは一体どれほどあるでしょうか。

きっと胸を張って自慢できるようなものは少ないように思えます。

「生産の意識改革」

今、必要なのは「意識改革」であり、まずは“生産”に対する概念も地球人としてのモラルを基準にした概念へと切り替えないといけないと思います。

「なんのために生産をするのか?」

人々の娯楽のため、幸せのため、生きるために必要なものが次々に生み出されている現代社会。

それはそれで結構なことではありますが、そのために何をやっても何を作っても良いというのは、今の地球のお金の社会の人類が作った自分勝手なエゴのルール。

人々の欲を満たすためなら、地球はどうでもよい、他の動植物もどうでもよい、もっといえば他国や他人もどうでも良い、これを手にする「あなたの“欲”だけ」「今」満たされれば、これから先の人類も地球もどうなろうとも関係ない・・・。

こんなことを皆が好き放題に続けていたら、当然ながら持続可能は社会は構築できず、もう地球自体も臨界点を超えるギリギリのところまで今の経済社会はやってきていると思います。

今の人類にとっても、未来の人類にとっても、そして地球にとっても必要な生産物。

これを世界中の人たちが共通認識で実践していくには、やはり国家や民族、宗教を超えた「地球人としての役割の自覚と目指すビジョン」が必要となります。

我々地球人は、何のために地球という惑星に誕生し、本当は何をする必要があるのか。

会社にも理念があるように、地球に属する地球人全体にも共通する理念をしっかりと掲げ、経済も政治もすべて、その地球理念を基準に進めていかないと、結局のところ人類の勝手な欲望によって社会は自滅の道を歩むことになります。

「雇用の意識改革」

生産への意識転換をするにしても、いずれにしても生産活動があるからには組織が必要であり、お金の世界がしばらく継続するにも、それに代わる経済社会になろうとも組織の必要性は今と大きく変わらないと思います。

完全に資本主義経済が終わらない限りは、会社という組織が社会の中枢にあるのは変わりなく、個人で独立する人も増えていくでしょうが、しばらくは日本も中小企業を中心とした会社国家が続くことかと思われます。

縄文時代などの大昔の社会においては、国家がなかった時の個人の“所属”は村などの集落であり、それが血縁をも超えた1つの大きな家族でもありました。

その“所属”は、現代の資本主義経済においては多くの人が会社となっており、日々の生活の大半は時間も意識も会社のために使っています。

都会のアパートやマンション生活ともなれば、隣人の顔も見たこともない場合もあり、血が繋がっている家族や親族が地方にいても、同じ会社の支社や支店がその地方にあれば、その社員との方が日々親密に接していたり、現代社会においてのコミュニティの原点となるのは会社組織となっています。

すると、古代の集落の考えでいけば、「所属(コミュニティ)=家族」であり、本来であれば会社側も社員側もお互いが家族という認識のもとで雇用をするのが1番良い関係が築き上げられるように思えます。

お金が中心の社会の中、企業もお金のために生産活動をするとなれば、どうしても損得だけで社員を扱ったり、雇用の基準も作られてしまいますが、社員が家族となれば、その人の生産性や年齢、能力などは別の問題であり、ただ存在としていることだけで有難い、お金とは違った意味で価値のあること、意味のあることだと思えるようになります。

企業の意識転換。社員を駒と考えている限りは、非正規雇用と正規雇用の二極化と溝は深まるばかりであり、費用対効果を超えた部分に働くこと、社員でいることの価値を見出すことができれば、今の労働問題も大きく改善することができる可能性があります。

ただし、これを実現するには経営陣を含めて、お金(売り上げ)がなくとも社員全員が生きるに困らない環境を会社として作り出せることが大事であり、食を中心に自給自足できる会社(企業内農業)となることが求められます。

理想は衣食住の無料提供までも、そして企業内に医師もいて医療費の負担もなく、学校や介護施設などもあればベストです。

社員が生きるに困らないものをすべて自給し、余ったものは外部へ販売して「円」を稼ぎ、その資金で現時点では自給できないものを補う。

そんな自給自足のファミリー会社が全国各地に多種多様にあって、お互いの不足部分を協力し合っていけば、もしかすると企業同士のGive&Giveだけで国民全体が自給自足して循環するかもしれません。

これが夢物語で突拍子もない話かといえば、すでに一部で完全に実現している国家があります。

それが、イスラエルの農業コミュニティである「キブツ(KIBBUTZ)」であり、ユダヤ人は太古の昔より血縁を超えたコミュニティ作りに長けている民族でありました。

ユダヤのコミュニティは「ユダヤ教」という1つの宗教によって繋がりをもって団結していますが、今の日本人に神道などの宗教で繋がりを持てといっても難しく、特に会社組織でのコミュニティともなれば何か共通理念を持って一致団結する必要があります。

そこで必要となってくるのが、前述した「地球人としての役割の自覚と目指すビジョン」であり、人間や企業側だけの視点ではなく、もっと高次の視点からの理念を持って組織を運営していくことが望まれます。

「我々は皆、地球人であり、地球人としての役割を果たすために同じ組織(家族)として一緒に活動する」

なお、地球最後の生命体として存在した地球人の役割は、頭と手足を自由に使って他の動植物ができないことをやり、地球の生態系のバランスを整え、この惑星の生命活動を長く維持することです。

いずれにしても“生産”“雇用”における企業と個人の意識改革が求められています。

これが上手く実現できれば、結果的にスーパー高齢者も自然と誕生するようにもなるでしょうし、少子高齢化や若年層の貧困問題なども何とかなりそうな気もします。

そもそも貧困の基準が「お金のある、なし」なので、お金の有無によって生命の危機を左右されない状態を作ってあげれば貧困問題も解消するので・・・。

八ヶ岳の未来型の村では、世界に先駆けて「日本版キブツ」となる、そういった企業社会も作っていけたらと構想しています。