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事実上の元伊勢の最終地である伊雑宮を後にして、次に向かったのは一気に元伊勢の“始まり”である奈良の三輪山の麓の「檜原神社(ひばらじんじゃ)」「大神神社(おおみわじんじゃ)」

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1500年ほど前の元伊勢のスタート地点として知られている三輪山一帯は、実は今から3500年前古代出雲族が京都の上賀茂の次に政治の政所として開いた場所です。

後に2000年ほども都が栄えて出雲文明が最高潮ともなった地域ですが、この地を最初に治めたのは3500年前のスサノオの三男のニギハヤ(ヒ)であり、檜原神社を住居としながら、三輪山の麓の道を通って仕事場の大神神社へと通っていたのでした。

ところが奈良の三輪山一帯は、ニギハヤの時代に一度政権は転覆させられている苦い思い出の地でもあります。

スサノオの政策とは違い、敵も味方に取り入れて和合の道を目指したニギハヤは、当時に日本に侵略してきた横暴な種族のオロチョン族(オロチ)をも仲間にしていました。

ところがオロチョン族は仲間になったふりをしてクーデターを企て、隙を見て檜原神社を襲撃し、捕らえられたニギハヤは斬首の刑で惨殺され、勢いに乗ったオロチョン族は、出雲族の本拠地である上賀茂へも侵略してきました。

その頃、スサノオは老衰にて亡くなっており、上賀茂にはスサノオの妻でありニギハヤの母であるクシナダと体が不自由のニギハヤの弟がいましたが、仲間や親族は皆殺しにされ、最後に残ったクシナダは、上賀茂から引きずられて奈良の春日大社まで運ばれ、そこで公開処刑となって最期を迎えました。

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その遺体は、スサノオの第二夫人であるアマテラス(幣立神社の末娘)によって手厚く葬られ、今も奈良市の「大倭神宮(おおやまとじんぐう)」で安らかに眠っています。

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ここは神社庁にも属さず、一部の人しか知らない特別な神社であり、極めて重要な場所であったので今まで名前も出しませんでしたが、今は「ヤマト開き」の時、ご縁ある方が参拝に訪れると思うので公開しておきます。

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なお、スサノオの墓は当初は檜原神社にあったのが移されて、現在は檜原神社から20分ほど山を登った「笠山荒神社」にあります。

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「日・月・星」“妙見信仰”をシンボルとする三本の巨大な剣の下に3500年前の出雲王スサノオは眠っています。

ここは本殿ルートではなく、鳥居をくぐってすぐ左の坂を登った先にあります。

ここも今まで公開しませんでしたが、同じくご縁ある方々に丁寧にお参り頂くことを望んでお知らせしておきます。

上賀茂の崩落後、アマテラスが四国の阿波より兵団を率いれて都を奪還し、その後にニギハヤの末裔と共に2000年にも渡る長期の出雲王朝を継続させましたが、その王朝は1500年前のある日、巨大な隕石の落下によって一瞬にして都が消失してしまいました。

その隕石に乗って天からやってきた天孫民族と名乗り、いつの間にかヤマトの地を治めて、自分達がやってくる以前の過去の歴史を神話にして生まれたのが、朝鮮半島の王家の大和朝廷。そして、その延長線上にある現代の日本。

ただ、今は鶴と亀の統合であり、古くは同じユダヤ十支族、その元はムーの末裔同士です。

分離の時代から統合の時代、多くの血を流したヤマトの地が開かれ、新生日本の活動が始まります。