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目覚めた魂 - あなた自身が「パワースポット」になる方法 - (ワニプラス)
【内容紹介】
月間100万以上のアクセス数を誇るブログ「天下泰平」の執筆者であり、八ヶ岳の麓で自給自足のコミュニティを運営する「半農半X」の実践者・滝沢泰平と、健康エッセイストで、ブログ「魂の紀行」の鳴海周平のスピリチュアルコラボで贈る,「新しい時代」への道標が本書です。物理的、経済的な基準で判断する時代から、愛を基準として行動する時代へ。そして頭で考えて行動する時代から、こころとからだと魂の声を聞いて行動する時代へ――。「目覚めた魂」たちが創る新しい時代には、あなたのいる場所、そしてあなた自身がパワースポットになります。

【著者について】
滝沢 泰平 (たきさわ・たいへい)
1982年宮城県仙台市生まれ。「半農半X」を個人と企業へ普及させるために、2012年やつは株式会社・2016年に八ヶ岳ピースファーム株式会社を設立。八ヶ岳南麓を拠点に未来型の村と自給自足できる社会づくりを目指す。月間100万アクセスのWEBサイト「天下泰平」ブログ執筆者。著書に『レインボーチルドレン』『ここはアセンション真っ只中』『これから10年「世界を変える」過ごし方』(すべてヒカルランド)などがある。

鳴海 周平 (なるみ・しゅうへい)
1971年北海道生まれ。心身を癒す高波動製品の開発・普及にあたる㈱エヌ・ピュア代表として、スピリチュアルな内容も交えた健幸情報を、講演や著作などで発表している。またライフワークである世界各地への巡礼を、ブログ『魂の紀行』にて公開中。著書に『医者いらずになる 1分間健康法』(帯津良一氏との共著)『[小食・不食・快食]の時代へ』(はせくらみゆき氏との共著・共にワニ・プラス)などがある






昨年、5月から6月頭にスペイン・ポルトガルを訪れ、夏至に京都から始まった全国巡礼の旅も1年が経過しようとしており、いよいよ今年の夏至に夜明の晩が開けて大きな時代の転換を迎えます。

2012年冬至を起点に1万3000年続いた分離の時代が“目にみえない世界”で本格的に終焉を迎え、3年半後の2016年夏至の今、この現実世界の“目にみえる世界”でも次の統合の時代の始まりのベルが鳴ろうとしています。

そんな節目のタイミングに、この1年間共に巡礼の旅を続けてきた鳴海周平さんと一緒に共著「目覚めた魂」というタイトルの本を出版します。

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鳴海周平さんは、北海道でHADO測定でこだわり抜いた健康食品や化粧品を販売する実業家であり、テレビやラジオにも多く出演、著書も複数書いている「健康エッセイスト」としても広く知られている方です。

でも、それはあくまでも“表の顔”であり、本当の姿は地球を癒す「アースヒーラー」

子供の頃より、人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、中学生になる頃には自身の持つ能力を探求することになり、やがて人を癒すヒーラーとしての力を開花させることになります。

その能力は桁外れに高く、結果が出た人の間で瞬く間に口コミで噂が広まり、高校生になる頃には、学校で勉強しながらも夜は行列のできるプロのカリスマヒーラーとして有名になったそうです。

今から30年近くも前の時代において、10代でヒーリングだけで生計を立てられるようになるのはよほどの実力がないとできないことであり、成人を迎えても勢いは収まるどころか顧客は増え続けていたようです。

ところが、20歳を過ぎると急にヒーリングにも嫌気がさし、そこから先はスパッと能力を閉じて、20年以上もビジネスの世界にどっぷりと浸かることになります。

ビジネスの世界でも、若くして頭角をあらわし、各界で活躍する著名人達とも交流を深め、ビジネスでも大成功の道を歩むものの、2012年7月、何気なく訪れた京都の下鴨神社で再び閉じていた能力が覚醒し始め、そこからヒーラーとしての任務に再びつくことになり、それも今度は“地球のツボ”を指圧するアースヒーラーとしての道を歩むことになります。

その“場”を調整する能力は、やはり桁外れに高いものであり、元高野僧の長典男さんのお墨付き。

また、その場その場で受け取るシンボルやメッセージもまた、非常に高次元のものであり、幼少期から持っていた能力は、今まさに絶頂期を迎えて活躍しています。

今回の新著「目覚めた魂」は、そんな鳴海周平さんの“本当の姿”を全面的に出した本であり、これはいくつもの現実的な世界の話を著書に書いたりメディア露出でも伝えてきた本人にとっては、初めての大チャレンジの“カミングアウト”です。

「えっ?鳴海さんってそういう人だったの?」

これまでビジネスマンとしてや健康エッセイストとしての一面しか知らなかった人々は、きっと最初は驚いてしまうかもしれません。

でも、きっとそれも受け入れられる時代となったので、その雛形として鳴海さんは、世の中に全面的に自分自身の素の姿を隠さずにオープンに伝えることにしました。

皆様の中にも、能力の有無に関わらず、きっと本当の自分を隠して今まで生きてきた人々が大勢いると思いますが、これから先はもう何も隠さず気にせず、素のままの自分を表現しても大丈夫な時代であると思います。

「目覚めた魂が、籠を飛び出す時」

鳴海周平さんは「目にみえない世界」にどういった変化があり、この先どうなっていくかを、そしてわたくし滝沢は「目にみえる世界」にどういった変化があり、この先の新しい世界はどうなっていくか、何が必要となるかを伝えています。

これからの時代に自分らしく生きるためのヒントやメッセージがきっと多く詰まっていると思いますので、是非ともご興味のある方はご一読頂けたら幸いです。

また、表紙にある曼荼羅は、今回は無理をいって特別な方へ依頼した特別なもの。

目に入っただけで意識の変容が起こる人もいるほど強く神聖なるエネルギーの曼荼羅となっており、内容もさることながら、是非とも曼荼羅にも注目くださいませ。

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〜 籠を飛び出す鳥 〜(「目覚めた魂 第1章(滝沢泰平)」より)
(1)半歩遅い目にみえる世界の夜明け

「原因があるから結果がある」という因果応報の法則。

この世界もまた、五感と個を超えた目にみえない「原因の世界」と五感と個を通して感じる目にみえる「結果の世界」の表裏一体の仕組みで出来上がっており、目にみえる世界の“半歩先”を行くと言われるのが目にみえない世界。

半歩先。これは世界の時間の“時差”みたいなものであり、同じ日でも日本では夜明けの時間であってもヨーロッパではまだ真夜中であるように、目にみえない世界では夜明けが始まっていても目にみえる現実世界は、今はまだ夜明け前の暗い夜空であるのかもしれません。

「夜明け前が一番暗い」

そんな言葉があるように、もし目にみえる世界が夜明け前の直前であるならば、いつまでも争いが絶えないような現実社会の闇も今が一番深い時なのかもしれません。

目にみえない世界と目にみえる世界の時差。それは一体どれほどあるのでしょうか。

目にみえる世界の夜明けは、もう数分先まで迫っているかもしれませんし、まだまだ数時間も先のことかもしれません。

ただ、はっきりと断言できることは1つ、毎日陽が昇るのと一緒で、いつかは必ず「世(夜)は開(明)ける」はずです。

それでは、この新しい時代の到来。目にみえる世界の夜明けとは一体どういったものなのでしょうか。

暗い闇夜の世界から移り変わった光の世界では、辺り一帯にお花畑が広がり、まるで楽園のような世界が姿をあらわすのでしょうか。

確かに夜明け後のどこかのタイミングではそういった世の中も訪れるかもしれませんが、現実はすぐにはそんな甘い世界が始まるわけではないと思います。


かごめかごめ

籠の中の鳥は

いついつ出やる 

夜明けの晩に

鶴と亀が滑った

後ろの正面だあれ



これから始まる夜明けは、長い間、身も心も囚われていた人類の大解放。

鎖も外れ、檻からも出て、動物園(かご)の外の世界へと飛び出した人類(鳥)が野生のフィールドで無限に広がる広大な世界を自由に駆け巡ることになります。


(5)違いは自立している人か依存している人か


籠の中の鳥が今、外の世界へと飛び立つ時。

野生の自由の世界を天国と思うか、それとも動物園で飼いならされた頃の狭く不自由の世界を天国と思うか。

野生の外の世界を知っていて、自分たちが動物園の世界で飼われていたことに気づいた人々にとっては、動物園は地獄であり、これから始まる外の世界は天国のように思えることでしょう。

ところが多くの人々は自分たちが動物園という限定された世界の中で寝床も食べ物も与えられて飼育されており、自分たちで生きているようで生かされていたことにも気付かず、なんとなく生きては死んでいくこの世界を地獄だとは思わず、どこか居心地の良ささえも感じています。

野生の本能も失われ、自分の力で生きて行くことも忘れた動物園の動物達が、ある日にアフリカの大草原の中へと放り出されたら、一体どういった人生を歩むことになるでしょうか。

外敵に襲われることもなく、決まった時間に餌も与えられ、自由はなくとも良くも悪くも平和に生かされていた動物園から、今度は自然の循環の仕組みの中、自らの力で本気で生きることを日々やっていかないと生き残れないのが野生の厳しさでもあります。

新しい時代の到来と共に、これまで人類を長い間支配・コントロールしていた存在の権力が弱まり、彼らが作った世界が音を立てて崩れ始める中、今まで動物園の中、檻の中に入れられて鎖で繋がれて自由を奪われながらも生かされていた人類は、これから鎖を解き放ち、檻から、動物園から出て自由の世界へと旅立ちます。

外の世界は、動物園に比べたら何千倍、全万倍もの無限のフィールドが広がっており、いつどこに何をしに行くのも自由です。

食べたいものを食べ、やりたいことをやり、誰かの指示に従う必要もなく、やりたくもない仕事をやって見世物となり、無理にお客さんを喜ばせる必要もありません。

世界は自らの力によって自在に作り出せ、好きなように人生をデザインすることができます。

その代わり、自由と引き換えに自分の力で自立して生きていかなければ、今日、明日にでも息絶えてしまう厳しさも野生の中にはありますが、自立して生きていくことさえできれば、あとは毎日が心がワクワク踊る天国のような世界です。

同じ環境下に置かれても、そこを天国と感じるか地獄と感じるかは、その人の心の中や意識の環境次第。

外の環境が天国を作り、幸せを与えてくれるのではなく、自分の中(内側)の環境が外の環境を天国にし、幸せを感じさせてくれます。

これまでの窮屈な世界から自由な世界へと誰もが強制的に飛び出さされる、目にみえる世界の夜明け。

自分が動物園の中にいることに気づき、自立の準備ができた人には夜明けの世界は天国となるかもしれませんが、自分が動物園の中にいることさえも気付かず、どこかにぶら下がり、誰かに依存することに慣れてしまった人には、まるでドラキュラが朝日を浴びるかのように、夜明けの太陽の光は眩し過ぎて、身を打ち砕くように降り注がれるかもしれません。

何かがきっかけで目覚めて自立する人と何かにしがみついて依存する人の二極化。

夜明け前の今、少しでも依存から自立へと意識も現実の生活もシフトすることが大事な時です。

その具体的な方法は、また第三章で詳しくお伝えしますが、ここでは新時代を迎える前にもう1つ重要なポイントをお伝えします。

多くの人々が目にみえる世界しか見てこなかった時代が長く続き、その中で孤独に目にみえない世界も探求してきた人々にとっては、世の中の本当の夜明け、新しい時代の到来を今か今かと心から強く待ち望んでいたことでしょう。

「今の世界は地獄のような暗い悪い世界であり、早く天国のような世界になって欲しい」

夜明け後の新しい世界は天国のような世界、反対に夜明けの晩の今の世界を地獄のような世界として捉えている人もいるかもしれませんが、前述したように、天国も地獄も外の環境ではなく、自分自身の内側の目にはみえない原因の世界にあります。

外の環境という結果の世界がいくら変わっても、原因の世界である個人の内側が変わらなければ、いくら待っても新しい世界は到来せず、いつまでも現実は地獄の世界のまま変わらないかもしれません。

すでに夜が明けているのにカーテンを閉めたままでは朝日にも気づかず、カーテンを開けてもサングラスをかけていたらお日様の光を感じることはできません。

同じように、自分の心の窓のカーテンをしめて、心の目もサングラスをかけていては、新しい世界の到来に気づかず、いつまでも暗闇の世界が続いていると思ってしまいます。

それこそ闇夜の中でサングラスをかければより闇は深まるばかりであり、今のこの世界が地獄のように見えるのも、無意識にかけてしまったサングラスによって本当の世界が見えていないことが1つの原因かもしれません。

確かに今はまだ真っ暗闇の世界かもしれませんが、だからこそ輝く星を見ることができますし、そんな暗闇を照らす月明かりに感謝することもできます。

でも、サングラスをかけていたら、その美しい星々の光さえも見えなくなってしまいます。
今の世の中を地獄と思っている限りは、これからやってくる世の中も地獄のように見えてしまいます。

これは身近なところでは、転職や移住も一緒です。

今の会社が嫌で新しい会社へ転職しても、その理由がネガティヴが動機であれば、新しい会社へ行っても、また別な理由でその会社が嫌になるかもしれません。

地震や放射能が怖い、そういった理由だけで移住をして新天地を求めても、その移住先でもまた別の理由で恐怖を感じることがあり、気づけば引越しを繰り返すことになるかもしれません。

同じように、今いる世界が嫌で嫌でしょうがないからといって、救いを求めるように新しい世界の到来を待ち望んでも、結局新しい世界は新しい世界で、また別の理由で嫌になってしまうことだってあると思います。

同じ世界にいるのに、自立している人と依存している人では180度別の世界になりますが、自分自身の心のあり方によっても、人それぞれ180度違う世界を体験することになります。

確かに新しい世界は放っておいても誰にでもやってくることでしょう。だから何も心配いらないのも確かだと思います。

ただ、それを良い世界か悪い世界か、どちらに捉えるのも結局は自分次第。本当の新しい世界はどこか遠くからやってくるのではなく、すべて自分の内側(中)にあるものなのかもしれません。

夜明け前の今、自立することに加えて必要なのは、心の目にかかっているサングラスを外すこと。

サングラスを外して光を感じる力を取り戻す準備だけしておけば、きっと自由でワクワクするような素晴らしい世の中になることは間違いありません。


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エピローグ
「今の自分も未来の誰かの過去生なんだよね」

2015年10月29日。鳴海周平さん達と一緒に全国の聖地巡礼の旅をしている時、長崎県の雲仙市の宿の夕食でポロッと出た話題です。

「来生の自分から見た今の自分か・・・」

スピリチュアルブームに伴い、自分の過去生を知りたい、今生の使命や役割を知りたい人も大勢増えてきましたが、来生の自分がどんな人間として生まれてくるのかまでを日々意識して生きている人は少ないように思えます。

「実は私の前世は○○だったのです」
「今の自分が幸せでないのは、過去生のカルマが影響している」

過去の栄光や過去の償いのために今を生きるのか、それとも来生の自分がより地球を楽しむために今を生きるのか。

もしも来生があるなら、今生は簡単には悪いことはできませんよね。

因果応報の法則、自分で蒔いた種は自分で刈り取ることになるのであれば、今生に負の貯金をするよりも少しでも徳を積んで来生はもっと自由に楽しみたいものです。

そして、子供達や後世の人々のために良い世の中を残したい気持ちも当然ありますが、やっぱり自分自身が次に来た時にもっと今よりも楽しい地球であって欲しいというのが本音。

それが今の様々な活動の原動力になっています。

来生を意識した生き方は、今の自分の襟を正したり、モチベーションを上げる良い要素になります。

だからといって、過去生の自分が無意味なものという意味ではなく、過去の自分があるから今の自分があり、今の自分があるから未来の自分もあり、魂が永遠不滅であれば、すべては同じ自分で繋がっている愛おしい存在であります。

それに、過去に意識を向けられる人は未来(来生)にも意識を向けることができます。

今だけ自分だけ目にみえる世界しか考えられない人は、過去生といっても「??」となってしまうので来生などもってのほかです。

過去生も意識して、来生も意識して今生の今の自分を生きることは、これからの時代はとても大事だと思います。

今は意識の視点を次のステージへ引き上げ、過去生の自分、今生の自分、来生の自分の3点を見ている大元の自分へと立ち返る時です。

「お久しぶりです」

意識のステージが切り替わった新しい世界では、思わずそんな言葉が出てきてしまうほど、初対面の人に会って、何とも言えない懐かしさを感じる人も増えてくることでしょう。

「またお会いしましょう」

そんな日常の中にある何気ない言葉も、これから先は何年先か何百年先のことになるのかわかりませんが、今出会っている人々も過去に約束したから出会えたのであり、また今生で約束すれば必ずいつか出会えるものだと思います。

その時に、今回の地球維新を懐かしい思い出話とともに笑い飛ばせる日が来ることを楽しみにしています。