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夜明けの晩の最終章、淡路島〜阿波巡りの旅。

淡路島(紫苑之山)から鳴門の渦を超えて次に訪れた場所は、徳島県美馬市木屋平にある「三木家(みきけ)」です。

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剣山にもほど近い徳島の三木家といえば、皇太子が天皇へと即位した時に行われる「大嘗祭(だいじょうさい)」において、もっとも重要な「大麻の織物=麁服(あらたえ)」を作る一族として知られています。

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「麁服(あらたえ)」は、天皇が即位する時に神事で着る「大麻の服」のように思われがちですが、実際は巻物のように長い一枚の大麻の織物であります。

この大麻の麁服がなければ「天皇としては半人前」と言われるほど、神道と密接に関わっている大麻は、天皇になるため、そして天皇であるためのマストアイテムです。

また、どこの地方の誰が作った大麻の麁服でも良いわけでなく、朝廷が指定するのは、必ず徳島の三木家が作った大麻の麁服である必要があります。

正式には「阿波忌部族(あわいんべぞく)」の麁服でなければなりません。

阿波忌部族とは、大和朝廷建国にも関わった古い氏族であり、農業を中心とした産業技術を持った職人を引き連れた集団で、日本全国に散って大麻を普及させたことでも知られています。

また、大化の改新まで大和朝廷の宮中祭祀を司った一族でもあり、その中で天皇家に古くから伝わる大嘗祭の麁服もすべて阿波忌部族が担当していました。

この阿波忌部族の直系であるのが三木家であり、明治維新後も天皇が即位する度に皇室へ大嘗祭の麁服を調製し・ 調進(供納)しています。

天皇が崩御され、次期天皇が決まって年号が変わり、それから三木家では大麻の種まき、収穫をして手作業で麁服を作り上げて皇居まで届けます。

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畑作り、種まきから織るまでの一連の作業すべてを三木家が司り、1つひとつが神事のように祈りの中で丁寧に行われます。

「大麻は麻薬である」

本来は日本の中で神聖な植物であり、太古の昔から神道・祭祀の中で大切に扱われていた大麻も、戦後の日本では大麻の偏った一面しか国民には教えていません。

「籠の中の鳥は、いついつ出やる」

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大麻の麁服は、大嘗祭の時に「籠目の容器」に入れられて大事に保管されています。

鶴と亀が統べりし時。ここでもまた籠の中の鳥(大麻)が外の世界へと飛び立ちます。

古代イスラエル人が、東のエルサレムとして集い、聖櫃アークを隠した剣山のある阿波の国。

そこから始まった日本の国づくりと神話。

阿波こそ日本神話の舞台であり、約束の地を目指した古代イスラエル人の聖地で、ヤマトとユダヤの日ユ同祖論のルーツであります。

夜明けの晩の最終章。

日本が大きく転換される時、日本の大麻の中心にあり、大嘗祭を司る阿波の三木家を訪れたことの意味は計り知れないほど大きなものでした。

それらすべての“型”を夏至開けに八ヶ岳の「よあけて であえて」で披露することになると思います。