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見える食から見えない食へ《“やつは”メールマガジン(NO.154)》(11/7号)

昨日まで大阪滞在でした。

大阪にある国際会議場にて世界中の要人が集まるサミットではなく、少食や不食の人々が集まる「プラーナライフサミット」が開催されていたからです。

主催は、天上食(プラーナ)モードと地上食モードを自由自在にコントロールすることができ、いつでも不食人間になれるミラクルアーティストのはせくらみゆきさん。

その他の講師陣は、青汁一杯だけですでに何十年と過ごしている森美智代さん、食べないどころか水も飲まない不食の弁護士の秋山佳胤さん、「食べない、 死なない、争わない」の著書で有名である元判事の稲葉耶季さん、それに加えて自分の合計5名です。

森美智代さんは不食ではなく、青汁一杯を毎日欠かさず摂取されていますが、青汁一杯でも「いっぱい(たくさん)」ではなく、本当にコップに僅かに一杯、1日50キロカロリーだけの栄養で何十年も元気に過ごされています。

稲葉先生も不食になると水だけで5ヶ月とか平気で過ごしてしまう人、秋山先生は普段は水がなくても過ごせる人であり、マラソン大会に出場して9kmを汗だくになって完走しても喉が乾かないと仰ってました。

「汗も出るのにどこから水分を補給するのか?」

そんな疑問があると思いますが、秋山先生は口から物質としての水分を取り入れなくても、空間にあるエネルギーを合成して水分を体内に創造することができ、同じように栄養素も宇宙エネルギー(プラーナ)から作り出すことができるそうです。

はせくらさんなんて、イメージで味までつけることができると言います。

つまり、不食というのではなく食べてはいるのですが、それが物質的な食べ物や飲み物ではなくプラーナを食べているのです。

これから先は「プラーナ食」の時代。

人間は食べ物が燃料となって動いているのではなく、食べたものを原子転換してエネルギーに変えて発電し、生命活動をしているとも言います。

発電でいえば、固形燃料である石炭や石油を燃やして発電する旧型の火力発電所から、太陽光やそれこそ空間中のエネルギーを取り入れて発電するフリーエネルギーの原理であり、秋山先生やはせくらさん、その他の講師陣の方々もまたフリーエネルギーの原理によって生きているようなものです。

見える食から見えない食へ。

だからといって、プラーナ食を目指すのがゴールでもなく、大事なことは「食べてもいいし、食べなくてもいいし、どっちでもいい」そういった自由な選択が人間には常にあることを知ることだと思います。

「人間は食べないと死んでしまう」という固定概念を持って99%以上の人々がこれまで生きてきたと思いますが、これから先は「食べなくても死なない」という概念が少しずつ認知されてくると思います。

人は「食べないと死ぬ」という“恐怖感”があるとお腹が空いて、本当に餓死してしまうそうです。

まずはこの恐怖感を取り除くことによって、お腹が空くという現象が少しずつ減っていき、食事の量も同じように少食になっていくといつの間にか「食べても食べなくてもどっちでもいいや」となってくるようです。

これは実際、自分自身も同じような価値観の変容から体質が変わっていったのでよくわかる気がします。

プラーナ食の人々がいること、それも実際に目の前にいて存在していることを知ってから、自分の中で食べることへの固定概念が崩れていき、それから「自分もできるかも」と思い始めてから、極端にお腹がすくことがなくなり、放っておくと2日や3日は食べることを忘れて過ごしてしまうこともあります。

とはいえ生活をする上でコミュニケーションも含めて食べることは大切な時間でもあり、1人きりになる以外はあえて食べない選択をすることはありませんが、ただ胃袋が小さくなったというわけでもなく、年々少食にはなっていき、多くて1日に2食、体の調子が良いと1日に1食くらいが心身軽やかになって元気でいられます。

山登りのときもまた、本当は食べない飲まない方がプラーナが多く摂取できると聞いて、実際に片道5時間以上の登山でも一切飲まず食わずを試したりもしましたが、これもまたそういった意識で登ると本当に喉も乾かず、お腹も一切空かない状況でいけます。

ただ、ちょっと意識が緩んだり、何か差し入れでお菓子でも一口食べると急に普通の意識に戻ってお腹が空いたり喉が渇いたりするので、まだまだ精神的な修行が必要な部分もあります。

食べなくても生きていけること、人は死なないこと。

これはこれから訪れる可能性の高い「食糧危機」の時代において、多くの人々に非常に役立つ叡智となるかもしれません。

遭難や何かの災害によって食べ物も水もない環境に置かれた時、パニックに陥って「食べ物がないと死ぬ」と思うと一気に飢餓状況へと自然に陥ってしまいます。

でも、ここで「食べなくても大丈夫」という概念がどこかにあれば、そういった状況でも冷静に過ごせるだけでなく、本当にお腹がすくこともなく元気でいられる状況になり、これは震災にしろ、通貨危機にしろ、一時的や長期的にも食の確保ができなくなった時に大いなる救いとなります。

プラーナを取り入れるようになるには、まずはプラーナだけで生きている人々が現存していることを認識し、そしてその人たちが特別な存在でもなく同じ人間であり、自分にもその可能性があることを自覚することから始まります。

また、いきなり不食、プラーナ食の道へ進まなくとも、まずは少食として1日3食だったのを2食にしたり、3食でも1度の食事量を制限する、ゆっくり噛んで食事をすることなどからでも着実に食のリズムを変えることができます。

また食べる食材にも少し気を遣い、なるべくエネルギーの高いものを摂取するようにした方が少食になりやすいように思えます。

野菜なら自然栽培のものや地産のもの、また添加物が入っていない食品、理想は家庭菜園で自分が手塩をかけて育てた食べ物がもっともエネルギーの高いものだと思います。

食という字は「人を良くする」と書きますので、単純にお腹を満たすだけが食の役割ではなく、本当の意味で生命をつくるものだと思います。

癌という字は「口が3つに山」であり、山ほど食べすぎると病気になってしまうことを意味しているとも言います。

ただの食べ過ぎだけでなく、現代食は自然から離れた食材が当たり前に羅列されている状況であり、これでは多かれ少なかれ体にとって毒となるものばかりです。

食べない選択をできることは、死への恐怖感が取り除かれて万が一の時にも安定して過ごせるだけでなく、経済的にも食費への負担が減り、そして健康的にもなれるいいところだらけであります。

でもまた、食べることによる幸せも多くあり、好きな人々と食事を通して過ごす時間、自分が好きなものを食べる喜び、旅先でその地にあるものを頂く楽しみ、食べることは人々の生活や人生を豊かにする1つでもあります。

その良さも残しながらも、もう1つ「食べなくてもよい」という選択肢を加えるだけで、より今の人類が豊かになれる可能性があります。

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今回のイベントは、そんな雛形作りの1つ。

キャンセル待ちが500人以上もいて、参加者も含めると1000人以上の方が楽しみにしていたようですが、早ければ年内にDVD化されるのでご興味のある方は是非ともDVDをどうぞ。

森美智代さんにより、プラーナを取り入れる体操方法なども収録されています。

また「食べる」という行為は、心理的に見れば満たされない心の何かを埋める行為とも言います。

もし、自分の内側に満たされない何かがあるようであれば、まずは自己愛で満たすことからプラーナ食のスイッチも入るかもしれません。

そして、子供が夢中になってワクワクすることに取り組んでいると「食べることを忘れる」という状況になりますが、人生そのものをワクワクで楽しく生きられるようになると、意識せずともプラーナ食をしているようになっているかもしれません。

恐怖感や不安、ネガティブな意識や思考はエネルギーを消費して飢餓へと向かいますが、ワクワク楽しいポジティブな意識や思考はプラーナを取り入れてフリーエネルギー人間となります。

自分を許し、受け入れて自己愛に満たし、そして日々を楽しく生きること。

それがプラーナ食への第一歩となるかもしれません。(転載終了)