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昨晩の夜中にイスラエルから八ヶ岳へと無事に戻ってきました。

4年連続、4度目のイスラエルの旅であり、今回は初の皆さんをお連れしての旅でありましたが、これまで以上に充実した最高の10日間のイスラエルでありました。

ご参加頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

相変わらずの我が旅は順調にハプニング続きであり、まず最初から予定外の流れが始まっていました。

今回の旅の目的の1つは、日本人現地ガイドの榊原さん(通称:バラさん)を皆さんにご紹介することでもありました。

バラさんは普段はイスラエル在住ですが、年に1度は長期のオフの期間があり、1ヶ月から2ヶ月ほど日本に戻って滞在する時があるのですが、今回は我々のツアーがオフ明け最初の仕事であり、15日のツアーが始まる前に11日に一足先に日本からイスラエルに戻る予定だったのです。

ところが、まさかの成田で飛行機に乗れない事態に・・・。

なんと、空港で搭乗手続きをしようとしたら、持ってきたパスポートが奥様のであったのでした。

まさかまさかの大失態で、11日に搭乗予定が乗れず、便を変えて乗ろうとしても、12日も満席、13日も満席、なんと14日も満席で一切乗ることができず、結局奇跡的に1席だけ空いていたのが15日の便、我々のグループが乗る便と一緒の飛行機でイスラエルへ行くことになったのです。

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バラさん、イスラエルガイド始まって以来の成田空港から同行ガイド。

本来であれば、イスラエルの空港でお出迎えが、成田空港でツアー参加者をお出迎えするという奇跡的なハプニングから旅はスタートしたのです。

おかげでイスラエルまでもスムーズに入国できただけでなく、ツアー参加者とも早くから交流することができ、バラさんを含めた旅のメンバーの親密度が一気に増しました。

こうして始まったバラさんを含めた38人のイスラエルの旅。

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現地時間9月16日、イスラエルのテルアビブ空港に着いてすぐ、地中海のカエサリア遺跡を観光、ランチをしてから最終戦争ハルマゲドンの地であるメギドの丘を訪れ、その後は早速イエス・キリストゆかりの地であるガリラヤ湖へ向かいました。

ここから3泊4日、9月16日から19日まではゆっくりガリラヤ湖滞在です。

イエスと弟子たちの伝説が残るガリラヤ湖周辺の数々の名スポットも訪れましたが、今回は普通の観光客はもちろん、日本人などは絶対訪れることのないツファットというガリラヤ北部の町を訪れる機会がありました。

ツファットは、イスラエルの中でも特殊な地域であり、ユダヤの神秘学である「カバラ学」の中心的なエリアで、伝統あるユダヤ人達が今も住んでいる地域です。

ツファットの町の中心に到着すると、バスを降りた目の前で現地ユダヤ人の人だかりがあり、そこではなんとも珍しいユダヤ人の成人式のお祝いセレモニーが開かれていました。

ちなみにユダヤ人は男の子は13歳、女の子は12歳で成人となります。

今回は男の子のユダヤ成人式に遭遇することになり、ツアーメンバーも周囲で写真を撮ったりお祝いしていると、突如としてお祭りの中の1人のユダヤ人が自分の手を引っ張り、なんと1人だけ一緒にセレモニーの輪に参加することになりました。

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なぜか現地ユダヤ人達と手をつないで日本人代表で見ず知らずのユダヤ人の子の成人式に混じってお祝いすることに。

一緒に歌を歌い、踊り、ひと段落するとマイクでインタビューされて

「どこから来ましたか?」

と聞かれたので

「ジャパン」

と答えると

「ジャパン!!」

と皆さんとても喜んで拍手してくれました。

「こんな機会に遭遇することも混じることもありえない」

ガイドのバラさんも初めての出来事でびっくりしてましたが、ユダヤと日本が手を結ぶ雛形、今回もまた思い出に残るガリラヤ滞在となりました。

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そして、その日の夜中、前回のメルマガでも紹介したように、真夜中に再びガリラヤ湖畔の崖で未知なる生物と遭遇・・・。

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「再び出逢ったガリラヤ湖の聖獣?珍獣?」
2015年春、2度目に訪れたイスラエルでは、ガリラヤ湖畔の崖山の上で未知なる生物との遭遇がありました。

真夜中に目を覚まし。フラッと気の赴くままに湖畔を散歩していると、崖山の方が気になり、真っ暗闇の茂みの中を
突き進んで山頂を目指していました。

その崖の上で至近距離で遭遇したのは、真っ白な狐のような姿をした動物であり、立派な尻尾を持っていました。

九尾の白狐との出逢い。

あれから2年が過ぎ、再び訪れたガリラヤ湖。

イスラエル時間の2017年9月18日の未明のことです。

ふと目をさますと午前4時前であり、気分転換にベランダに出ると、この日は星がとても良く見えていました。

その星空を見ていると、突如としてまたお呼び出し・・・。

それは具体的な声でもビジョンでもなく、ただ再びあの場所にいく必要がある衝動にかられ、バタバタ着替えながら2年前に珍獣と遭遇した崖山を目指しました。

「相変わらず何やっているのだろう・・・」

人影のないガリラヤ湖畔を1人フラフラと歩き続け、ようやく以前の崖山近くまでたどり着きました。

「崖山方面に入れる道はどこにあったかな?」

いかんせん2年ぶりだけでなく、前回も真夜中に訪れて景色がほとんど見えず、現地付近に着いたものの、道がわからなく困っていました。

すると一本の獣道みたいなものが見え、自分の内側に問いかけると、そこを進めという回答が。

「いやいや、ここはもともと道があったかもしれないけど、今はやぶ化してとても通れないでしょ」

そう頭では思いつつも、心の声に従って頭よりも高い草木の合間をくぐり抜けて進むと、なんとか崖山に進む道に合流。

「おぉー」

こうして以前に訪れた崖山の麓近辺まで進んでいくことができました。

「どこから登ったっけ??」

近くまで来ても、どこかで登り始めたのかわからず、とりあえず道の繋がるままに歩き続けると、少し高台の広場に到着しました。

そこには新月近くとなった月がガリラヤ湖の上に綺麗に見え、そして真上は空が開けて満天の星空が光っていました。

すると、ガリラヤ湖にあった月の上のあたりから、小さな円盤が一機スーッと横に流れていくのが見えました。

やがて消えると、今度は反対側方面からもスーッと一機円盤がやってきては、自分の前の空で消えました。

「この雰囲気、また逢えるかな?」

少し星空を見ながら意識を瞑想状態へと切り替えましたが、動物の気配はまったくせず、今回は何もやってきませんでした。

「さて、帰るかな」

こうして高台の広場を後にしようとすると、自分と崖の間にある人の背丈ほどある茂みから

「ガサッ」

という2年前に聞いた音がしました。

「ガサガサッ」

明らかに何か獣が目の前の茂みの中にいます。

この気配ははっきり覚えているので、すぐにあの存在だとわかりました。

「また来てくれたんだね」

姿は見えずとも、その息遣いまで聞こえてきそうな距離で茂みの中の存在と対面し、そこで座り込んで意識をコンタクトしていました。

かなり警戒されているのか、様子を見ているのか、足音はするものの、なかなか茂みからは出てこず、静かな時間が続きました。

すると、ふと頭の中で「ひふみ祝詞」のイメージが。

柏手を打ちつつ、そこで1人で声を出してひふみ祝詞を奏上すると、茂みの中に大きな反応が生まれ、急にその存在も活発に動き出しました。

「ガサガサガサガサッ」

こうして、ついに茂みから飛び出してきました。

残念ながら、茂みから自分の目の前の方に飛び出したのではなく、反対側の崖側の方へ飛び出し、そして崖を物凄いスピードで駆け上がっていき、山頂で姿が見えなくなってしまいました。

「あれ?真っ黒??」

2年前に見た九尾の狐は、闇夜に光輝くようなほど美しい白い体でありましたが、今回飛び出してきた存在は、真っ黒な色の狐のような、狼のような不思議な動物でありました。

「別の種類なのかな・・・?」

そう疑問に思っていたら、再び目の前の茂みから

「ガサガサッ」

という音が。

「え?もう一頭?」

その瞬間、この存在も茂みの裏側から飛び出し、真っ白な巨体の一部を見せながらどこか奥へ走り去っていきました。

「あれは、九尾の白狐だ」

間違いなく2年前に会った存在でしたが、なんと今回は真っ黒な謎のタイプと2頭一緒にいたのでした。

「パートナーが出来たのかな??」

まったく意味がわかりませんが、きっと幸せになったのだろうと勝手に解釈して、お礼とお祝いを伝えてその場を後にしました。

この未知との遭遇を2度も経験した崖山は、ガリラヤ湖の海底遺跡が発見された真西の沿岸部にあります。

そこに他のエリアとは一風変わった岩肌の部分があり、そこはアメリカのシャスタで見た古代レムリア神殿の跡地のようなギザギザ尖った荒々しい質感の岩肌をしています。

そして、崖の下や中腹には、いくつもの洞窟があり、その中の2つほど入りましたが、これはさすがに戻ってこれない世界に続いていそうなので今回はパスしました。

もしかするとシャンバラと通じているのかもしれません。

明け方前の帰り道、再び今回出会った2頭の存在を考えると、そういえば空海を高野山に導いたのは白黒二匹の犬だったことを思い出しました。

とはいえ、まったく関係ないかもしれないですし、結局単なる幻だったのか、それともガリラヤ湖畔の野生動物であったのか、その真実は謎のままです。(転載終了)

他にもガリラヤ湖の農村コミュニティーであるキブツを見学したり、とても充実したガリラヤ湖でありました。

9月19日、この日はガリラヤ湖からヨルダン川沿いを下ってイスラエル南部の砂漠地方へ入り、そして死海へと向かいました。

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死海でも、この地域で有名な「エンゲディ・キブツ」を見学し、実際のキブツの人々の生活、施設などの中も色々見学させて頂きました。

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砂漠の中に作った緑豊かなオアシス。その光景は生で見ると想像以上の世界であり、おそらく皆さんびっくりされると思います。

死海の滞在は19日から21日までの2泊3日。

通常のツアーでは、死海は長くて1泊、クリスチャンツアーの中には死海に少しだけ入っての素通りツアーが多い中、今回はあえて2泊もゆっくり死海体験の時間をとりました。

これは過去3回死海に訪れた結果、これほど心身ともに癒される場所はないというほど、死海は水はもはや薬水とも言えるものだと感じているからです。

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外は35度から40度の砂漠の中の海である死海は、ぬるま湯の温泉みたいな温度で気持ちがよく、何よりも塩分濃度が30%以上もある超高濃度ミネラル温泉なので、入っているだけで体が元気になります。

朝昼晩、真夜中でもいつでも入れるので、皆で夜に入って星空の下で死海浮遊体験を楽しみました。

浮き輪がなくても、誰でもラッコみたいに浮かべる死海で綺麗な星空を見ていると、それはまるで宇宙空間を浮遊しているような気分であり、これまでの人生で体験したことのないなんとも言えない心地よさを感じることができると思います。

そして、死海2日目の9月20日の夜、この日は日没とともにユダヤ暦5778年の新年の始まりです。

夜に浜辺で参加者と一緒に新年のお祝いパーティー。とても思い出に残るひと時でありました。

なお、この9月20日の現地時間8時30分から新月でもありました。

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この日、8時30分ぴったりに到着したのは、死海のほとりにあるユダヤ人最後の砦であるマサダ。

岩山の頂上に造った要塞の町であり、2000年前、ローマ軍に反乱を起こしたユダヤ人達の最後の生き残りが滞在していた場所です。

その数、約1000人が、草木も生えない岩山の頂上に循環コミュニティを作り出し、ここで雨水をためて生活に生かし、農業、畜産、すべてを自分たちで1から作り出して生き延びていたのです。

ところが、1万5千人ものローマ軍兵士に囲まれ、ついにマサダの城門も破られ、次の日の夜明けには大軍の兵士が町の中に攻め入ってくることが確定となりました。

「ローマ軍に殺されるくらいなら自分たちで死ぬ方がマシ」

その前夜、マサダのリーダーと男達は覚悟を決め、ローマ軍に攻め入られる前に集団自決を決行しました。

自殺が固く禁じられているユダヤの民。

そのため男達は最初に自らの家族の命を絶ち、その後に仲間同士の命も絶つという壮絶な最後を迎えました。

夜が明けて、意気揚々と攻め込んだローマ軍兵士は町の中に入ってびっくり、大量の遺体の現場を見てさぞ驚いたことでしょう。

また何よりも、岩山の上でありながらも数年間にも生き延びられるほどの水と食料の蓄えがあったことにも驚いたようです。

「こんな強固な精神力と厳しい環境を生き延びる叡智を持った民族と闘っていたのか」

まるで一昔前の日本人のようなユダヤ人。日ユ同祖論もまんざらではないことを感じさせます。

旅も終盤となった9月21日、ユダヤ新年を迎えた朝。

死海を出ていくつか砂漠の観光地を巡って、この日からいよいよエルサレム入りです。

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夕方、丘の上から見えたエルサレムの町、黄金ドームは本当に美しいものでした。

統合の時代。世界の宗教戦争の最先端であるこの聖地も以前よりかなり軽くなっており、世界が大きく変わっているのを感じます。

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エルサレムの正月の夜は、イスラエル在住のカバラ神聖幾何学ジュエリーデザイナーのナカジマミサコさんと同じくイスラエル在住でセファルディ歌手として大活躍中の岡庭矢宵さんとも1年ぶりの再会。

泰平さんのイスラエルツアーにお邪魔して来ました〜

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矢宵さんを中心として、イスラエル国歌をツアーメンバーでも一緒に歌うとホテルにいたユダヤ人達もぞろぞろ一緒に。ここでも日本とユダヤが繋がり1つになっていました。

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聖母マリア生誕の地、イエス・キリスト生誕の地、嘆きの壁、最後の晩餐の部屋・・・。

現地のユダヤ人とも交流しながらいくつもの観光スポットを巡り、秋分の日である9月23日にイスラエルの旅は無事に終了。

23日の晩にイスラエルを出て、真夜中にトルコのイスタンブールで乗り換え、24日の夜に日本に到着。

ところが、このイスタンブールでの乗り換えでまたハプニング。

なんと乗り換え時の手荷物セキュリティチェックの場所に自分は携帯電話を忘れて来てしまいました。

気づいたのは日本行きの搭乗口に着いた時であり、イスラエルからの飛行機の到着も遅れてすでに搭乗開始となっており、今から戻っても取りに行く時間がありません。

慌てて搭乗口にいる航空会社のスタッフに相談すると、なぜか全然違う提案が返ってきます。

「携帯を忘れただって?もうセキュリティに戻ると成田行きの飛行機は行ってしまうでしょう。ただ、もし貴方がイスタンブールに残るなら、携帯も戻り、さらに宿泊場所や食事も提供し、そして600ユーロ(約8万円)も差し上げます」

「??はっ!?」

なぜか、飛行機には乗らずにトルコに残って欲しいとせがむ航空会社のスタッフ。

詳しく話を聞いてみると、どうやらトルコ航空の成田行きがオーバーブッキングで席の確保ができない人がいるとか。

「いや、それはなんとも有難い提案だけど、自分はツアーリーダーだし、残るわけにはいかないので携帯は諦めて帰ります」

「こんな良い条件なのに信じられない!」

航空会社のスタッフは、そんなジェスチャーもしてましたが、他のスタッフもぞろぞろ集まってきて、まだまだ必死に提案してきます。

「全部で11名の席が必要なので、誰かトルコに残る志願者はいないですか?」

「 (11名もかよ!?)」

すでに搭乗開始をしているツアー参加者もいましたが、ここで皆さんにも急遽航空会社の条件を提示。

すると、なんと7名の方がトルコに残って翌日の同じ時間の便で帰ると。

ということで、まさかのトルコで7名とお別れに。

皆さん、ホテルや食事も提供されて、イスタンブール観光を楽しんでただいま日本に向かって飛んでいる真っ只中のようです。

行きは急遽バラさんが加わり、帰りはなぜかトルコで7名が減り、そんな予想不能なイスラエルの旅も昨晩一応無事に日本に戻って終了となりました。

それにしても、ガイドのバラさんも驚いていましたが、今回の参加者は本当にお人柄もよく、そしてほとんど皆が初対面であったのに、旅が始まってすぐにそれぞれ仲良くなり、最後はまるで家族のような関係になるほど親密になりました。

おそらく魂ではすでによく知った同士であり、時間を超えて今回は魂の再会、確認の旅であったのかもしれません。

イスラエルの現状は、百聞は一見に如かずであり、是非とも現地を見て、真実のイスラエルを見て欲しいとも思います。

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これほど平和で豊かな国も珍しくなく、世界有数の食事がとても美味しい国です。

そして、何よりも現地に行くことでユダヤ人の持っている熱い魂に触れることができると思います。

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来年もまた同じ時期に皆さんをお連れしてイスラエルに行きたいと思います。

どうぞお楽しみに。