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諏訪湖で拝観式 3本出現を正式認定 5季ぶり
 全面結氷した諏訪湖に5季ぶりに出現した御神渡(おみわた)りの筋を確認し、出現を正式に認定する「御渡り拝観式」が5日、湖上で行われ、せり上がってうねる御神渡りの前で参加者80人が神事に臨んだ。

 御神渡りは、室町時代の1443年(嘉吉3年)以降575年の記録が、認定と祭事をつかさどる八剱(やつるぎ)神社(長野県諏訪市小和田)などに残り今に書き継がれている。

 認定された御神渡り3本は、「一之御渡り」「二之御渡り」が南北に、「佐久之御渡り」が東西に伸び、中でも「一之御渡り」は諏訪市豊田の旧六斗川河口付近から岡谷市湊、下諏訪町赤砂崎を経て同町高木舟渡まで右回りで長く走っている。

 拝観式は5カ所で実施され、午前7時40分過ぎからは「一之御渡り」の起点「下座(くだりまし)」の氷上で、宮坂清・八剱神社宮司(67)が神事を行い、冠雪した湖上にうねる1本の筋を確認。沖合のせり上がりが大きい場所など数カ所で拝観し、大勢の見物客らが見守った。神社総代らは身を清める3日間の「精進潔斎」を経て参加し、しめ縄を身につけた紋付きはかま姿などで威儀を正した。神社に戻ってからは「拝観奉告祭」を行った。

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 過去の記録と照合し世相や農作物の豊凶を占う「拝観式占」では、1938年と45年の筋に似ているとし、天候は前半不安定だが後半は順調▽農作物の作柄はやや良▽経済は明るい兆しあり--とした。

 祭事終了後、宮坂宮司は「『御渡りができてよかったなあ』と5年ぶりの喜びをひしひしと感じている。御渡りができたことが明るい兆し。一晩で凍ったり解けたりする湖に神威を感じます」と振り返り、宮坂英木大総代(73)は「伝統と歴史の重みを感じた素晴らしい神事」と話した。(転載終了)

「2月5日に御神渡りを見に行きましょう」

ちょうど新月紫紺大先生や長典男さんと打ち合わせのあった日、せっかくなので諏訪湖に出現した5年ぶりの御神渡りを見に行くことにしました。

すると、偶然にも御神渡り神事も同じ日にやっていると報道が・・・。

「ちょうど今から八剱神社というところで神事が行われるみたいなので行きましょうか?」

当初は、御神渡りだけとりあえず見れらたと思っていた予定が、急遽向かう先は、600年近くも御神渡り神事を司っている八剱神社へ。

2月5日午前10時。諏訪市小和田にある八剱神社に到着すると、そこにはすでに多くの報道陣も詰めかけていました。

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ちょうど、宮司さんによる諏訪湖の氷上での御神渡りの確認を終え、神社に戻っての拝観式の神事が始まる場面に立ち会うことができました。

ところが、神社に着いてご一緒した新月紫紺大先生から不思議な一言。

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「あれ?この建物知っている?1年位前、この建物の2階で宴会した夢を見たことがある」

そこは、ちょうど拝観式占をやる八剱神社斎館という独特な造りの大きな社務所。

新月先生は、なぜかここに夢の中で一足先に来ていたのでした。

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諏訪大社に比べたら、八剱神社はマイナーというか、おそらく一般の観光客など普段はまず訪れることがないほど知られていない神社。

自分はもちろん、何度も諏訪湖を訪れている新月先生もまた初めて訪れた神社でしたが、まさかの夢景色であり、さらに境内の中の風景もまた、小学生の頃に見た夢の景色と重なる部分もあったとか・・・。

八剱神社の境内にも諏訪大社と同じく御柱が建てられていますが、小さな摂社の1つひとつ、そのお宮に合わせた小さな御柱が建てられていて、なんとも可愛らしい御柱もありました。

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タケミナカタをはじめとする、諏訪大社上社の男神「諏訪明神」の恋の足跡とされる御神渡りを数百年以上も取り仕切っている八剱神社。

この御神渡りが確認された日から、八剱神社の氏子総代は精進潔斎(しょうじんけっさい)という禊の生活に3日間入ります。

お茶やコーヒー、味噌汁などのにごったものは避け、白湯や澄まし汁にするなどして身を清め、また各家の玄関先には、拝観式参列者に配られたしめ縄を飾り、当日は体に巻き付けます。

2月2日に出現して、2月5日に拝観式を行ったのは、この古来からの風習である「3日間の禊」にならってのことですが、この「3日」という数字は、古代ユダヤ教をはじめ、キリスト教においても重要な数字であります。

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人類の祖とされるアブラハムは、息子イサクを神の生贄に捧げよという啓示を受け、それから3日間かけてイサクをエルサレムの丘「モリヤ」の地へ連れて行きました。

ところが、いざ息子を殺そうとしたところで、その心意気を知った神はイサクの生贄を取りやめました。

事実上の息子の「死」を告げられた3日後に息子の「復活」がなされたのです。

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この有名なイサクの燔祭から2000年後、再びモリヤの地で歴史に残る大きな出来事がありました。

イエス・キリストと呼ばれたユダヤ人が磔の処刑となり、その3日後に復活するという奇跡を起こしたのでした。

「死」から「復活(再生)」、そして「モリヤ」の地。

諏訪湖の背後にそびえるのは、諏訪大社の御神体である守谷(もりや)山

イエス・キリストの奇跡から2000年後の今、ここは日本におけるモリヤの地であり、歴代のイスラエル大使も必ず神事に参加したり、参拝に来ている場所です。

八剱神社の氏子総代の禊の3日間もまた、もしかすると古代ユダヤからの流れを受けた意味があるのかもしれません。

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氷の上を歩いた諏訪明神に対して、水の上を歩いた伝説を持つイエス・キリスト。

実は諏訪湖の御神渡りは、神の足跡ではなく、別の説としては「諏訪明神の眷属(神の使い)である狐の足跡であった」という伝承も残っています。

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狐とイエス・キリストは、極めて関わりが深いことは今は知られており、特にキリスト処刑の際に書かれていた「INRI(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)」は、やがて日本に「INARI」という形になって伝わり、稲荷神社はイエス・キリストを祀ったものであるという説も有力になっています。

個人的なことですが、イエス・キリストの伝道の地であるガリラヤ湖において狐の眷属と出会った経験がありますが、諏訪湖にも残る狐伝説。

やはり、諏訪地方は古代ユダヤ、そしてイエス・キリストと何か縁がある地であるように思えます。

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八剱神社の拝観式が終わった後は、早速諏訪湖の御神渡りを見に行きました。

だいぶ溶けてしまったのか、イメージよりも小さな御神渡りでしたが、確かに全面凍結した諏訪湖の氷の上にせり上がった亀裂が見事に走っていました。

まるで氷上に描かれた白龍のような見事な自然の美。

ちなみに、5季ぶりに出現した御神渡りの筋を過去の筋と照らし合わし、その年の行方を占う「拝観式占」によると、今回の出現パターンは、1938年と1945年に類似しているそうです。

農業も経済も概ね良好という予想ですが、1938年といえば、1939年から始まった「第二次世界大戦前夜」であり、1945年といえば「終戦」の年でもあります。

今のきな臭い世界情勢をみると「開戦前夜」とリンクするのかもしれませんが、1945年は日本が大きく変わった節目の年。

今年は、そんな節目の年になってもおかしくはないタイミングでもあります。

「死」「復活(再生)」、そしてモリヤの地。

本当の岩戸開き、男神天照(イエス・キリスト=ニギハヤヒ=タケミナカタ=諏訪明神)の復活を告げる御神渡りだったのでしょうか、まだまだ謎多き諏訪湖であります。