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タイ経由から遠路はるばる、ようやくインドへ入りました。

最初に入ったのは、ブッダガヤという場所。

ブッダガヤは、なんといっても「釈迦(ブッダ)が悟りを開いた場所」として有名な仏教最高の聖地です。

菩提樹の下で釈迦が覚醒しブッダ(悟りをひらいた)となった、まさにその場所には、ブッダガヤの中でも聖地の代表的な場所である大菩提寺(マハーボーディー寺院)があります。

インド2日目の本日は、朝からこの大菩提寺へと向かいます。

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さて、インド1日目は、到着が夕方であったこともあり、訪れた場所は一箇所のみ。

インドにある日本のお寺、その名も「印度山日本寺」という場所です。

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日本寺とは
インドがイギリス植民地からの独立を成し遂げて間もない1956年、インド政府は仏教紀元2500年を祝いブッダガヤを仏教による世界平和の本拠地とする宣言をし、各国に対して参集を呼びかけました。これにとりわけお釈迦様の徳を慕う思いの強い日本の仏教徒が賛同し、宗派や寺派の違いを超えてこのブッダガヤの地に日本の寺を建て、お釈迦さまへのご恩返しの足場としようと合意、代表が集まり文部大臣認可により1968年財団法人を設立して事業を開始しました。
これがブッダガヤ印度山日本寺と日本寺の社会福祉事業の始まりです。

本堂の完成は1973年、十間四方の純日本寺院建築で、大梵鐘を備えた鐘楼と一緒に落成しました。ブッダガヤではビルマ(ミャンマー)寺、セイロン(スリランカ)寺、中華民国寺、チベット(ゲルク派)寺、タイ寺に次ぐ6番目の外国寺院としての出現でした。

【参拝時間】4月-10月5:00~12:00/14:00~18:00・11月-3月6:00~12:00/14:00~18:00

【勤行】4月-10月5:00~・11月-3月6:00~ どなたでもご参拝いただけます。

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ここにて、人間国宝である大倉流小鼓方十六世宗家の大倉源次郎先生による小鼓の奉納演奏。

静まり返った寺院の中で、小鼓と掛け声が見事に響き、通常のインド観光では味わえない、また通常の能舞台でも味わえない、貴重な時間を共に過ごすことができました。

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続いて、今回大倉先生と一緒にインドでの文化交流と聖地での献茶で茶道を披露されるのは、味岡靖大先生。

味岡先生は、裏千家第十四代家元の長女として生まれた塩月弥栄子さんを祖母にもち、千利休の末裔として国内外で茶道を伝えて活躍されている方の1人です。

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インドにある日本のお寺で小鼓の響きと茶道。

なんとも摩訶不思議ながらも贅沢なひと時であり、これをもっていよいよインドの旅がスタートとなりました。

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ところで、イエス・キリストや聖書もまったく知らずにイスラエルを訪れたように、自分自身は釈迦のことも仏教のことも、まったく知識も興味もありませんでした。

釈迦とブッダが同一人物であることも最近知ったほどであり、それほど宗教や歴史に疎い人間が、これまた仏教最大の聖地を訪れるのも不思議なご縁ですが、現地を訪れることによって釈迦や仏教の歴史を肌で感じます。

日本寺には、釈迦の生涯を描いた壁画がいくつも描かれていますが、釈迦はシャカ族の王家の王子であり、恵まれた人生から一転、宮殿を飛び出して出家して修行の道を歩み、そして悟りを開いたと云われています。

最初の修行は、1日一粒のお米と一粒のゴマしか食べない断食修行で、この苦行を6年間続けたものの、結局悟りを得ることはできなかったそうです。

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骨と皮になるほど痩せ細っていた釈迦の前に現れたのが1人の女性。スジャータ。

スジャータの差し出した乳がゆによって釈迦は復活し、そして菩提樹の下で悟りを得ることになります。

釈迦の悟りのきっかけを生み出したスジャータという女性。その愛。

その500年後に出現したイエス・キリストとマグダラのマリアの男女の関係にも重なるところがありますが、仏教といえば、すべてではないものの、一般的に「女性蔑視の宗教」とも呼ばれており、女性は救われない、女性は不浄のものなど女性に対して厳しい見解を持っています。

これに対して、20歳にて仏教を説いたと言われる故・五井野正博士が、よく「スジャータ」のことを語っていたのを思い出します。

五井野博士によると、旧約聖書における大洪水の後、ノアの方舟の漂着したアララト山から最古のシュメール文明が始まり、そのシュメールの民族が世界の先住民として散っており、古代インドではドラヴィタ人として存在していたと言います。

そこにアーリア人が侵略してきて支配し、そのアーリア人の末裔からシャカ族も生まれ、シャカはアーリア人であり、そのアーリア人の宗教がバラモン教といって、これが断食苦行をはじめ、女性蔑視の信仰であったそうです。

釈迦は、老いた修行僧しか出家できないバラモン教を否定し、また一方で若い修行僧の多い古代インド人のドラヴィタ人に傾倒していたようで、現代の仏教の教えは、バラモン教の教えが入り混じって勘違いしている人が多いと五井野博士は伝えていました。

そして、この釈迦を悟りに導いたスジャータもまた、ドラヴィタ人の女性であったと。

本来の仏教、釈迦の教えは男女差別もなく、むしろ、その母性や女神性を重要視していたようですが、どこかで女性差別のバラモン教の教えが根深く残っていってしまったようです。

そう考えると、キリスト教もまた教会は女性を追い出し、世界の宗教全体は男性世界の象徴ともなっています。

これは男性性優位の魚座の2000年において、ある意味陰陽を知る上で一定期間は必要なピラミッド構造の世界であったようですが、21世紀の今、すでに魚座から女性性の水瓶座の2000年周期に入っており、宗教のあり方、信仰、神という存在、そして女性の本来の姿や役割というものも、これまでの2000年とはまったく違ったものに自然と戻っていくと思います。

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カースト制もまた、男性性社会の最たるものであり、こういったピラミッド構造はあらゆる面において崩壊していくことでしょう。

カミ、オミ、タミ。

タミの代表である天皇がカミと繋がり、その天皇の配下にあるタミもカミと繋がる。

カミの下にリーダーである王や支配者がいて、その下にタミがぶら下がるというピラミッド構造もまた逆転する時。

カミは外の世界の上の次元にあるものではなく、すべての人々の中にあるものであり、力あるものが力なきものを支配するのではなく、力あるものが力なきものを支え、皆が助け合う時代。

人間もまた生態系のピラミッドの頂点ではなく、真逆となって他の先輩動植物の循環のために下支えする役割であることに気づき、今の文明の方向性も大きく切り替えないと、もう後がないタイミングであります。

イスラエルにしろ、インドにしろ、宗教の聖地を訪れる度に感じる、これまでの宗教の時代の終焉と新たな信仰のあり方。

大きな時代の切り替わりの節目であることをヒシヒシと感じます。