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昨日は、八ヶ岳名物である身曾岐神社で「第28回八ヶ岳薪能」でした。

八ヶ岳最大の神社である身曾岐神社は、日本一とも呼ばれる立派な屋外能楽殿を所有しており、そこを舞台に毎年、能の五大流派の宗家にお越し頂き、八ヶ岳の大自然の中ならではの雄大で迫力ある能舞台を披露してくれます。

今年も宝生流宗家の方々の素晴らしい能でありました。

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能は、日本の伝統芸能。

小さな能舞台の上で繰り広げられる幽玄の世界の演劇です。

囃子方と呼ばれる楽器を演奏される方々は、まさに日本版オーケストラであり、その独特のリズム、間は、日常の世界から能の不思議な世界へと引き込む力があります。

能を見るたび思いますが、能はいつもの時間軸のスピードと意識で観ると、動きもまたスローモーション、言葉もトーンも日常会話とは違って理解できないものが多く、頭で考えて観ると意味不明で退屈に感じてしまいます(自分の場合は・・・)。

ただ普段の喧騒な世界から、その時間だけは意識を能舞台の中に入っていくと、そのゆったりと流れる時間軸が、逆にとても居心地がよく、その独特の言葉遣い、言い回し、声のトーンも、まるで祝詞のシャワーを浴びているように、意識の深い部分を刺激されます。

ある意味、舞台を観ながら瞑想状態になれるもの。

自分自身、そんなに能を語れるほど詳しい人間では一切ありませんが、自分の中では、能をそんな一面からも見ています。

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自分自身、初めて能をしっかり観たのは「翁(おきな)」という演目でした。

翁の謡は“天下泰平”を祝う神歌として扱われており、能のどの種類にも分類されず、面もまた他の能面とは違うことから、翁は「能にして能にあらず」といわれ、まさに別格の一曲として知られています。

初めての能舞台が「翁」であったのは、自分自身にとって衝撃でした。

それは、単なる演劇や伝統芸能という枠を超えて、目の前で公開神事がされているように見えたからです。

唄は祝詞、動きは舞。

神への奉納のご神事というよりも、神の世界が舞台の上で出来上がっているようであり、演者の方々は神と繋がり、一体化しているように見えました。

この小さな能舞台は、あの世の世界や神々の世界でもあり、この三次元宇宙でも地球でもあり、この世界の雛形のまた雛形。

能舞台の上で平和の世界を体現すれば、それはこの現象界そのものにも反映されるもの。

そんなインスピレーションも感じ、日本の伝統芸能の奥深さを強く感じた初の能舞台の鑑賞でした。

また、能は大事なことを人々に表現を通して伝える情報媒体としての役割も担っていたのだと思います。

今でこそ、テレビや新聞、それこそインターネットの普及もあって、世界中の情報を瞬時に集めることができますが、これは近代になって情報伝達手段が発達したからであり、一昔前までは、自分の国のこと、世界で起こっていることなど、自分の村の一寸先はまったくわからないのが当たり前でした。

また、現代では、まだ公には堂々と言えない真実のことなどは、映画やアニメ、漫画、アートなどの芸術を通して発信する人も多いですが、そんな中で能は、古代からの言い伝えや封印されてしまった真実などを、さりげなく民に伝承していくツールとしても使われていたのではないかと感じました。

実際、能の世界においては、日本の女神である天照大神は男神として伝わっていると聞きます。

とにかく知れば知るほど、能は深い深いもの・・・。

日本の伝統芸能には、一切興味もなく、見向きもしなかった人間ですが、翁を観てから能や日本の伝統に対する価値観が一気に変わりました。

それから、能を観るたびにインスピレーションをもらい、また日常とは違う意識状態に引き込まれることから、意識のクリーニングやトレーニングとしても能を活用しています。

是非、お近くで能舞台があれば、一度足をお運びください。

何か良いインスピレーションを受け取れると思います。