「今まではクリスタルだったけど、次はヒスイの子」
ある日に妻が不思議な夢を見ました。
内容の詳しい意味はわかりませんが、次の時代に生まれてくる子ども達は「ヒスイの子」であると謎の存在に説明されたとか。
「ヒスイって、あの石の翡翠(ひすい)?」
ヒスイは、2016年9月に日本の国石(こくせき)にも認定された、まさに日本を代表する天然石。
その理由は、何と言っても縄文とのつながり。
今から6000年前より、日本はヒスイを使った文化が発達していて、これは世界最古のヒスイ文化であるそうです。
ヒスイは硬度が高く、最初は何かを割る道具として縄文人は活用していたようですが、やがて文化が発達するようになって、ヒスイの活用方法は装飾品となり、その中でも縄文祭祀に欠かせない必須アイテムとして有名なのが、勾玉(まがたま)です。
勾玉といえばヒスイ、ヒスイといえば勾玉と言われるほど、皇位継承に必要な三種の神器の1つである勾玉もヒスイであります。
そして、勾玉を見ているとまるでお腹の中にいる胎児そのもの。
まさに「ヒスイの子」であり、そこで日本最大のヒスイ産地である新潟県糸魚川市へと急遽足を運ぶことにしました。
富山県の県境に近い新潟県の糸魚川市。
ここには「姫川」と呼ばれる大きな川が日本海へ流れていますが、この川に流されてヒスイは糸魚川の海岸へと運ばれています。
そして、この姫川を挟んだ西側が西日本、東側が東日本であり、日本列島でも稀有な、西日本と東日本の境界が同じ市内にあるのが糸魚川市であります。
実際に川を隔てて西日本側の糸魚川市と東日本側の糸魚川市では、電気の周波数60Hzと50Hzで違うそうです。
また、糸魚川市が有名になった理由の1つは、ヒスイだけでなく、ここが日本を東西に分断するフォッサマグナという関東をえぐった巨大断層(溝)の最西端であり、糸魚川から松本、太平洋の静岡に伸びるライン「糸魚川静岡構造線」でも、その名が知られています。
糸魚川静岡構造線が、折れたら日本は真っ二つ。
そんなことが言われるほど、太古の昔からフォッサマグナ上のもっとも重要な要の北の始点であります。
フォッサマグナ、東西日本が重なる節目の地であるからこそ、ヒスイをはじめ、姫川薬石など、特殊な磁場を持った石がたくさん地盤に眠っているのかもしれません。
そして、糸魚川とヒスイにおいて、その存在を無視できないのが、太古の昔に越(古志)の国を治めていた巫女王である奴奈川姫(ぬなわかひめ)。
ヒスイで国づくりをし、他国ともヒスイを通して交易をしていた、まさに日本にヒスイ文化を広げたヒスイ女王です。
賢く、美しく、またその影響力の大きさから、その噂を聞きつけた出雲の国より、大国主命(オオクニヌシ)がやってきて求婚したほどです。
奴奈川姫は大国主命の妻となり、そこで生まれた子供に諏訪大社のご祭神である建御名方神(タケミナカタ)がいます。
出雲と諏訪。
その縁の深さは、諏訪大社下社が出雲づくりのしめ縄であることやご祭神でもよくわかりますが、その背景には古志の国の母である奴奈川姫の存在があります。
それにしても、今年はどこに行ってもキーワードから離れない出雲。
大和朝廷が生まれるよりも以前、日本を統一していたと言われる出雲王朝は、歴史の真実が明らかになってくると、大和朝廷に国譲りと称して歴史を奪われた悲劇の王朝、一族とも言われていますが、さらに深い歴史が明らかになってくると、出雲王朝も様々な一面が見えてきます。
出雲王朝もまた、時代によっては勢力の拡大を図る上で他国を侵略した歴史があり、血の争いもなく和合した先住民もいれば、多くの血を流して制圧された先住民もいます。
古志の国もまた、単なる恋愛物語では済まされない歴史背景がありそうで、大国主命の目的は奴奈川姫そのものよりも、その背後にあるヒスイ利権であったとも推測されています。
縄文の隠された女神の1人である奴奈川姫。
今回の糸魚川の旅は、この奴奈川姫と出逢う旅であったと思います。
相変わらずのノープランで、ただヒスイを求めて向かった糸魚川でありましたが、ふと昼食場所で立ち寄ったお店で奴奈川姫が気になり調べていると、お店のすぐ側に「奴奈川姫の産所(うぶしょ)」と名付けられたパワースポットがあることを知りました。
「これは何かのご縁だから」
こうして糸魚川の中心部に向かう前に、能生(のう)というエリアにある奴奈川姫の産所を目指しました。
のどかな田園風景が広がり、携帯電話も1つも電波が入らない秘境地区ですが、なんだか怪しげなピラミッド山の向こう側に、その産所はあります。
近年に発掘されたばかりという、その産所の遺跡は、山の奥地にあって、たどり着くと、そのなんとも巨大な磐座にビックリしました。
ここで、本当に奴奈川姫が生まれたのかどうかはわかりませんが、間違いなく縄文時代からの祭祀場であったところであり、今もなお強力なエネルギーが渦巻いているような雰囲気でした。
この産所の磐座は、内部が陰石という女性性を象徴する岩があり、また外側の上部に陽石という男性のシンボルともなる岩が祀られています。
陰陽統合、生命を生み出す岩戸であり、実際にここは子宝や安産祈願で訪れる方が多く、不妊の方が訪れて一気に二組も双子が生まれた実績もあるとか、かなりのパワースポットのようです。
その後も奴奈川姫を巡る旅は続き、糸魚川市で縄文研究やヒスイ工房をやっている山田修さんと出会い、奴奈川姫に関わるいくつものポイントをご案内頂きました。
糸魚川市の中心地にある天津神社。
ここのご祭神は、天孫降臨の天津神であるニニギノミコトですが、もとは奴奈川神社という名前であり、地元の女神である奴奈川姫を祀った神社であったそうです。
今でも境内に奴奈川姫を祀ったお社もありますが、糸魚川地域にも途中から白山信仰がやってきて、表面的には外来である天津神の神社に変わってしまったようです。
もう1つ元・奴奈川神社であった、能生にある能生白山神社も訪れました。
ここも本来は奴奈川姫信仰でありましたが、途中から白山系へと変わってしまった神社であります。
どちらの神社も茅葺屋根の珍しい造りの神社。
そして両方の神社とも鳥居から正面に本殿がなく、かなり複雑な配置になった祟り神の祀り方になっているようです。
侵略の歴史から、元の神、奴奈川姫を鎮める、または封印する目的があったのかもしれません。
この能生白山神社の目の前は海であり、そこに海上に突き出した弁天岩という小さな島があります。
そこも参拝させて頂きましたが、それにしても、この時期のこのエリアの糸魚川の海の綺麗さに驚きです。
まるで南国の島に来たような透明度であり、思わず泳いでしまいました。
ここは長者ヶ原遺跡。
古代の縄文集落地を復元したエリアもあって、当時の糸魚川地域の文化を学べます。
竪穴式住居の中には、ヒスイを加工していた作業場なども残っており、古代の糸魚川は、全国に名が知られるほどの大工業地帯であったように感じさせられます。
この長者ヶ原遺跡のすぐ近くの山の中に、奴奈川姫が入水自殺をしたと伝説が残る「稚児ヶ池」という場所があります。
奴奈川姫が誕生した産所から始まり、最後は入水自殺をした稚児ヶ池を参拝して今回の糸魚川巡礼の旅は終了。
亡くなった詳しい背景については、よくわからないのですが、そこには侵略者であった出雲王朝と大国主命との何かしらの関係がありそうです。
過去がどうであったかは、それは過去にタイムスリップしない限りわかりませんし、重要なのは、今こうして受け継がれてきた現代人が、この今をどう生きていくことかと思いますが、統合の時代を迎えた今、王朝や朝廷と地方先住民族との霊的和合が、少しずつ進んでいるのも感じます。
ヒスイ工房の山田さんは、ご自宅から1700年前の勾玉が出土するほど、遺跡の上で生活や仕事をしている方ですが、我々が八ヶ岳から来たことを知ると、非常に興味深い情報を教えてくれました。
「八ヶ岳の天神遺跡から日本最古の6000年前のヒスイが出土したんだよ」
「えっ?八ヶ岳に日本最古のヒスイ?天神遺跡??」
確かに縄文文化が栄えた八ヶ岳周辺では、各地に遺跡が残っていますが、天神遺跡という名前は聞いたことがなく、どこか長野方面の遺跡かと思っていました。
そこで調べてみると、びっくり仰天。
天神遺跡は、山梨県北杜市、それも西井出という地名の場所にあるのでした。
これは我が家と同じ地名であり、さらに詳細の場所を調べると、うちのすぐ下、子供が通っている小学校の目の前にあったのでした。
まさか、うちからの徒歩圏内に、日本最古のヒスイが出土した遺跡があったなんて・・・。
この6000年前のヒスイは、天神遺跡のお墓の中から出てきたようで、当時にこのエリアのリーダー(酋長)だったような人物が身につけていたネックレスの一部である言われています。
6000年も前から、すでに八ヶ岳と糸魚川は繋がっており、文化交流もしていたなんて・・・。
そして現代となった今、ヒスイの夢を手掛かりに糸魚川にやってくると、ヒスイの女神の奴奈川姫を巡る旅となり、再び八ヶ岳と糸魚川が繋がるイメージがわきます。
縄文エネルギーが目覚める今、縄文の神々達が大きく動き出しているのを感じます。
ヤマトとイズモ、そしてアイヌをはじめとした縄文人の繋がり。
日本が新たな時代を迎える今、すべての統合・和合が見えない世界で着々と進んでいるのかもしれません。
糸魚川(ヌナカワヒメ)と八ヶ岳(イワナガヒメ)。6000年の時を超えて、今再びご縁を結び直すタイミングが訪れているのかもしれません。
ヒスイの子については、また今後に詳しいことがわかってきそうです。