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以前より、よく耳にしていた「二極化の時代」という言葉。

ひと昔前まで、それは

“気づいている人々”



“気づかない人々”

というようなカテゴリーで分類されていたような気がします。

気づいている人々=世の中の洗脳から目を覚まし、目に見えないことを理解し、意識が高いスピリチュアルな人。

気づいていない人々=世の中の洗脳にどっぷり浸かり、現実主義で目に見えないことは信じない、意識が低い人。

「二極化」という言葉は、どちらかといえば、スピリチュアルな人々が一方的によく使う言葉であり、意識が違う人との分離が年々加速していると言われていました。

確かに、世の中や文明全体が物質主義に偏りすぎてしまったこともあり、その中で急速に目覚める人々が増える中、その分離感覚による二極化を感じた人は大勢いたのかもしれません。

かくいう自分自身もそう。わからない人には何を言ってもわからないし、通じないので、わかる人にだけわかってもらえたら良い。

そんなスタンスで情報発信をしたり、人付き合いをしてしまうこともありましたが、ある時期からそれにも違和感を感じ、今は特にそんなこだわりも持っていません。

なんとなく、宇宙は中心へ中心へ、あっちでもこっちでもない、中庸・中立の方向性へとエネルギーは向かっているのを日々感じています。

今、個人的に感じる「二極化」は、どちらかといえば、この

「中心へ向かう人々」



「極へ向かう人々」

の二極化のような気もします。

スピリチュアルに目覚め、スピリチュアルをとことん追求してきた人々が、今は地に足つをつけて現実をしっかり生きることを大切にし、自然とグラウンディングする方向性へと向かっています。

一方でまた、とことん現実主義で目に見えないことにも一切興味もなく、信じてもいなかった人々が、直感や無意識の中で、スピリチュアルなことを理解し始め、精神性を重視した価値観や生き方を模索し始めています。

こうしてスピリチュアルでもリアルでもない、スピリアル(?)の方向性に向かっている人もいれば、これまでの価値観、生き方を変えれず、宇宙の方向性とは逆行し、現実主義の人はもっと現実主義の道へ偏っていき、スピリチュアルな人は、もっとスピリチュアルを探求し続け、ますます現実に戻れず、生きづらくなっているのも見かけます。

もちろん、どっちの良し悪しもなく、それぞれが選んだ道、選んだ周波数の未来の現実へと進むのでしょうが、潜在意識は中心へ向かおうとするのに、頭で抵抗して逆行・逆走するのは、心身ともに疲弊していくもの。

そんな時に大事なのは、頭ではなくハートで感じる声や感覚に従うこと。

人生は選択の連続。小さな決断も大きな決断も、やるかやらないか。

違和感を感じることがあれば、それを気のせいにして片付けずに、スッキリするまで原因を探求し、やりたくないことは無理してやらない。

逆にワクワクする好奇心も、頭で制御して抑えるのではなく、素直に従って、やりたいことは遠慮なくやる。

子供になればなるほど、頭ではなくハートの声に従順となり、宇宙の流れに沿って自分自身を生きているように思えます。

いつから頭で考える人=大人になってしまったのでしょうか。

社会に出てから?20歳から?

いやいや、今の社会はもっとずっと前から子供を大人にしてしまっているのかもしれません。

「子供の頃、何が好きでしたか?」

自己啓発などの分野では、ワクワクするハートの声に従うため、童心に戻り、子供の頃に好きだったこと、夢中になっていたことに今の自分がやりたい仕事、ライフワークのヒントがあると伝えます。

でも、本物の子供に何が好きか?と聞いても、1年ごとに言っていることが違ったり、下手したら毎日好きなこと、好きなものは変わっています。

フィルターもブレーキもない子供達は、常に自分のハートの声に従って生きています。

大事なのは、常々「DoingではなくBeing」。何をするよりも、どうあるべきか。

子供達は、きっとスピリアルに今ココを生きているように思えます。

だから、済んだ過去を悔やむこともなく、まだ来ない未来を恐れることもなく、その日その瞬間の命を全力で燃やしています。

二極化の時代。

目には見えないことも、目には見えることも、どっちも大事。

スピリチュアリティを大事にしながら、今この現実をしっかり生きることが求められているように思います。