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8月に2度目となる四谷のエイトスターダイヤモンド。

ここでは、毎週木曜日に「木曜会」という名の講演会があります。

1000円から1500円の格安チケット代金で、たまに著名な先生がお越しになられるお得なセミナー会場。

自分自身も今から10年くらい前は、仕事帰りに立ち寄っていろいろな先生方のお話を聴いていたものです。

まだ東京で会社員として暮らしていた、もはや過去生のような頃ですが・・・。

さて、昨日の木曜会のゲスト講師は、赤塚高仁(あかつかこうじ)さんという方。

知っている人もいれば、まったく初耳の方もいるかもしれませんが、赤塚さんとは

「教会で古事記を説き、神社で聖書を説く」

いわゆる変な人であります。

でも、本業は建設会社の社長とか・・・。ますます謎の人物ですね。

赤塚さんとの出逢いは、もう4年以上も前。

2014年の年明け早々に、仲間内で長崎の超能力喫茶「あんでるせん」に貸切りで遊びに行こうとなり、そこで奇遇にも同じ宿泊部屋になったのがご縁でありました。

そして、話を聞くと、赤塚さんは30年近く前から、毎年のようにイスラエルを訪れており、過去に何百人もの日本人をイスラエルへと導いていると。

ちょうど、次のツアーが間近に開催されると聞き、そこで勢いで参加希望を申し込んだのが、自分自身のイスラエルの始まりでした。

何もわからずに参加した初めてのイスラエルツアー。そして、訪れたイスラエル。

そこで自分自身の人生は変わりました。

あの日、あの場所で赤塚さんと出逢わなければ、自分は今まだイスラエルを訪れていなかったかもしれません。

そんなイスラエルとのご縁を結んでくれた赤塚さんですが、この出逢った日の晩には、イスラエルの他にも赤塚さんの人生の大きな転機となった出来事の話も聞きました。

それは、赤塚さんがイスラエルを初めて訪れる直前に起こった、ご自身の自殺未遂。

詳しくは、本日のご本人のブログで内容が書かれているので以下に転載しておきます。

ライフワークを喜んで生きる(2018.08.31)
29歳のとき、糸川英夫博士の
「あなた、イスラエルに行きなさい」
という一言が、
私の人生を変えました。

あれから
30年が経つのですね。

 小さな頃から、自分の好きなことではなく、
他者に望まれることを先取りし、
答えを出す訓練ばかりしていたので、
「自分が楽しめること」が何なのかわからなくなっていました。

人生はドラマだと言いますが、
その主人公は私ではなく、いつも私ではない誰かだったように思えます。
明治大学の政治経済学部に入ったのも、有名校だったから親が喜ぶという理由です。
飛島建設に入社し、四国支店で営業マンとして働いていましたが、
大手ゼネコンの営業と言うのは「接待」という名の夜遊びと、懇親という名のゴルフと麻雀に明け暮れる日々でした。
二、三度急性アルコール中毒で病院に運び込まれて、
点滴を受けました。
その日の夜には、また飲んでいました。

 いくら世間体がよくても、
自分の大好きなことをしていない人生はイヤなもので、たまのレジャーで気を紛らわせたり、慣れてしまうとそれほど苦にならないのかも知れませんが、心の中ではもう嫌だと叫んでいたのかも知れません。

一流大学を出て、一流企業に就職すると幸せになれると教えられてきたのに、
楽しくなく、ついに神経を病んでうつ病になってしまいました。
人生に絶望し、ビルから飛び降りようとしたり、ホームに入ってくる電車に飛び込もうとしたことを思い出します。
いまでも駅で、人身事故という言葉を聞くとあの頃の自分を思い出すと同時に、亡くなった方の絶望感が胸に迫って哀しい気持ちで息が詰まりそうになります。

会社はいつまでも療養するように言ってくれましたが、
退社して実家の建設会社に入りました。
しかし、
仕事や会社に問題があったのではなく、
私の生き方、考え方に人生の問題があったので、
同じ問題がやってきます。
しかも、
今度は両親と向き合うという新しい問題が増え、
娘が生まれましたから、父親として生きるという新しい課題まで増えています。
過去の後悔と未来への不安にエネルギーを奪い取られ、
いまここにいる自分を認めることもできず、うつ病が悪化し、
28歳の7月29日自殺を図ります。
ところが、
不思議に一命をとりとめ、3日後に三重大病院の緊急治療室で意識を取り戻しました。

それから1ヵ月、精神病棟に入院させられ、抗うつ剤、精神安定剤、睡眠薬と薬漬けでした。
その後、10年以上薬は飲み続けていました。
それでも、
いま振り返ってみると、私はとても幸せで、恵まれていました。
「きっとよくなる」と疑うことなどなかった寛子さんがいたからです。
私の母は、
意識を取り戻した私の横で泣いて、
「どうしよう、どうしよう、娘の縁談に差し障る」と取り乱していました。
私は、自殺に失敗したのを後悔しましたが、
母は母で、世間体を気にしないで生きることができない人生を送ってきたのだということがわかると、母を愛することができるようになりました。

「人は、一度死ななければ神の国に入ることはできない」と、イエスは言います。
まさに、あのとき死なずにいたら、一生死人のように生きていたことでしょう。
命は救われましたが、
一度自分は死んだのだと思っています。

病院から出て一年後の7月、
私は糸川英夫博士の自宅へ行き、
旧約聖書を知ることになります。

 どうしていいかもわからず、混乱の中で、誇りも自信もすべて失ったとき、人生のメンターに出会いました。
それから、イスラエルに行きました。
少しずつ楽に、幸せになっていきました。
あの頃、どん底だと思っていましたから、神様がやってきて

「お前は30年後にこんな風に生きているよ。
イスラエルに20回行って、ヤマト・ユダヤ友好協会の会長になるよ。
日本各地で講演して、
本を書いて、
聖書塾で生徒を持つよ」
と、
言われても信じなかったでしょう。

 小さな工務店の社長としてやってきたのもすごいことです。
建築の学校にも行かず、
力仕事も出来ない私が、
赤塚建設の社長さんでした。

私のまわりで、立派な建設会社がたくさん倒産しました。
私の会社も赤字経営が続くときがあっても、
今日も社員さんが来てくれて、
お客様があります。
社長として30年やってきたのもすごいことです、
と自分をほめます。

夏が来ると思いだす、どん底の精神病院の日々から30年、
19回目のイスラエルツアーでの出会いが私を新しい冒険の旅へと連れ出してくれました。
新しく「ライフワーク」という視座が芽生えたのです。

その「ライフワーク」という視座を創ってくれたのが、ベストセラー作家の本田健さんです。
その物語、
今夜配信されるメルマガに書いたので、
どうぞお読みください。
きっと、
役に立つと思います。

赤塚高仁メールマガジン
「ヤマト人への福音」は、赤塚建設ホームページからお申し込みください。
今んとこ無料です。(転載終了)

4年前の夜、ハウステンボスの宿で見せてもらったのは、手首に刻まれた死の痕でありました。

そこにはためらい傷もない、まるで切腹のような覚悟の痕。

今では、とても明るく、人々に元気と笑いをたくさん与え続けている赤塚さんからは、想像もつかない壮絶な過去です。

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明日は9月1日。

夏休みも明けて、二学期の始まりとともに、1年間で一番子供達が自殺してしまう日です。

自分自身、自殺をしようと思ったことは一度もないため、気軽に

「生きていればいいことあるよ」

とは言えませんが、20代の中頃、いろいろなことが行き詰まって、一瞬「明日への架け橋」が消えかけたことがあります。

それまで、どんなに嫌なことも大変なことが多々あっても、なんだかんだ明日のこと、未来のイメージは見えていましたが、ある日にふと明日がイメージすることができなくなり、それには心底ゾッとしたというか、人生の絶望を感じたことがあります。

結果的に、そこから精神世界や内観を探求することになり、今の自分の活動にも繋がった良いきっかけではあったのですが、この明日への架け橋が消えたときに、人は自ら命を絶つのかもしれないと思いました。

今年もやってくる9月1日。

1人でも尊い命が絶たれないことを祈るばかりです。

八ヶ岳には、すべてを無にしてくれる豊かな自然がたくさんあります。

ちょっと行き詰まったら、是非八ヶ岳に遊びに来て欲しいものです。

そんな子供達が短期で滞在できるような場作りも今後はやっていきたいと思います。