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南のイスラエルの旅は、今から3300年前ほど前の古代イスラエルのモーセの時代から。

モーセに率いれられ、エジプトから奴隷の民として解放されたユダヤ人達は、砂漠の荒野を40年間もさまよって約束の地カナンを目指しました。

その時、ユダヤの民は神様と一緒に民族移動しており、神が住まう移動式の神殿を「幕屋(まくや)」と呼びました。

「会見の天幕」とも呼ばれる幕屋は、その大きさやデザイン、何をどこに置くなど、すべて神の信託としてモーセが受け取った設計図によって出来上がっています。

まるで結界を張るかのように長方形の敷地には、上級神官しか入れず、さらにテントのような聖所の中には、一部の身を清めた祭司しか入れません。

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それはまるで、神社における鳥居をくぐった境内の中であり、水のためられた身を清める場所は、神社の手水舍そのものです。

日本のルーツは古代ユダヤにあり、神社・神道のルーツが古代ユダヤ教の中にあると言われていますが、モーセの舞台を訪れると、それをダイレクトに感じます。

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幕屋の中を除くと、中は2つの部屋に構成されており、入ってすぐの大部屋は「聖所(せいじょ)」と呼ばれる部屋で、奥の垂れ幕で区切られた小部屋は「至聖所(しせいじょ)」と呼ばれる最大の聖地です。

聖所ですら、大祭司しか入ることができず、奥の至聖所は大祭司さえも簡単に入ることはできません。

年に一度の大祭の日のみ、ユダヤ部族の最高ランクの大祭司が入れ、そこは神との会見の間であります。

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ユダヤ教トップの大祭司は、ユダヤ12部族の名前と12部族の象徴の石を身につけていますが、奥の至聖所に入る際には、それらの宝飾類から衣装もすべて取り外し、白いリネンにまとって神との会見に臨みます。

リネンと言われていましたが、実際は大麻(ヘンプ)である可能性は十分にあり、これもまた日本の古神道における天皇との繋がりを深く感じます。

間違いなく、大祭司(大神官)=天皇のルーツであり、民族を代表して神と会見、一体化する任務を担っていたのでしょう。

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さて、幕屋は東に門があり、中の神殿も東に入り口があって聖所に入り、幕屋内部も西の奥が神の世界である至聖所。

そこの中には、何があるのでしょうか。

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ご存知の方も多いように、ここに「契約の箱(アーク)」があります。

ユダヤ民族の最大の秘宝であり、このアークがユダヤ王国が崩壊する直前に10部族とともに行方不明となって歴史から姿を消し、やがてイスラエルが再建されてから、その行方の行き先として候補となったのが、日本でありました。

日本の神輿は、アークそのものであると。

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アークの中を覗くと、そこにはモーセが神から授かった10個の約束「モーセの十戒(石板)」があり、またユダヤの民を飢餓を救った天からの恵み(マナ)の入った壺、そしてモーセの兄である大司祭のアロンの杖の「三種の神器」が納められています。

日本の天皇家の象徴もまた三種の神器。12部族のガド族が、ミカド(帝)の原点であり、天皇家のルーツとも言われています。

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そして、幕屋といえば、日本で有名なのは、諏訪大社上社前宮の「十間廊(じっけんろう)」とう神殿。

その寸法から東西南北の配置、アークの代わりとなる神輿を置く場所もすべて一致。

おまけに諏訪大社上社の御神体は、裏にあるモリヤ山であり、古代エルサレムの名称はモリヤの地。

神道ではタブーのはずである血の生贄の儀式ですが、ユダヤ教と同じように諏訪大社上社では、御頭祭という大祭が年に一度あり、その神事の内容もすべてユダヤ式であることが知られています。

もちろん、今の神道や神社のすべてがユダヤ系ではありませんが、古い神社の多くは古代ユダヤの影響を強く受けています。

やがて、この移動式神殿がたどり着いたのが、エルサレムであり、そこで大神殿が建設され、崩壊し、ユダヤ民族そのものも完全に解体されてしまう歴史を辿るのでした。

3300年前、モーセから始まったユダヤの神との歴史から始まり、いきなり今日にはユダヤ最期の地であるマサダへと向かいます。