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2011年の3月5日、東京で会社員をやめて「tenkataihei.shop」というインターネット通信販売の事業を開始しました。

HPを作るお金もなかったので、5万円ほどで手作りのショッピングサイトを作り、僅かに残った貯金で商品を仕入れ、マンションの一室で子育てをしながら始めた小さな事業も、なんとか今日で8周年を迎えます。

バナーにあった赤ちゃんの息子も8歳に。もうすぐ小学校3年生です。

今年に入ってから、より立体を学び始めたこともあってか、最近は特に時間軸が変です。

昨日のこともあまり覚えてなく、また明日のこともあまり考えていない。

もっといえば、過去のことも未来のこともあまりこだわらなくなりました。

以前よりも今日のこと、今この瞬間のことに意識がフォーカスしています。

「みんな当たり前に明日があると思っている」

フリーエネルギーを理論だけでなく実践技術にまで形にし、数多くの発明品と叡智をもたらしたテネモスの飯島秀行先生はこう言ってました。

「死刑の執行まで残り1時間、その時あなたは何をしますか?」

「自分の命が残り1時間と宣告されて、あなたは何をしますか?最後に食べたいものを食べますか?人に会いにいきますか?残り1時間しかないのに誰かに1時間じっと座ってろと言われてそうしますか?」

「みんな当たり前に“明日がある”と思って生きていますが、仮に死刑執行まで残り1時間と宣告された人は、明日が当たり前にあるという保証はなくなり“今を生きる”ようになります」

「“今を生きる”ようになれば、本当に自分が今やらないといけないことしかやらなくなり、真剣になればどんなことも5分で現実化します」

今も、この飯島先生の説法が耳元に残っており、特に親しい人がこの世を去る機会が増えた最近は、

「今を生きる」

ということの大事さを深く痛感しています。

「死亡率100%」

これが、この物質世界の有限の肉体を持った我々全員の宿命。

遅かれ早かれ、誰もがこの肉体を脱ぎ、次なるステージなのか、元の世界なのか、いずれにしても、この世界とは違う世界へと旅立ちます。

「老後の生活が心配で」
「10年後には独立してやりたいことをやろうと」

ついつい肉体次元にすっぽりハマっていると、明日も当たり前にあると思い、1年後も10年後も、30年後も当たり前の生活があると思ってしまいます。

でも、忘れてはいけないのが“死亡率100%”という言葉。

この“肉体は有限”であることです。

平均寿命という数字に捉われてしまい、算数で生涯の地球滞在時間を計算しても、今この瞬間の生き方がそうそう変わるものではありません。

ある日に“タイマー”を渡され、

「それがあなたの余命です」

と告げられたら、さすがに今を生きるようになると思います。

ただ、この有限の肉体だけがすべてであれば、タイマーの残り時間に執着を持ちますが、肉体の有限性と同じくらい大事なのが、その中にある“意識の無限性”。

心や魂、意識とも呼べる存在は無限であり、永遠に不滅であります。

でも、現代人の多くは頭でそれをわかっていても、どこかで

「死んだら終わり」

という概念を強く持っており、だからこそ生活の中に不安や恐怖、執着などもつきまとってきます。

10年後、20年後、いつまでも肉体が続くという幻想の無限の肉体があると思い込み、一方でまた死んだら終わりという有限の意識だと勘違いしている。

地球で生きる上で、有限と無限の価値観がひっくり返ってしまっています。

有限の肉体の中で無限の意識(心)を生きる。

この統合や調和が出来てくると、人はより今を生きるようになると思います。

「今日が地球最後の日だったら」

今年に入ってから毎朝自分の内側との会話で意識しているフレーズ。

学校や会社に行くのが憂鬱な日でも、誰かと会うのが億劫な日でも、今日という日が自分に与えられた最後の1日であれば、この日の出来事はすべて宝物。

「最後の日にこんな体験ができて本当に幸せだな」

最近は、こんな風に寝る前に1日を振り返って就寝します。

こんなことを繰り返していたら、本当に過去のことも未来のこともあまり考えなくなってしまいました。

過去の失敗や後悔、未来への不安や恐怖などもなくなり、とてもストレスなくリラックスして1日を過ごせます。