tsunami1015

「では、3月11日の夕方に渋谷で」

今から8年前。

当時知り合った知人達より、仲間の1人の様子が変だから一度みんなで会って相談したいという提案がありました。

その頃の自分といえば、2011年1月31日に4年間務めた東京の会社を退職しており、2月1日から自力でHP製作などをやってネットショップ事業を作り、3月5日のオープンに向けてとても忙しい日々を送ってました。

また、2010年冬に子供が生まれることをきっかけに、その夏から、実家のすぐ近くである埼玉県入間市に引越しをしており、サラリーマンを辞めてからは、東京へほとんど出向かず、事業の準備で家に引きこもっていたタイミングです。

そこまで親しい関係でもなく、東京に出てまでの打ち合わせは難しいのでお断りしようと思っていましたが、たまたま別の知人が、東京の下北沢で治療院をオープンした直後でもあり、オープン祝いも兼ねて2011年3月11日に東京へ出向くことを決めました。

ちょうど子供も3ヶ月となるタイミングだったので、ベビーカーに乗せて少し遠出ができる時期でもありました。

午前中に下北沢で治療院を訪れ、そのまま昼食を済ませ、午後に移動して早めに渋谷に。

「夕方までまだ時間があるから、久しぶりに渋谷で買い物でも・・・」

そうやって電車を降りて、渋谷の街に出た瞬間、なぜか頭の中に新宿のビル群が大きく揺れている映像が入ってきました。

「(今のは一体?)」

人混みの渋谷駅の前を通りながら

「こんなところで大地震に巻き込まれた大変だよなぁ」

そんなことをベビーカーを押しながら会話していると、その数秒後に気持ちの悪い揺れを感じ、信号機がグラグラ揺れ、信号どころか、その背後にある巨大なビルが豆腐が揺れるかのように、プルプルと揺れ始め、最初は目の錯覚かと思いました。

2011年3月11日14時46分。

その揺れは収まることなく、だんだんと激しくなり、街ゆく人々の足は止まり、やがて悲鳴とともに大勢の人々がビルから飛び出してきて、気づくと渋谷の街は車道も歩道も交差点も関係なく、大勢の人々によって街が埋め尽くされていました。

「いよいよ始まってしまったか?首都直下型か?」

2009年に日月神示とも出会い、スピリチュアル、陰謀論、様々な角度からこの世界の今後の行方を考察していた関係から、まもなく地球人、日本人にも大難と呼べる試練が差し迫っているのを感じており、特に自然災害においては、すでにはじめていたブログでは度々注意を喚起していたものでした。

急いでスマートフォンで情報を検索し、どこで何が起こっているのかを確認すると

「宮城県、震度7」

という情報が目に飛び込んできました。

仙台は生まれ故郷。様々な想いが込み上げてくる中、まずは現実の状況をどう打開するかを考え、夕方の予定どころではないので、すぐに駅に引き返して、家に帰る選択をしました。

ところが東京23区も震度5強という大きな揺れであって、電車はすべて運休。

「少し待てば動き出すか」

首都直下型や関東大震災ならともかくとして、災害に慣れていない都心とはいえ、震度5強ほどの地震であれば、すぐに鉄道も動き出すものかと憶測していました。

ところが駅の前で、30分、1時間待っても、電車が動き出す様子はない。

さすがに3ヶ月になったばかりの赤ちゃんを連れている身としては少し不安になり、2時間経っても様子が変わらないので、駅ビルの東急本店のベビー休憩室に行って、そこに一時避難することにしました。

そこには小さな子供や赤ちゃんを抱えて、不安そうな様子のお母さん達がたくさん押し寄せていました。

当時より、パソコンとwi-fiを抱えて移動していたので、すぐに休憩室でもテレビのネット中継によって、情報収集を行なっていました。

そしてパソコンの画面の中に映し出されたのは、これが同じ日本で起こっているとは思えない津波の映像が。

「どうか東北の皆さんご無事で」

ただただ祈ることしかできず、一方でまだ自分自身の今後の行方も定まっておらず、どういった行動をすべきか判断に迫られていました。

「この休憩室が使えるのも、デパートが閉店となる19時まで。それまで電車が動き出すか?」

東北の惨状を目の当たりにし、思っている以上に日本という国が非常事態に陥っていると考え、電車が動き出す可能性は低く、また動き出したところで、これだけ大勢の人が行き場を失っている状況から、スムーズに家に帰れる見込みはなく、子供と一緒に翌日以降まで、近郊で避難生活を送るのが無難だと決めました。

「でも、いったいどこへ行こうか?」

そこでふと頭によぎったのが、午前に訪問した下北沢の知人の治療院。そこなら泊めてもらえるかもしれない。

他にあてもないので、すぐに連絡を取ろうとするも、電話回線などがパンクしていてなかなか繋がりません。

そもそも相手だって、どんな状況かもわからないにも関わらず、ダメもとでも何度かコンタクトを試みると、奇跡的に連絡が繋がり、快く受け入れてくれると。

そうと決まったら、まずは渋谷の街を脱出することであり、下北沢までの徒歩ルートを調べ、そこからベビーカーを押しながら、人混みの中を駆け抜けて行きました。

すでに周囲は真っ暗の中、都心の道路は動かない車の列で埋め尽くされており、歩道や車道には、帰宅難民となった大勢の人々が列になって歩いています。

いくつものコンビニも通り過ぎましたが、そこには食べ物という食べ物がすべてラックから消えており、街の中全体が異様な空気になって、まるで戦時中の非常事態の世界を現実に体験しているようでした。

無事にたどり着いた下北沢の治療院では、すでに何組もの人々が避難されており、小さな赤ちゃん連れということもあって、治療ベッドをお借りして、なんとか一晩過ごすことができました。

夜になっても、夜中になっても眠れず、自分はネットを通してひたすら情報収集に専念し、そしてたまに夜泣きする息子をあやしては、だんだんと意識が不思議な感覚へと導かれて行きました。

「このままでは文明社会も都会も続かない。もっと違った生き方を自ら作らないと」

当時のブログでも紹介しましたが、それは自分の声なのか、天の声なのか、声というかインスピレーションでありましたが、強烈なメッセージが真夜中に降ってきました。

ほとんど眠れないまま朝を迎えましたが、2011年3月11日を境に、3月12日の自分は過去とは違った意識の新しい何かが始まっていました。

朝にはなんとか鉄道も復旧。無事に埼玉の自宅まで戻ってくることが出来てホッとしたのもつかの間。

今度は原発が爆発しそうだと。

まるで映画のように、次から次へとピンチが発生。

「原発、放射能はあまりにも情報がなさすぎる」

さすがに自分の頭の中にも放射能対策についての知識はなく、原発事故と聞くと、子供の頃に学校の道徳か何かで教わったチェルノブイリのイメージしかありません。

「人が住めない死の世界・・・」

そんな世界が日本に待ち受けているのかどうか、自分だけ、大人だけならまだしも、これまた小さな子供を抱えてしまったばかりに、子供達の未来を心配する立場に。

「なんて人類、そして大人は愚かなものを世に作ってしまったのだろう」

とはいえ、あれこれ嘆いたところで原発の危機を止めることができるわけでもなく、3月12日からただ情報を集めながら静観していました。

「どこか安全な場所に避難した方が良いのか?それともまだとどまった方が良いのか?」

震災当日、渋谷でも常にサバイバルの選択を余儀なくされましたが、今度は拠点そのものをどうするのかという大きな選択。

そして、3月14日。知人から一通の連絡が。

「福島原発はメルトダウンしています。いますぐ子供を連れて避難してください」

メルトダウンという言葉は、まだ政府もメディアも誰も使っていないというか、むしろ

「メルトダウンはしていない」

というのが、公式な見解の中、確かな筋より現場はメルトダウンしてパニックになっているので、とにかく首都圏近郊からは脱出した方が良いというあやふやな情報。

もちろん何の信憑性もなく根拠もないのですが、直感は何かを感じ取り、迷うことなくほとんどの荷物を置いて埼玉を飛び出しました。

そして、3月15日から山梨県生活。今もまだ、その延長線上であり、

「311をきっかけに移住」

といえば聞こえはいいですが、実際は“避難”であり、今もなお気持ちは避難のまま変わりません。

そんな視点で今の都会生活を見ているし、今の文明社会を見て生きており、だからこそあの時のインスピレーションに従って、新たな生き方社会を形にしていく活動をしています。

震災の直前にサラリーマンを辞めて、ほぼプー太郎になったのも何かの導きだったのでしょう。

思ったよりHP製作などは大変であり、とても1ヶ月で形にできず、予定を先延ばしにして4月にオープンしようと思っていましたが、なぜか4月ではしっくり来ないので、死に物狂いで3月に事業オープンさせました。

オープン6日目で震災が起こるのも、今思うとすべて意味あることであったと思わされます。

あの時、会社を辞めていなければ、あの時、事業を開始していなかったら、あの時、渋谷に足を運ばなかったら、とても今の流れはなかったと思いますが、311から8年、自分自身の身の回りの環境は大きく変わりましたが、世の中はどれほど変わったのでしょうか。

自分にとって、311は大きな目覚めのタイミングであり、明らかにそれまでのレールと、その後のレールは別のものとなって、もう2度と311前の世界には戻れないと感じています。

まるで311をきっかけに別の人生を歩んでいるような。

でもまた、世の中の大きな変化の流れを最近は強く感じています。

あの時最初に思った

「いよいよ始まった?」

の本番は、これからだと思っています。

でも、着々とあらゆる面において準備は整っているので、今ならもう大丈夫。

そんなことも強く感じる8年目の311です。