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今回の旅では、大型バスからジープに乗り換え砂漠の荒野を駆け巡り、出エジプト記でエジプトを脱出したユダヤの民が、指導者モーセに導かれて40年間も彷徨った砂漠の「チンの荒野」へも。

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ジープから降り、途中から徒歩で聖書の舞台である荒野を歩きますが、360度見渡す限り岩山だけで何もない。

こんなところを数十万、百万人以上とも言われる民を引き連れて40年間・・・。

そこにユートピアがある保証もなく、いつ目的地へたどり着くかもわからないまま、砂漠の大荒野を彷徨うのは、想像するだけでも大海に放り出されて遭難してしまったような感覚に襲われます。

「こんなところに来るならエジプトで奴隷のままでいた方が幸せだった」

そんな意見というか罵声が飛び交いながらも、すべての責任を背負い、神を信じて歩き続けたモーセは、やはり偉大な指導者。

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ただ、こんな乾ききった大地でも、わずかに水の湧き出すスポットがあり、古代ユダヤ人も、こういった泉を探し当てては旅を続けていたようです。

常に水と一緒にいる日本人ではなかなか気づきませんが、やはりすべては水から。

4000年前のアブラハムも井戸を掘ってカナンの地に滞在し、3300年前のモーセも100万の民を引き連れて砂漠の泉を渡り歩いて導き、2000年前のマサダの1000人のユダヤ人達も、荒野の砦で雨水を貯めて生きてきました。

水さえあれば、人はどんな過酷な自然の中でも生きられますが、その水が汚染されたら、どんなに豊富にあっても人もあらゆる生物も生きられなくなります。

文明社会は早急に水への向き合い方を見直さないといけないかもしれません。