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※大麻栽培者免許証を55日間のスピード取得をした上野俊彦さん(右)

 ちょっと前に【鳥取で大麻栽培が復活】という記事でご紹介しましたが、鳥取県に移住をされた上野俊彦さん(33歳)という方が、大麻栽培者免許証を新規で取得したことが話題となりました。

一方で、難関である大麻栽培者免許証をどのようにして取得、それも移住者としての立場でといった点が不明なままとなっていましたが、以下のネットラジオ「旅をする種」のインタビューによって、その辺の事情が明らかになっていたのでご紹介しておきます。

ネットラジオ「旅をする種」のインタビューはこちら

要点を簡単にまとめると、上野さんが鳥取県へと移住をしたのは、どうやら東日本大震災以降であり、それまでは群馬県の農場で麻栽培などの仕事に携わっていたようです。

しかし、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、その後の原発事故によって大きく人生の方向性が変わったようです。

福島原発で爆発が発生した直後、その群馬県の農場長が持っていたガイガーカウンターのメーターが振り切れてしまうという事態が発生したようで、当時、まだ上野さんの子どもは1歳だったこともあり、震災から4日目の2011年3月15日には地元である関西へと一時避難をされたようです。

そこでしばらくは福島原発や群馬の放射能の状態も静観していたようですが、結局収まる様子もないため、そこから新天地を探すことに気持ちを切り替えたそうです。

群馬の農場には、まだ働いて1年ほどであり、これから麻の勉強と活動を本格的に始める矢先のことだったので、後ろ髪をひかれる気持ちもあったようですが、子どもの安全を考えると迷いはなかったと。

当初は、和歌山や徳島に移住先を探していたようですが、たまたま鳥取県の智頭町に子どもの環境に良さそうな幼稚園があることを知って智頭町に訪れると、思いの外、その町自体を家族で気に入ってしまい、最終的にそこへと移住先を決めたようです。

それから1年も経たないうちに、突如大麻の話が周囲から舞い込んで来て、気づけば大麻栽培者免許証を取得したそうです。それも県庁の窓口にプレゼンをしてから、55日に取得許可を得たという超スピード取得です。

その最初のきっかけを与えたのは、移住した地域の集落の長老(88歳)の方であったそうです。

ある日、その長老と山の中で話をしていたら、昔に地元の人々が、ここで大麻の栽培をして生活の様々な場面で活用していたと聞き、そこで以前に自分自身も麻免許のある方のもとで大麻に関わって働いていたことを話したら、「それなら、ここでやりなさい」という展開になったそうです。

しかし、その長老は現在の麻栽培の事情などは一切知らないので、上野さんが詳しく免許の必要性の話などをしたところ、「では、まずは免許をとろう」という方向性へと向かったようです。

長老は、上野さんが県庁の窓口に提案に行く前に、過去にこの地域で大麻がどのように活用されていたか、いかに大麻が重要な植物であるかなどを書いた直筆の手紙を持たせ、また、上野さんも地元の神社に出向き、宮司さん達から大麻の必要性などの証言を得て、それらに加えて海外での大麻の産業実績や大麻の真実の情報をまとめて県庁の窓口へと提案したそうです。

当初、窓口の人は、「大麻=麻薬」という認識を持っていたそうですが、そういった昔に実際に大麻を活用していた地元の人々の声や海外の真実の情報などを知ると「あっ、そうなんですか?」と反応が変わったようで、その件についてインタビューでも上野さんは「窓口の人も正しい情報を知ることで態度が変わる可能性が十分あることがポイントです」と強調しています。

そして、一度目の提案時には「大麻の免許など簡単にとれるものではないですよ」と窓口の方は断固厳しい反応だったようですが、二度目は「監視カメラや柵などを準備しなければいけないですが、その辺りは心得ていますか?」と態度が少し変わってきて、三度目の協議の際には「免許を出すので、必要な準備をしておいて下さい」という話になったそうです。

このようにして、2013年3月5日に最初のプレゼンをして、4月30日に正式に許可の電話が入り、5月2日には実際に免許が届くという、超スピード免許取得が実現したようです。

この嘘のような本当の夢物語は、まさに天の導きを感じさせる特殊な事例のようにも感じますが、ただ、いくつか重要なポイントを我々にも残してくれていると思います。

まず、当然ながら大麻栽培の免許が今でも十分に取れる可能性がるという点が第一ですが、それに加えて、取ろうと思えば2ヶ月以内に取得できることや移住者でも取得ができること、そして、何よりも窓口の方が正しい情報を知ることで、意外にも味方(?)にもなってくれるということです。

もちろん、今回のケースは、地元の支援や過去の実績といった部分が大きく免許取得の可否に影響を及ぼしていたこともあるのかもしれませんが、それでも実際に申請を出すという行動を起こすことで、行政の人々にも大麻に関する正しい情報が伝わり、それがきっかけで思わぬ展開へと発展する可能性があるように思えます。

ここ数年、気づいた人々の間では大麻の重要性は急速に広まり、日本での大麻栽培の復活を願う人々の数は年々増えていますが、そこから次のステップへと進むためには、やはり願うだけでなく、実際に行動に移すということが最も重要であると思います。

誰かがやってくれる、国や法律もいずれは変わってくれると願っているだけでは、この国も自分自身も変わらず、例え規制緩和などが今後起こったとしても、いつまでも他人任せのスタンスでいる限りは、いざという時にも何かしらの理由をつけて実際には動けないものです。

これは大麻のことに限らず、何ごとに共通することで、自分の環境や現実、未来を変えるのは自分自身であり、頭であれこれ考えているうちは何も変わらず、まずは行動に移すことが最も大切だと思います。

もちろん自分自身がそれを完全に出来ているとはいえないので、自分で言っておきながら耳が痛い点もあるのですが、いずれにしても、今回の上野さんのサクセスストーリーは、すべては自分の信じた決断によって行動を移したところから始まっており、このスタンスは改めて刺激になりました。

とはいえ、まだまだ始まりという段階であるとも思うので、今後の上野さんのご活躍を期待するのと、支援できることは全面的に支援しながら、自分自身も行動に移していきたいと思います。

それにしても、3月15日に放射能の危険性と子どもの安全性を考えた上で避難したというのは、まったく同じ動機とタイミングであり、そして、そのまま移住をするというのは面白い共通点だと思いました。上野さんも子どもの導きがあったのかもしれませんね。